日記
過去日記  04

全文  バース編
※このページには最新の分だけを掲載し、あとは上のリンクにまとめました。
 頭からお読みになる場合は、そちらをどうぞ。


 五月三十一日(月)
 金曜に帰郷したときには「これは今夜が峠か」と思われた猫だが、まだなんとか生きている。今日は、声を絞り出すようにして散歩をせがむのだが、いかんせん足がふらふらでおぼつかないので、僕が抱き上げて、彼の気に入っている貯水池へと連れて行った。だが、運悪く今日は水が流れていない。ここ二、三日で分かったことなのだが、どうやら彼は、水の流れる音が好きなようなのだ。「なんだ、流れてないよ」とでも言いたげに、彼は、貯水池に流れ込む用水路の源流である沼へと続く階段を登り始める。自宅のリビングでは二歩歩くのもままならぬほど弱々しく見えるというのに、空と土と緑のあるところでは、階段でもぐいぐいと登って行く。今日は、十五段ほどの石段を、途中で二度ほど休みながら登り切った。
 登り切ると、いつもなら閉まっているはずの金網でできた入り口が開いている。「これはいい」と、猫を抱き上げて水辺へと降りてみた。彼は恐る恐る水に顔を近づけると、二口、三口ほど舐め、それからすっくりと水辺に座った。その沼は周囲を深い緑に囲まれた美しい沼で、ものすごく空が高く見える。今日は南西から風が吹いてきており、水面にさざ波がうち、金網と大学の建物させ見えなければ、まるでカナダかスコットランドあたりの湖にでも来たかのような気分である。猫はさざ波が立つのを、座ったままの姿勢で三十分ほどもじっと見つめていた。隣に座り、背中を撫でてやると、顔をこちらに向けるようなことはしないながらも尻尾を振って返事をしてみせる。もう右目は膿のせいでつぶれてしまっているが、痛みなどはないようだ。背中を撫でる手には、骨と皮の感触しか伝わってこないのだが、どこにいったい、そんなに歩くほどの力が溜め込まれているのだろうか。
 しばらくするとまた草地のほうに行きたいらしく、水辺を離れたので、また抱き上げて連れて行ってやる。草地に降ろすとゴロリと横になり、風に白い毛をそよがせながら、気持ちよさそうに寝ころぶ。僕もしばらくは並んで寝転がっていたが、気づけば化膿した右目に蟻が群がり始めている。初めは一匹か二匹くらいだったのだが、どこからともなく猫の顔めがけて二十匹近くも登ってくると、それが許せぬような気分になり、丁寧に指で追い払うと猫を抱き上げて帰路についた。リビングに入れてやるとそのまま段ボールの中で丸くなり、また眠りについてしまった。夜、また僕の顔を見上げて一声鳴いたが、あいにくと小雨が降り出していたので、連れてゆくのは諦める。明日まで生きていたら、また一緒に行こう。
 雨の空を見上げながら「今夜かもしれないなあ」と、ふと思う。



