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2005 01 02

留学記  バース編
一言:

会社名などは敬称略で。
フォームには日記で回答。なんでも来い! いや、なんでもは嘘。
 三月三十日(水)
 手元に仕事がどっさりあるときは、「早くぜんぶ一段落ついて楽にならないかしら」なんて思っていたのに、いざ一段落ついてしまうと、ものすごい虚しさ。台風一過の青空をぽかんと眺めているような気持ちというか、なんというか。とにかく気持ちがおかしな状態になってしまい、どうしようもない。なんだか眠ることもできず。考えなくてもいいことばかりやたらと気になり、そんな自分の状態にイライラさせられる。朝の五時から結局は酒を飲み始め、へべれけになって今に至る。ひとりでする自宅の仕事。聞こえはいいし、実際魅力はとてもあるけれど、陸の孤島に取り残されたかのような錯覚を感じはじめてしまうと、もうほんとどうしようもなくなる。なにげなく昔の作品を読んでいたら、けっこう気に入っていたものがあったのでアップ


「いいのよ」そう言って、彼女は温かく笑った。「言ってもいいの。あたしは誤解しないし、ちょうどあなたが何を言いたいのか解るのよ。だから、言ってもいいの」
 だが、僕がその言葉を口にしたのは、本当に、心の底からそう思ったからだった。彼女のことじゃない。彼女が僕の体へと注ぎ込んでくれる開放感、安堵感、そして孤独感が、心の底から僕を安心させ、それを愛しいと思うゆとりを与えてくれたのだった。
「でも、違うんだ」僕は慌てて言った。「僕はただ……」
「いいの」彼女が腰を動かしながら、また僕をさえぎった。「言ったでしょう。あたしには、ちょうど解るのよ」
 (小説『十四日間』より)


 三月三十日(水)
 午後から夕方にかけ、翻訳作業。午後七時に、ひととおりの作業を終える。今月は二本訳了。悪くないペース。まだちょっとした作業は残っているけれど、とりあえずは春休みの到来か。
 とはいえ、気分も体調も優れず。今日はちょっと寝込みます。


 三月二十九日(火)
 宣伝です。六月末から七月にかけ、南青山のフェロー・アカデミーにて、全4回の特別講義を持つことになりました。翻訳に興味がある方や、「ちょっとそういう話も聞いてみたいぞ」という方は、ご応募ください。愉快なゲストの人々も、予定しております。また詳細決まりましたらここで連絡します。
 また、四月十三日の午後七時からは、六本木のDHCにおいて、1回のみのセミナーに講師として招かれています。こちらのほうもまだ間に合うはずですので、もしよろしければどうぞ。見たところ、無料のようです。


 三月二十九日(火)
 今日からの三日間で、新たに一冊翻訳をする。短いものだし、もう半分以上終わっているから大丈夫だろう。それが終わったら、いよいよ待ちに待った休み。でも、いざその訪れが近づいてくると、逆に、なにも仕事がないのが怖い気もする。
 最近は、なんだか気分が滅入るようなことが多い。


余計なフォルダアクション<<あ、それ思った。にょぃ〜ん。でしょ?
その擬音は、まさに的確ですね。そうです。にょぃ〜ん、です。


 三月二十八日(月)
「その気持ち、分かるなあ」と思った日は、なんだか自分が傲慢になったような気がして、気分がよくない。ほんと些細なことであればいいのだけど、人が深刻に悩んでいることや、ずっと抱えていることに関しては、「分かる」などと言ってはいけないものだと僕は思っている。経験は人それぞれ違うし、その経験をした結果どう感じるのかは、その人の過去による。そう簡単に、分かるものではない。ときとして、「分かる」「分かりたい」という気持ちが人を傷つけることもある。分かってもらうよりも、ただ「そうなんだ」と知って傍にいてほしいときが人にはあるのだと思っている。