 五月二十八日(金)
 午後まで仮眠を取ってから帰省の支度をし、バイクにまたがり、東松山の自宅にたどり着いたのは、午後四時ごろのこと。まるで夏になったかのような陽気で、暖かく、半袖でバイクに乗っても平気なほどだった。仙川から東松山までは、電車で帰ると二時間近くもかかってしまうが、バイクだと、上手くゆけば一時間足らずで着く。去年の今ごろに会社を辞めることになってからは、月に一度はこうして帰るようにしている。もっとも今回は、あと二、三日の猫のためなのだが。
 帰宅して、さっそく猫の寝ている段ボール箱を覗き込めば、猫は小さく、丸くなり、いかにも具合が悪そうにじっとしている。右目は膿に閉ざされて開かないものの、左目がうっすらと開いているところを見るに、眠っているわけではなさそうだった。とりあえず重たい荷物を降ろし、母への土産の薩摩揚げを渡す。父は、雨の日に駐車場から車を出せなくなり、さんざんアクセルを踏んでオーバーヒートさせた挙げ句にフロントガラスにひびまで入れたのを、すべて僕の停め方が悪かったせいにしようとしている。
「ぜんぶで十一万かかったぞ、修理代。十一万だ。お前が払え」
 帰宅するや、挨拶もなしに金の話。いかにも彼らしいといえば、彼らしい。だが、胸のどこかでは、やはり自分がへまをやらかしたのを分かっているのか、普段の彼からは考えられないほど大人しく、その話題を引っ込めた。いや、もしかしたら病気で弱っているせいかもしれないが。
 しばらく近況などを話していると、猫が段ボールからのっそりと出てくる。どうやら、外に散歩に出たいらしい。昨日まではそんな元気もなかったのだというが、脚を引きずってこそいるもののなかなかしっかりしており、僕が一緒に散歩に出ることにする。彼は家の前の、かつて田園だったところや、近所の人々が畑にしている辺りを歩きながら自然を吸い込むのが好きなのだ。今日も、いつも一緒に散歩に出る、土と草しかないような道をゆき、すこし西に行ったあたりにある貯水池に差し掛かったところで、彼は立ち止まった。どうやら水を飲みたいらしく、恐る恐る貯水池へ続く段差へと脚を踏み出すものの、やはり具合の悪いせいで気後れするのか、すぐに引っ込める。やがてすっかり諦めると腰を降ろし、顔を上げて、人の踏み入れないほどに生い茂った雑草の中へとじっと目を凝らす。そこには、なにがあるのだろうか。彼の母親も、死ぬ間際にはそうしてまったく同じ場所で座り、目を凝らしていたのだと、母は言う。
 そうして二十分ほど座った後、今度は沼へと続くコンクリートの階段をよろめきながらも上り、沼の周囲を巡る小径へと入る。沼は金網に囲まれているのだが、ところどころ金網の下を深さ三十センチ弱ほどの用水路が走っており、猫はそこをくぐり抜けて沼へ降りてゆこうとする。だが、もしものことがあっても僕はそこからは入れそうもないので、必死にゆこうとする彼を押しとどめるのである。もう長くはないと分かっている彼の願いを聞き届けてやれない寂しさが胸によぎるものの、やはり、行かせてはやれない。
 僕たちの後を着いてくるように小さな羽虫の群がかすかな羽音を立てながら飛んでいる。前をゆく猫を見下ろしているせいで、左手に立ち並ぶ木々と金網の間に張られた蜘蛛の巣に、ときおり引っかかる。顔に貼り付いた蜘蛛の巣を両手で引き剥がしながら、かつては毎日のようにそうして一帯を走り回り遊んでいたことを胸に思い起こす。その少年時代の姿と、目の前をゆく死にかけの猫の中間に僕はいる。かつてはどんなに奥までも踏み込みたくてたまらなかった雑木林の前を、無意識のうちに枝や草に触れぬようにしながら通り過ぎてゆく。なんとも儚いものだ。猫は僕の顔を見上げると、尻尾を立てて二、三度ほどその体を僕の脚に擦り寄せる。具合が悪いとはいえ、幸いなことに、どうやらそれほど苦しくはないのだろう。僕はほっと胸を撫で下ろし、煙草に火を点ける。
 かれこれ四、五十分ほども歩いてから自宅に電話をかけると、夕食の準備ができたとのこと。すこし可哀想に思えたが、僕は猫を抱き上げると自宅へと連れて帰る。彼のためにどの道を選んでやるのがよいかと考えた挙げ句、「今来た道をすこし高い視線から見下ろすのも一興のはず」と思い、来たままの道を辿りながら帰る。途中、黄色い水仙の花が咲いているところで猫を降ろさぬままかがみ込み、花の匂いを嗅がせてやる。猫は降りたそうに手足をばたつかせるが、弱り切ったその体では僕の腕をふりほどくこともかなわず、僕が立ち上がると同時に、観念したかのように大人しくなる。そして、玄関をくぐってリビングでようやく降ろしてやると段ボールに入り、瞬く間に眠りに落ちてしまった。
 これから、猫は何日生きられるのだろうか。早く楽になって欲しい気持ちもあるが、できるだけ多く、そうして散歩に出て欲しいような気もする。彼はどんな思いで、草の生えた道をゆくのだろう。僕もやがて、最後の散歩に出る日が来るのだろう。


 五月二十八日(金)
「バース 行くべき」で検索してここにおいで下さった方、僕は、行くべきだと思います。行けるうちに。

「バース大学 通訳」で検索してここにおいでくださった方、タフなコースだけど、がんばって行ってみるといいかも。

「でっぷり 肉棒」で検索してここにおいでくださった方、まさかそんなもんで引っかかるとは思ってなかったので、軽くショックでした。


 五月二十八日(金)
 午前四時、『The Confessions of Max Tivoli』訳了。なんつーか、疲弊しているわけではぜんぜんないのだけど、言葉も出ない。とにかく、お疲れさま。俺。あと、アンドリュー・ショーン・グリアー氏に、ありがとう。アンドリュース・プレスも、アウルズ・エージェンシーも、本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱい。この小説を翻訳させて頂けたことは、至福の極みであるとしか言いようがない。至福の極みであるとしか。

 煙草を吸いながら、五郎さんの『ぼくが死んでこの世を去る日』のラスト三曲を流す。まさに、この本にぴったりの三曲だ。


 五月二十七日(木)
 明日終える予定の翻訳を今日終えてしまうことにし、夕方四時に起きてからぶっ通しで作業を進めてゆく。というのも、実家の猫の具合が大変悪いらしく、もう今日明日らしいと、母から電話がかかってきたからだ。今夜じゅうに終わらせて、明日の午前中には帰省したいところだ。もうすっかり猫は弱っているらしく、翻訳を終える喜びを素直に感じる気にもなれない。
 その猫が我が家の一員となったのは、確か僕が大学に進む年のことだった。彼の生後すぐに僕は東京に出て来てしまったので、彼とはほとんど一緒に過ごさなかった。そのことを思うたび、「ああ、これであの猫が死ぬときには胸を痛めずに済む」と胸を撫で下ろすこともたびたびあったのだが、イギリスから帰国してからの約半年の間に、僕と猫はすっかり仲良くなってしまったのだった。彼は、台所仕事をする母を、僕の肩に乗って眺めているのがとても気に入っており、抱き上げて台所に連れてゆくと、決まって自分から肩に乗ったものだ。今はもう、食事を取る元気もなく、ただうずくまって寝ているそうだ。
 我が家で死を迎える猫は、彼で四匹目となる。小学生の頃に僕が拾ってきた雑種の猫は、父に憎まれ続け、ひどい仕打ちをさんざん受けた挙げ句に病死。次にヒマラヤンの雌が一匹来たのだが、彼女が生んだ息子は生まれつき体が弱く病死。その息子と母親の間に生まれたのが今の猫であり、母親のほうは、僕がイギリスにいる間に死んだ。つまり、最初の一匹以外はすべて血族である。今の猫は、母と息子の間に生まれた猫であるがゆえに血が濃く、体も弱かった。鼻血が止まらないということだから、おそらく免疫がひどく弱まって衰弱しているのだろう。もう十一歳で、都会の家猫よりは長生きしているものの、未だにその外見と鳴き声は若々しく、美しかったのだが。


 五月二十七日(木)
 渡部君とゴルフに行き、丸一日延々なにかしらのうんちくを聞かされ続けるという、おかしな夢を見た。
 実家の猫が、今日明日の命らしい。今夜なんとか翻訳を終わらせて、明日の朝には帰ってやりたい。