 僕には、人のことなどなにも分からない。ただ目の前にいる彼もしくは彼女の言動を見聞きし「ああ、そうなんだ」と思うだけだ。胸の中であれこれ推量したりすることはあっても、断定はしたくない。過去はどんなものであれ人にとって大事なものだし、自分と出会う前の過去に対してはまったく第三者である自分が、そこに自ら介入してはいけないのだと感じる。

 でも、そういうこととはまったく別に、男性でも女性でも、人を好きになるときにはなにか感じるものがあって好きになる。あれこれ理由を考えることもあるけど、それはまったく意味がないことだと思っているから、口には出したくない。なにか目には見えない魅力を感じるから、人は人を好きになるのだ。なぜ好きかなど、説明のしようがない。

 理解とは、推量することではなく、実感を共にすることだ。人と人とが関係を深めていくには、過去を打ち明けあっていくよりも、同じ時間を過ごすことのほうが遙かに大事だ。自分から話す自分の過去というものには、いつだって無意識的な嘘が混ざる。もちろんそれは、その人が過去をどう受け止めているかを知る上ではいつだって興味深く意義のあることではあるのだけど、そもそもその過去の結果は、常に目の前にいる相手であり、彼/彼女を取り巻く空気感であり、言動なのだ。それが好きなのであれば、それがすべて。それが嫌なのであれば、それがすべて。


高田馬場のごみ収集はユルユルとしすぎだと思いません? 忙しいときとか急いでるときは別として(コラ(笑))
明らかに緩すぎですよねー。でもまあ、そのくらい気楽なほうが、逆にしっかりやるってものです。

イギリス在住です。勿論ドナー登録拒否られました。なんで、最近まで我慢してた牛肉もとうとう食べちゃいました。
僕がイギリスにいたころは、まさに狂牛病問題がいちばん盛んな頃だったのですが、ロンドンなんかいくと『アンガス・ステーキハウス』は、もう開店休業状態でしたよ。なんか、可哀想なくらい。僕は「こんな時期だからこそ逆に安心なのでは」などと思い、たまに食べてました。

OSXよくないのですか。仕事周りの人々がテンテンテンテン言うので焦っていたのですが。
好き嫌いはあるでしょうから一概に「まったくダメよ」とは言いませんが、OS9のほうが明らかに使い勝手がいいように感じます。まあ、物は試し。ぜひいちどお試しあれ。個人的には、アイコンの配列感覚が広すぎるのがかなり気に入りません。あっと言う間に、デスクトップがいっぱいになっちゃう。あと、動作がなんとなく鈍いのもやだ。余計なフォルダアクションとか多すぎて、最初は「うおー、かっこいい」とか思っていても、慣れるとイライラしてきます。


 三月二十五日(金)
 骨髄バンクにドナー登録をしようと資料を取り寄せた矢先、かつてフランスに滞在していたおかげでドナーになれなくなってしまった。献血もできない。国から「危険人物」と見なされてしまった。残念無念。いつになったらこの疑いが晴れ、献血できるようになるのやら。フランスいたのなんて二十二年前も前なんだから、感染してたらとっくに発症してるって、狂牛病。あ、でもそのあとイギリス行ってるのか。帰国したのが三年半前だから(はや!)、狂牛病の潜伏期間が八年とした場合、あと四年半は最低でも無理か。

 高田馬場は、とても野良猫が多い。ウチの周辺でも、常に4〜5匹は見かける。どの猫もまだ若く、1〜2歳くらいに見受けられる。ちょうど元気な年齢なもんだから喧嘩のほうもめっぽう盛んで、これを書いている今この瞬間も、どこか遠くの方からお互いを威嚇しあう声が聞こえてきている。やたら声の通る猫が一匹だけおり、その声だけが毎晩のように聞こえてくる。相手の声は、たいてい聞こえない。
 でもこないだ、ウチの前に建っているマンションのあたりで、その猫の声が聞こえてきた。さすがに近いので、相手の声も聞こえる。かれこれ三十分近くにもわたり、そのにらみ合いは続いた。取っ組み合いになったような物音はせず、ずっと「ウワァ〜〜〜ォ!」というものすごい声だけが聞こえてくるのである。僕は「いつ始まるんだろう」とドキドキしながら仕事をしていたのだけど、ついに取っ組み合いが始まることはなかった。代わりにバケツで誰かが水をぶちまける音がして、喧嘩は止んだのだった。水、命中したのだろうか。誰か知らないけど、とことんやらせてあげればいいのに。途中で水を差したら、それこそ遺恨が残るぞ。