 五月二十五日(火)
『The Confessions of Max Tivoli』、どうやら今週の金曜日には初稿を入稿できそうな案配になってきた。思いのほか作業が好調なのである。作業が好調なときは往々にして気分が冴えないときが多いのだが、まあ、それはそういうものなので、よしとする。まあ、今週入稿しても、刊行されるまでにはもうちょっと時間がかかるのだが、たぶん秋口には出るのではないかと考えている。お待ちあれ。それが終わったらリーディングの仕事(英語の本を読み、どんな本かレポートを作成する仕事)が一本入っているが、まあ翻訳に比べれば楽なものなので、一足早く、終わる予定のない夏休みを取ることにしたい。
 それにしても翻訳とは奇跡である。左手に英語の原文を置き、右手にはまっ白い原稿を置き、少しずつ日本語の文章ができあがってゆく様を見ているのは、それだけで胸躍るものだ。その原稿が本になって送られてきたのを見るのなどは、言葉には言い表せない歓びがある(としか言葉には言い表せない)。本当に、いい仕事に就いた(というか追い込まれた)ものである。できることならば、ずっと原稿を書く仕事を続けていきたい。もちろん、自分の作品も含めて。夏休みには、長編小説にひとつ取り組んでみるつもり。この一冊を訳しながら、自分の技量がどんどん上がるのが目に見えて分かった。去年は去年で、かなり納得のいく作品を一本書けたのだが、今年はそれを楽々越えることができるだろう。また、サイト用にも短編書いたりすると思うので、お楽しみに。

 早いもので、会社を辞めることになってからちょうど明日か明後日あたりで一年だ。この一年は、本当にすごい一年だった。人のお陰でいろいろと忙しくできたというありがたみもしかり、自分にはそれなりに力があるじゃないかと確認できたのもまた、嬉しい。その力がちゃんと形になるまでにはまだ数年ほどかかるだろうが、自分が動く歩道に乗っているのが分かれば、あとは気を抜かずに目的地に着くのを待てばいいのである。幸い今年は、人の手助けをするだけの力をつけることもできそうだ。ギブアンドテイクを繰り返しながら、みんなで赤信号を渡ってゆこう。


 五月二十三日(日)
 昨日の夜、中川五郎さんよりメールがあり、制服向上委員会のイベントに出演するので、手伝いに来なさいとのこと。というわけで、朝起きてから夕方まで翻訳作業(というか、推敲作業。今は、残りちょっとの翻訳は後回しに、ここまでの推敲をちょこちょこやっている)を進めてから、六時過ぎに中野坂上にて五郎さんと待ち合わせ。制服向上委員会は、昨年の暮れに駒場エミナースにも、五郎さんと一緒にお邪魔している。いつ考えても、アイドルと五郎さんという取り合わせがミスマッチだと思えてしかたないのだが、実際イベントを見てみると、ちゃんとマッチしてしまうから不思議。五郎さんもきっと、アイドルなのだろう。しかも今日は、メンバーと一緒に何曲も唄うという、なかなか面白い内容。ボブ・ディランやらジェーン・ヴォスやら、十代二十代の女の子が唄うとけっこう面白い。かつて、ベトナム戦争時代に日本で唄われていた反戦歌『グッバイ・フレンド』なども、今このご時世に若い人たちが唄うというのは、なかなか趣があって考えさせられるものがあった。五郎さんのCDもいっぱい売れたし、よかったよかった。
 イベント終了後は、楽屋にて五郎さん、僕、メンバーの女性三人の計五人で、お寿司と美味しい日本酒をご馳走になった(飲んでたのは男ふたりだけだけど)。ソファの形状と言い、テーブルの高さといい、なんとなくそんなお店っぽくて、談笑しつつもふと財布の中身が気になってしまった。携帯電話にサインしてもらった。アイドルにサインを貰ったのは、人生初の快挙。
 帰りは、先方のマネージャーさんと思しき方に、上記三名とともに新宿まで送ってもらって帰宅。五郎さんと飲もうかと思っていたのだけど、どうやら今夜は珍しく行く宛てがあるらしく、断念。まあ、僕は仕事も残っているし、ということで、「また近々」ということになった。
 それにしても制服向上委員会、六月のイベントのゲストは早川義夫さんだという。僕も、行けたら行ってみるつもり。

 そういえば、6/22発売予定の『GOOD LUCK』(ポプラ社)のオンライン先行予約が始まった模様。まあ、その辺の書店でもできるのだけど、「ネットで予約したい!」という現代っ子はどうぞ。


 五月二十一日(金) ☆追記
 何人かの方々から「イギリス留学記は、その後どーなっとんのか」とお叱りを受けたのだけど、もうちょい待ってください。今、かなり切羽詰まっているので、他の物を書いている余裕がないです。


 五月二十一日(金)
 もうすぐ、『The Confessions of Max Tivoli』の翻訳の、初稿が上がりそうだ。一通り訳了し、あれこれと手を入れたとしても、一週間後には形になっていることだろう。なんだかんだで、〆切ギリギリになってしまった。それにしても、この小説は本当にすごい。刊行はもうちょっと先になるけれど、少なくともこのサイトを読みに来てくれている皆様には、ぜひとも読んで欲しい一冊。「自分が翻訳しているから」という贔屓目を差し置いた目で見ても、かなり秀でている作品だと言う他はない。ちなみに出版元は、『ティモレオン』アンドリュース・プレス。昔っから、個人的にかなり注目していた出版社であるだけに、そこから訳著を出して頂けるというのは、本当に特別なことだ。
 ちなみに、当たり障りのない程度にあらすじを説明すると、老人の姿で生まれたマックス・ティヴォリ氏が、少しずつ若返りながらひとりの女性を追い求めてゆくという、一見ちょっと奇抜なストーリー。この手の突拍子もない設定にしてしまうと、どうも一発ネタみたいになりがちなのだけど、この本に関しては、その設定にしなければならないだけの十分な必然性があり、そういった「若気の至り的」なものは、一切感じさせない。本当に見事。ちなみに、原文で訳300ページとけっこうな長編(日本語にしたら400ページくらいになるだろうか)なのだけど、読みほぐせば読みほぐすほど、余分なことがなにひとつ書かれていない、ものすごくシェイプアップされた作品でもある。この筆力と構成力は、本当に「見事」の一言に尽きる。
 それにしても、翻訳の楽しさというものを、ここのところ実感しっぱなし。無論『BLUE』のときも今にして思えば相当楽しかったのだけど、初体験(仕事としては)ということもあり力加減がどうも分からず、楽しんでいるような心のゆとりがなかった。『BLUE』は、原書では200ページ足らずと比較的短く、英語も『The Confession of Max Tivoli』とは比較にならないほど簡単(これは著者のスタイルが、という話)なのに、今回と同じく、翻訳を開始して三ヶ月後の〆切当日の深夜くらいまで訳了しなかった(まあ『トレジャー・プラネット』が重なったから、というのもでかいのだけど)。でも、今が速いかというと、そういうわけではない。柴田元幸氏など、一週間で一冊訳了するって、なんかの本で書いてたような気がするし。さすがに一週間で一冊は無理でも、一ヶ月に一冊くらいできるようになりたいなあ。一日20ページ。道のりは遠い。たまにならそのくらいできるけど、毎日コンスタントにできるかというと、できないなあ。ちなみに同じくベテラン翻訳者の中川五郎氏は「一日5ページくらいできるといいのなァ。机に座ると、どこかに行きたくなっちゃうんだもの」と、どこかの居酒屋で語っていた。


 五月十八日(火)
 主義主張、方法論、経験、職業、衣服、表情、とにかく、なにもかもを人間から剥ぎ取ってしまうと、そこには青く、丸く、うすぼんやりとした光を放つ拳大の球体が残り、それは、ネガティブともポジティブとも解釈されるべきではない、原始より在り続ける人の優しさであり、愛情であり、孤独であり、感謝である。本当な、そのように言葉などで説明のできるものではなく、つまり、青い球体なのだ。この球体に様々な層を重ねていったのが、その辺を歩いている人間であり、俺であり、あなたであり、彼女であり、彼である。本来、この青い球体同士はなんの障害もなく惹かれ合い、認め合い、愛し合うことのできるものなのだが、幸か不幸か、経験や生い立ちなどといった層がその上に積み重なるにつれ、球体の発する光は遮断され、やがて、誰の目にもその層の差異のみが映るようになり、やがて人によっては、青い光の照っていることにすら気づかぬようになってしまう。それは生きることを楽しく豊かにすることでもあるだろうが、同時に虚しく、悲しくすることでもあるだろう。
 そんなことが一昨日よりずっと頭を離れず、原稿を書き進める手を止めながら何度も自分の胸の上に手を置けば、なんとなくそこには本当に青い球体の照っているような気持ちになり、天井を見上げれば、やはり天井は低く、そんな俺のことを「あいつは本当に馬鹿なやつだなあ」と、親しげに笑っているような思いになる。そんなとき、決まって俺はひどく神経質になっており、誰に会うことも避けたく思い、こうして昼間からビールばかり飲むようになる。テレビでは、恥も外聞も知らぬ馬鹿な男が、自分や人をおとしめるようなことを、ケラケラと笑いながら平然と口にし、それに同調した観客たちが、さもおかしそうに笑って見せている。