 入居するとき、不動産屋さんに「新宿はゴミ厳しいからちゃんとしてね」と言われて気を引き締めていたんだけど、なんだ、けっこう緩いじゃん。調布市はマジで厳しかった。というか、ウチの管理会社が厳しかったのかもしれないけど、燃えるゴミの袋に生ゴミを一緒に入れたりしようものなら、ゴミをあさられ、出し主の名前が出るまでほじくり返され、名指しででかでかと張り紙をされたりもしていた(オマケに去年からはゴミが戸別回収になり、ますますうるさくなった。ゴミ袋にも定価のほかに「ゴミ収集費」が加算され、それ以外の袋で出すと持って行ってくれない)。僕はけっこうゴミの分別はしっかりやる方で、なんとコピー用紙も資源ゴミで出すほどちゃんとしているのだけど、そういうのが嫌だったから、名前の入ったものはコンビニの燃えるゴミ箱とかに捨てるようにしていた。
 で、不動産屋さんが「厳しい」という新宿区だけど、ウチの前のゴミ捨て場は、曜日関係なくどんどんゴミが出され、収集の人は、その曜日の分のゴミだけを持って行ってるようだ。すごい。空き缶やペットボトルも、燃えないゴミで出してしまっていいようだ。調布では、燃えないゴミに「プラ」表示のある袋を何枚か入れただけで「これは燃えるゴミではありません」などという注意書きを食らい、置き去りにされたことすらあったというのに。


 三月二十三日(水)
 気づいたら、一週間ぶりの更新になってしまいました。日々いらしてくれている皆さん、すいません。仕事が一段落ついてから、ほんとアホみたいに休んでました。おかげで体中が……いてて……。

 昨日からは、また次の翻訳。今度のは本文が短いからそれほどプレッシャーもかからない。今月いっぱいをめどに、着々と進行中。これもまた素晴らしい本なのでお楽しみに。刊行時期などはまだ未定。ここの公表できる段階になったらお知らせします。

 それにしても日々眠い。なんか気が抜けてしまったのか、眠くて眠くてたまらない。


 三月十七日(木)
「Mac OSXもなかなかいいよ」なんて人に言うことで自分をごまかしてきたが、久々にOS9を使ってみて分かった。OSX、やっぱよくねーよ。なんかパソコンて年々悪くなってきてる気がする。もっとシンプルでいいじゃん。

 今日はノラオンナさんのライブで下北沢のmona-recordsへ。とても雰囲気のいいお店で、ライブを楽しめた。ノラオンナさんはなんだか独特の空気感のある方で、歌もとても好き。初めてお会いしたのはかれこれもう一年半くらい前になるのだけど、今日までライブに行ったことがなかったのは、自分でも意外。
 今日は五郎さんもいらしていて、近況などを含めていろいろ話しながら飲んだ。あいにく僕は終電があったので早めに退散。それでも、空腹の状態で飲んだせいか、思いのほか酔っぱらっていた。帰宅し、寝て、起きたらもう早朝五時。夕方五時とすっかり勘違いして、約束場所へと急いで出発。ドアを開けて駆け出そうとしたところで、朝の空気であることにはたと気づいて部屋に引き返した。五郎さんはなんだか元気そうで、よかった。

 さて、僕も今年はそろそろあれこれ始めるぞ。ここ三日間仕事を忘れて休んでいるおかげか、気力が充実してきた。焦って必死に仕事をするのではなく、やはりこういう感じでバランスを取っていくことが大事なのだ。フリーの仕事を始めたころに味わった「食えない」という恐怖心から、セコくなったり、休むのが怖くなってしまったりしていたけど、これからは、その意識を変えていかないと。


 三月十五日(火)
 本当に久しぶりの全休。一日中、ふと「仕事しなくちゃ……。あ、今日はしなくていいんだった」と我に返りながら過ごす。なにもしてないと、とても不安だ。
 午後から確定申告を済ませて遊びに出かけ、編集者のマツシマさんと夜中まで球撞き。彼と会うのはこれで2度目だが、確か最初のときは朝まで球撞きだった。たぶん次会うときも球撞きだろう。ふたりで「出版社対抗でビリヤードの試合とかやりたいですねえ」などと話す。これ、実現したら面白そう。ここご覧になっている出版関係の方でビリヤードが好きな方、もしくはビリヤード好きの知り合いをお持ちの方は、ご連絡ください。16名くらいまで集まったら、試合開きます。や、とりあえず8名でもOKかな。フリーで出版に携わっている方でも、もちろん問題ナシ。

 実家に電話したら母は留守で、代わりに父が出た。阿佐ヶ谷のマンションを引き払いたい父は、引っ越しを手伝えと僕に迫る。僕が「今月いっぱいは締め切りがあるから、今すぐいつとは言えないけど行けるようにするから」と言っても、「私も毎日やることに追われていて、お前がやってくれないと困るんだ。今月中に引き払わないと、借り手がいるんだよ」と、声を裏返しながら怒鳴る。父にやることなどとりあれずないのは、家族ならば誰でも知っているというのに。ただし、本人も嘘をついているのではなく、彼の頭の中は本当にパニックを起こしているのだ。それにしても、息子の締め切りと自分の部屋の片づけを同じレベルで語るとは。


お疲れ様でした〜。本の出版楽しみにして待ってます。店頭に並ぶのはいつ頃になるのですか?
ありがとうございます。刊行は、今のところゴールデンウィークあたりを予定している感じです。また具体的なことがお知らせできるようになったら、ここでお伝えしますね。今度のもとてもいい本なので、お楽しみに。


 三月十四日(月)
 明け方まで仕事をし、布団に倒れ込むようにして仮眠を取り、仮眠のつもりがすっかり夕方まで眠り、気づいたときには目覚まし代わりの携帯電話は、洗面所の洗濯機の中にぶち込まれていた。ぼんやりする頭で机に向かい、残りの翻訳に取りかかる。
 午後八時に、ようやく訳了。ファイルを送信し、すぐに出かける。とにかく、外に出たい。一路田端へと出かけ、朝の五時までスヌーカーを撞く。なんかすごくおかしなテンションで、自分でもなにがなんだか分からなかった。とはいえ、しばらく経ったら落ち着きを取り戻し、いつもの自分に。
 帰宅したのは朝の六時半。すっかり明けた朝の空に、何年ぶりかで感じるようなリアルな現実を見る。BGMは Spinna B-ill and The Cavemans。カッコいいぞ。


 三月十三日(日)
 今日は一日中作業に従事し、現在は月曜日の朝七時。まだちょっと残っているが、ほとんど終わりに近づいてきた。「疲れた」「忙しい」という言葉が僕は嫌いで、あんまり使いたくないと思っているのだけど、なんかホント疲れた。視力検査に臨むくらいの集中力を使わないと、英語の意味が分からない。
 しかし、締め切りをちょっと延ばしてもらったのに、結局月曜朝には間に合わず。日中に仮眠を取るとして、原稿を送れるのは夜になるだろうか。本当に申し訳ない。さて、がんばるか。もう一息。なんか、毎日そんなことを書いているような気がする。

 あ。
 いや、また今度でいいか。


 三月十二日(土)
 今朝、フォームを送ってきた知り合いらしい人は誰?