 五月十七日(月)
 バイクでの高速道路二人乗りがOKになりそうな昨今。俺がバイク乗り始めたころから考えると、嘘みたい。つーか、イギリスから帰ってきたら規制速度が80キロから100キロになっていただけでもびびったのに、今度は二人乗りOKかー。変わらないうちはまったく変わる兆しすらなかったのに、いざ変わり始めると速いこと。つーか、アメリカの某巨大バイクメーカーからの圧力で、という部分が大きいのだが。
 ちなみに俺は、100キロまで規制速度が繰り上げられたのは、大賛成だった。つーのは、制限速度が80キロだと、車の流れに乗って100キロで走っているだけで20キロオーバーなのだ。それで捕まることはないが、だいたい高速道路なんてみんな120〜140くらいで走っている。40キロから60キロオーバーになってしまうと、これはもう悲惨な減点と罰金が待っている。二輪車には、かくも不公平な速度規制だったわけだ。これが解消されたというのは、大きな一歩。それに、単純に考えて、車より20キロも遅く走ってたらあぶねーしな。
 でも、二人乗り解禁には大反対。これは、後ろに乗せる側の技量ではなく、後ろに乗る側の技量の問題。これはぜったい危ない。ある程度熟練したライダーならば、そこそこ対処できるのだろうけど、それでも反対。一応「二十歳以上、運転歴三年以上」という規制は設けるらしいが、正直不十分だ。二十歳って、まだまだスピード出したかったり、飛ばすのがカッコいいような勘違いしてたりする年齢。でも、高速でぶん回してぶっとばす自分を見せたくて後ろに彼女とか乗せちゃってたりしたら、飛ばせば飛ばすほど、後ろの人はたまったもんじゃない。ものすごい風圧と、下道では味わうことのないスピード感、それに加えて「停まれない恐怖」つまり、信号とかで一息入れられない怖さみたいなのにやられて、パニックになる人もいるはず。たぶん、そんなに多くはないにせよ、落ちる人だって出てくる。
 無論、これは極端な例だけど、極端な例から考えないと。なにしろ、高速を剥き出しの体で走るっていうのはけっこう危ないことだからな。運転者本人だけならばどうとでも自分の責任として受け止められるだろうが。
 ちなみに「二人乗りのほうがバイクは安定する」っていう論を持ち出して、この解禁に賛同する人がいると最近聞いたのだけど、そんなもんは、ぶっちゃけた話、詭弁。バイクの安定度と、道路で起こるトラブルは、ほとんどと言っていいほどに無関係だ。そもそもバイクって、本来は2人乗りするように設計されてないのよ。「掴まってないと乗れない」ってのは、その証拠。
 でもまあ、法案は可決されるんだろうな。俺は絶対に二人乗りで高速乗ったりしようとは思わないけど、それでも、けが人出るんだろうなあと思うと、なんか嫌だなあ。


 五月十六日(日)
 突然ひどい気分に襲われ、寝込む。こんなことではいけぬと思い原稿に向かうもまったく進まず、今日は作業をせずに寝てしまうこととする。明日にはすこしでもマシになっていますよう。神経過敏は絶対的な長所であるのだが、普段はまったくの短所だ。