 こないだ義援金ライブ『月に歌うよ』でお会いしたSCRIPTのCDをアマゾンで注文していたのだけど、今日届いた。『青春グローリー』。今度、アルバムも入手しよう。なんか、とても健全でいい。恥ずかしい話、僕は悩みを抱えていたり「自分の苦しみは人には分からない」なんて思っていたした時期に、こういうまっすぐなものを頭ごなしに否定してしまいがちだったのだけど、清々しいというのはいいことだな。よし、今日はまず風呂に入るぞ。

 さてと、今日と明日はいよいよ仕事が大詰め。つらいけど、それが終われば一日二日の休みを無理矢理取る予定。そして、朝から晩までスヌーカーを撞くのだ。がんばるぞ、仕事。


 三月十一日(金)
 仕事、けっこう調子が出てきた。ここしばらくは絶不調と言っていい状態だっただけに、我ながら嬉しい。連日の徹夜は体にこたえるけれども、とにもかくにも後一息。それが終われば、今月はあと一本だけだ。って、今月あと一本か! などと言わず、マジメに働こう。来月はいよいよ、今のところなにも仕事の予定は入っていない(タイミング的に推敲が入って来そうだけど、今のところ意識的に忘れておきたい)。
 できれば五月、イギリスに旅行をしたいと思っている。本当は二月に行く予定だったのだけど行けなくなってしまい、『BLUE』の著者、ニック君をがっかりさせてしまった。でも、今度こそ日本茶持って行くぞ。赤ちゃんにも会いたい。

 あと、誰か洗濯物が勝手に干される装置を発明してください。あ、乾燥までやってくれる洗濯機があるか。でも、わざわざ買うのもなあ……。干せば済むんだし……。干さないけど。


 三月十日(木)
「ミュージックポーター マック」で検索をかけてウチのサイトに来る人がいるたびに、モニタの前で「うふふ」と笑ってしまう。あなた、マックじゃあ使えませんよ。僕はそれを知り、頭に来てイヤホンひきちぎって捨てました。今じゃあただの携帯電話です。

 ああ。今日も徹夜で仕事をしてしまった。なんか、雨降ってるみたいな音してる。午後まで寝て、夕方までまた仕事をして、今日はさすがにちょっとだけスヌーカーしに行こうかしら……。

 人間て、ひょんなきっかけでえらく変わるものだな、と実感中。なんだか、人生の憑き物が大量に落ちてしまった気分。爽快だ。うふふ。


 三月九日(水)
 よく思うんだけど「絶対○○だと思うよ」だとか「絶対大丈夫だって、きっと」とか、そういう表現は、いったいどっちなんじゃ!

 フェローでの講義を聴いてフォーム送って下さった方、どうもありがとうございました。またあのような機会があればいいのですがなかなかないので、なにかあったらメールでも送って下さいませ。