 五月十二日(水)
 調布CROWD 9にて、渡部真一君とビリヤード対決vol.4。これまでの三回はいずれも僅差で破れており、今年の正月に至っては「俺は僅差でシモンに勝つよ」の言葉通り、1ラック差で負けている。あれからずいぶん修行した。俺にとっては絶対に負けられない相手だ。しかも彼は最近、ずっとゴルフ三昧。ゴルファーに負けたとあっては、ヘボ級といえども、ビリヤーダーの名がすたるというもの。
 ちなみにこの店、深夜11時から朝の5時までは、1500円で撞き放題、しかもワンドリンクとワンフードがついてくるという、大変お得な店だ(今日もふたりでさんざん撞いて飯食って、トータル4000円で済んだ)。
 で、午後11時を回ったところで試合開始。いきなり渡部君が3ラック先行するもののすぐに追いつき3−3。そこからはガッツリとシーソーゲームの展開となり、26−26まではまさに一進一退、取られたら取り返すという展開になった。だが、このあたりがゴルファーの限界。すっかり息切れした渡部君はまったく球が入らなくなり、逆に俺は調子を上げていく。その後一度だけスクラッチ(手球をポケットに落としてしまうこと)で負けたものの、終わってみれば27−36。「エネルギー切れで負けるのは本当に屈辱的だ」という彼に送ってもらい、仙川に帰ってきた。
 やはり、ビリヤード台の横でゴルフのスイング・チェックをしているような輩には、負けられないということよ。


 五月十一日(火)
 この間、祖母の見舞いで老人ホームに行って以来、なんだかずっと考え込んでしまっている。特に何か特別なことを考えているわけではないのだが、普段から老いと死のことを考えずにいられない僕にとって、現実を目の当たりにするというのはけっこうキツいことだ。
 祖母の部屋には、なにもない。花が飾ってあるが、それは見舞いに来た人が持ってきたものだし、置いてあるテレビにしても、祖母はつけない。彼女はただ、食事をして、同じ階にいる老人たちと話をして、部屋に戻ってきて寝ている。下手をすれば、久しぶりに訪ねてきた息子の顔も分からない。
「同じ階の人たちは友だちなの?」母が訊く。
「そういうわけじゃないよ」祖母が答える。「話はするけど。どうせその辺で会うんだから、わざわざ部屋に来たりはしないのよ」
 昔は文学少女で、一時期は作家を志していた祖母。だから彼女は、母がハツヨシと結婚するとき、彼に希望を託す気持ちもあったのだろうと母は言う(それがそもそも間違いだとも、母は言う)。だが、気づけば本もなにもない部屋で、毎日毎日ただ穏やかに過ごしている。
 帰りの車の中でそんな話をしているとき、母がふと「あの姿を見てると、人生で最後に必要な物ってなんなのか考えちゃうわね」と言った。ワープロも、本も、体験すらも、人はやがて欲しなくなってしまう。音楽家は演奏しなくなり、作家は文章を書かなくなり、絵描きは絵を描かなくなる。そして、それらのことをしようという考えすら持たなくなる。ならばなぜ、今こんなにも苦しみながら、なにかをしようと思っているのか。なんの為に青春を生き、衰える苦しみを感じ、死の恐怖や虚しさを感じるのだろう。
 なにごとも体験しなければ分からない以上、死も体験しなくては分からないのだろう。だが、他の体験と死が違うのは、先人たちがなにも伝えてはくれないということだ。人間は等しく、なにも知らないまま、いつかその日を迎える。だからこそなにかをすべきなのか。だからこそなにもせずともいいのか。はてさて。