 三月八日(火)
「今日は夕方までやったら仕事は忘れるぞ」と決めて、明川哲也さん主催の、中越地震義援金ツアーのファイナルライブ『月に唄うよ』へ。ずっと前から楽しみにしていたライブ。出演は、中川五郎さん鈴木亜紀さんSCRIPTのお二人。
 鈴木亜紀さんは相変わらずすてきだったし、中川五郎さんは相変わらず寂しそうだったし、SCRIPTのお二人はなんかものすごい人気者だった。いろんな音楽が聴けてとても楽しかった。ちなみに明川さんのTHE FUNDO-MENは、今回限りで解散になってしまうのだそう。残念だ。でも明川さんは、おかしな爺さんが蛇口から出すタコを食べながら「あと二ヶ月だけバンドを続けろ!」と言われる夢を見られたのだそうで、これは、天啓かもしれない。ので、あと二ヶ月どうでしょう? ちなみにベースのジェフ君は、大好物がサバからシシャモに変わっていた。
 ライブが終わったあと渋谷の魚民で打ち上げをし、閉店間際に、ブラッディ・マリーがおいしいすてきなバーに河岸を移す。五郎さんは、この段階で離脱。久々に会うことができてよかった。
 バーで二時間ほど飲み、今度は寒空の下、代々木公園にて震えながら青空飲み会。FUNDO-MENドラムのヒデちゃんが、他の人と(お名前失念失礼)おでんを買いに行ったっきり、一時間以上も音信不通になる。みんなで心配するも、結局は正常化バイアスがばっちり働き「ま、大丈夫だろう」ということに。  二時間も経つ頃には明川さんはすっかりまっすぐ歩けない状態で、それでもときどきシャッキリ立っては、遠く闇の向こうの人々に「一緒に唄おうよぉーーーーう! 一緒に踊ろうよぉーーーーう!」と叫んでいた。あと、浪々と『帰れソレントへ』を唄ったり。
 それにしても、SCRIPTの渡辺さんは好男子だった。本当にいい人。滅多いない。オススメです。ただ、僕もまだ知り合って間もないわけで、知らない面がたくさん。なので、ノークレーム・ノーリターンでよろしくお願いします。
 みんなで夜明けを見ようということだったが結局夜明け前に代々木公園を後にする。明川さんはもうへべれけで、ダッシュしてシャッターに体当たりしたりしていた。新宿で降りるみんなを見送り高田馬場に帰ってきたら、明川さんから電話。すぐ切れたのでこちらからかけなおしたら「シモンちゃん。がんばろう!」とひとことで切れた。

 やっぱ、たまにはこうやって仕事忘れてガンガン遊ばなくちゃだな。とても元気になった。友達最高。


 三月四日(金)
「生きていたい」というのは生まれた以上当たり前のことなのに、どこかで「生きて行けない」という強迫観念のようなものが生まれたのは、やはりフリーランスになって二、三年目のころだったか。
 食えない。食わなくちゃ生きて行けない。俺は食えなくて死ぬかもしれないのに、たとえ死ぬ寸前まで弱り切っていたとしても、道行く人の誰だって俺に食べ物を分けてはくれない。銀行の口座はすっからかんで、親に金をもらったり、女に金を借りたりして、その額が増えれば増えるほど、なんだか知らないが俺は意地をはって、仕事もないくせに名刺に「フリーライター」なんて書いたりしたものだった。
 だから、昔付き合っていた無職の女がぽろりと落とした名刺に「デジタルクリエイター」と書いてあったのを見つけたときは、いたたまれなくてたまらない気持ちになった。あの女は、自分には大した取り柄もないと知っていた。でも、自分には才能があるはずだと、なんとなく思っていたのかもしれない。だからああやって、実績や技術がないことを、自ら名乗ることによって帳消しにしようとしていたのかもしれない。そんなことを、今でもたまに思い出す。
 なんでそんなことが、あれから何年も経った今となっても鮮やかに記憶に残っているのかというと、それは、俺の姿がぴったり当てはまったからだろう。もしかしたら彼女は、本当に自分のことをデジタルクリエイターという職業であると思っていたからそうしていたのかもしれない。俺がほぼ確信に近い形でさっき書いたようにそれを思うのは、つまり、俺がそうしていたからっていうだけの話だ。そして、それが今でも変わらないからだ。昔と今ではずいぶん違うはずなのに、昔自分を眺めていたような必死な目で自分の姿を見つめることがやめられずにいるからだ。毎日は「生きたい」「生きて行けない」というやりとりの繰り返しの内に過ぎてゆく。誰かの悪い冗談に付き合わされているような被害妄想も、相変わらずつきまとう。だが今は、そんなものはすべてまやかしだと分かっている。ただ、ときどきみっともない虚勢をはることだけは今でもやめられず、その都度俺は、昔と同じような嫌な気持ちを感じて一日中気分が悪いのだ。そういうときに、決まってデジタルクリエイターが俺の前に姿を現すのだ。
「明日にはなにもないかもしれない」「一年後にはなにもないかもしれない」「俺は死ぬときに屋根のついたところで死ぬことができるだろうか」まるで、そんな言葉がプリントされた壁紙を貼り巡らせた部屋で過ごしているかのような、ここ何年か。
 よく人に言われるように、時間の自由がきくフリーの文筆業は、いい仕事だ。でも、けっこう大変よ。それでも、とても人間らしい生き方だなあと最近は本当によく思う。ああ、俺はこの夜空の上にいるのでしょうか。それとも下にいるのでしょうか。両手でぴしゃりと頬を打ち、ぶるりと首を振り我にかえれば、目の前にはまだまだ未訳了の原稿が、画面に煌々と映し出されているではありませんか。ナンタルチア。


 三月三日(木)
 Amazonに注文した本が、一ヶ月以上経っても届かないので「どうなっているのか」とメールを書いたら、翌日に送られてきた。なんだったんだ、いったい。ちなみにその内容は『えの素』全巻。やばい物を手に入れてしまった。  


 三月二日(水)
 図らずして、現在翻訳を進めている本の内容と同じようなことが、自分の身に起こる。自分の中の声に耳を傾け、自分が本当は誰なのかを探る。僕は長い間「経験を通して得たものは、良かれ悪しかれ手にしたまま生きるほかない」と考えていたが、それは単なる勘違いだった。僕は本質的に生まれたときからなにひとつ変わらず、ずっと僕のままだった。本当に単純で当たり前のことなのだけれど、なぜこんなに長い間、そんなシンプルなことに気付かずやってきたのか。その間に犯した間違いは多い。身に染みついたものを忘れることは大変だけれど、それでも、やっていかなくては。瞬間瞬間に自然に、瞬発的にふっと湧く感情をすべて変えてしまうことができたら、快感だろうな。
 その間に書き溜めた文章を読むと、本当に恥ずかしい。でも、僕は「その時その時の自分の状態で正直に書いてこそ表現」と思っている。僕は確かにひどい状態だったけど、そのひどい状態のことを、今は当時ほど上手には書けない。だから、そういう恥ずかしい文章にも価値はある。小学校の文章を取っておくのと同じことだ。そう思うと、一昨年に書いた長編小説が無性に面白くなり、ついつい仕事する手を休めて読み返してしまった。やはり、日記はこまめにつけておくべきだ。最近、ウェブの他に自分用の日記を、ちょっとしたきっかけでつけ始めた。超赤裸々。
 自分の体の周囲を取り巻いている粘膜の向こうで遊び回っている、昔からずっとそこに居続ける僕の感触に手が届きそう。そんなものがあるなどとは思っていなかったから、これは確かな感覚だろう。白い壁の色が、いつもと違って見える。景色が奥行きを取り戻してくる予感がしている。四月になったら、どこか海を見に行こう。そして沖をずっと眺めているのだ。


 三月一日(火)
 あわわ。三月になってしまった。仕事の〆切まであと一週間。引っ越しでドタバタしている間に、すっかり時間は過ぎているぞ。そんな中、今日はちょっとした用事で埼玉の実家に日帰り帰省。午後二時に到着し、午後七時過ぎに帰る。実家は今、歳を取った父の体に合わせ、増改築の計画が進行中で賑やかだ。父は、大学の定年が決まってからすっかり別人になった。今日は「悪かった」と言われた。「悪かったのか」と思った。

 以前にもお知らせしたけど、来週の火曜日(3/8)は、渋谷ラママにて、明川哲也さん主催の、中越地震義援金ツアーのファイナルライブ。中川五郎さん鈴木亜紀さんSCRIPTのお二人も参加でぜったいナイスなイベントになるので、ぜひとも参加し、楽しみながら募金してしまおう! ついでにその日は一晩中飲むぞ、多分。詳細は、明川さんのサイトに載っているので、興味ある人はどうぞ。まだ間に合うみたいです。

 今日はプリンターやらなにやらを接続し、空の段ボールをたたんでしまい込んだ。なんか部屋らしくなってきた。さてと、今夜はとにかく眠くなるまで仕事だ。