 五月七日(金)
 ふんがー。『The Confessions of Max Tivoli』、アメリカでマジ売れしてんじゃん! アマゾンランキングで500位だってよ。オマケに読者レビューも24個もついてるよ。翻訳作業は残りあとわずか。その後ドドッと手直しを加えて今月末に初稿を提出するわけだけど、気合い入るなあ。ちなみに、これ一冊翻訳しているだけで、読解力と文章力と日本語能力がググンと上がっているのが分かる。仕事しながらスキルを磨けるのだから、なんとも有り難い話だ。
 著者のアンディは本当に素晴らしい人で、「これは日本では通じないのではないか」という部分に意見を求めるためにメールすると、「じゃあこんな感じにしてみたらどうだろう?」と、二通りも三通りも別の文章を送って来てくれる。非常に助かる。しかし、「読者のことなんて考えて書いてられるか」っていう人で、「うーん、この比喩が分かりにくいのは、日本人だからかしら」と思って質問すると、「アメリカ人でも分からないんじゃないかしら」というメールが返ってきたりする。こういう姿勢は、見習わないといけない。アリストテレスが『詩学』で言っているとおり、詩人とは人々に新しい表現をもたらしてくれる存在なのだ。
 ちなみに、「存在する語句はすべて比喩である」という考え方があり、僕はこれに賛同している。物体や現象などを言語にした時点でもう正確ではないのだから、的を射ているという考えからだ。これらの比喩の中、一般的に比喩とされていないものを「死喩」、もう比喩ではない比喩、と言うわけだけど、これになぞらえて考えると、辞書とは死喩の山のことを言うことになる。なにもかも「言語」という比喩を通して、人が胸の中で感覚に結びつけていくというわけ。だから「違う語句が違う感覚を呼び起こす以上は、別々の物を指しているはず」という考えが成り立つわけであり、つまり、「犬」と「わんちゃん」は違うわけだし、「王選手」と「ワンちゃん」もまた、違う。そういう部分に着目しながら人の話を聞いていると、なかなか面白いものである。
 ここが、僕が思う翻訳作業の面白さに通じている。たとえば日本で「蛇のような女」がずる賢い女であっても、中国では美しい女を指すという。この場合、語句通りに翻訳するのではなく、ちゃんと中国語で「ずる賢い女」という感覚を呼び起こす動物を捕まえてこなくてはならなくなる。これはもう、パズルの世界だ。だから、難解な、著者しか分からないような比喩が使われまくっている『The Confessions of Max Tivoli』の翻訳は、ホント大変です。トホホ。アンディが親切な人で、本当に良かった。じゃなかったら、遅々として作業は進んでいないはず。


 五月五日(水)
 調布のCROWD 9にて、ヤノさんと9ボールで勝負。彼とは、三月初旬に井の頭線で初めて会った。僕はなんだか忘れたけど酔っぱらっていて、電車に乗ったら、すぐ横にビリヤード雑誌を読んでる人がいた。スティーブ・デイビスの記事が気になってたのにすぐめくられてしまったので「すいません、今のところちょっと」と声をかけてしまったのだ。それ以来、ちょくちょく一緒に撞いているわけだが、いずれも僕の惨敗。そりゃあそうだ。SA、A、B、Cとあるプレイヤーのクラスで、彼はA級、僕はC級なのだから。
 最初に撞いたのは知り合った翌日で、もうボッコボコ。「すいません、弱くて」と思わず謝ってしまうほど(これには「いやいや、たくさん撞けて嬉しいですよ」と、痛烈な一撃を返された)。5先(5ラック先取りで1ゲームの勝敗が決まる)で勝負をして、勝てたのは一回だけ(サービスエースが二回出た)。
 今日も5先で勝負。「あれからずいぶん練習したし、あんな無様には負けまい」と意気揚々と臨み、もくろみ通り、最初の1ゲームは勝った。が、それからガンガン負け越し、終わってみれば2勝4敗。しかも、最後の10ラックは、ひとつも取れなかった。しかも、ブレイクで5個落とされてそのまま撞ききられたりと、さんざんな負けっぷり。テーブルに着いてもなかなか勝てないのに、テーブルにすら着かせてもらえないのだから、話にならない。すっかり自信を喪失しつつも、リベンジを胸に誓って帰ってきたのでした。次回こそは!


 五月二日(日)
 ちょっと笑えるネタを仕入れたので、皆様にも。
 エキサイト翻訳にて「shit!」を和訳してみた。次に「!」をひとつ増やし「shit!!」。その調子で「shit!!!」「shit!!!!」と、一回ごとに「!」を増やしながら何回も和訳してみる。夜中にひとりで爆笑してしまった。