2004 04 05 06 08 09 12
2005 01 02 03

一言:

会社名などは敬称略で。
1日1フォームが元気の元。スヌーカーのフォームは腰痛の元。

 四月三十日(土)
 GW突入。とはいえ、まあ僕にはあんまり関係ない。早稲田通りは、サークルの飲み会に出かける学生たちでごったがえしていた。昼ごろのんびりと起きて、最近また始めた翻訳理論の勉強や語学関連の自習。とにもかくにも精進せねば。それが終わってからちょっとだけ小説を進め、夕方からちょっとした相談事を受けるため、近所の沖縄料理屋で友人とお食事をする。それにしてもほんと、人間関係のことって分からない。僕がのんびりし過ぎているというのもあるんだろうけど。でも、誰かが間違っていて誰かが正しいということはない。人それぞれ言い分があり、それを話し合って事情を理解し合えば、おたがい気持ちよく進んでゆくことができるはずなのに、溜め込んで、とつぜん爆発する人は多い。仕方のないことなのだろうけど、なんだか、オセロで打たれた絶妙な一手みたいに一気になにもかも変わってしまう様子は、見ていてただ呆気にとられるばかり。

 スヌーカーのワールド・チャンピオンシップ、僕が大好きなピーター・エブドンがロニー・オサリバンを破って準決勝に進出。12点のブレイクに5分半もかけたり(ロニーは五分二十秒で147点のブレイクを出したことがある)、テーブル上の球を見るのに審判の眼鏡を借りたりと、相変わらずのサイコっぷりを発揮するエブドン先生。賛否両論あるようだけど、元々エブドンってそういうキャラだし、特にいやがらせしたりしたわけではないと思う。この試合、観たいなあ。
 ちなみにエブドン先生は準決勝で敗退してしまった。7度の世界チャンピオンに輝いたスティーブン・ヘンドリー(いっこく堂)も負けてしまったし、今回のチャンピオンシップはかなり予想を裏切る展開。決勝は、ジョン・ヒギンズ、クリス・スモール、スティーブ・デイビス、そしてエブドン先生を破ったショーン・マーフィ選手と、ジミー・ホワイト、スティーブン・ヘンドリーらを破ったマシュー・スティーブンス選手だそう。個人的には、好きな選手を軒並み倒したショーン・マーフィ選手を応援したい。若干22歳なのだそうで、優勝したらすごいことだ。


 四月二十九日(金)
 GW突入。帰省しようしようと思いつつ、なんか一日飛びくらいで用事が入ってしまっているせいで、なかなか帰れず。明日くらいには帰れるか?

 2年くらい前に買って気に入っていたベルボトムのジーンズがすっかりボロボロになってきたので、新調することに。僕は衣類にはおおむね頓着せず「みっともなくなければいいや」程度なので、ジーンズの値段はちと高く感じる。それでもまあ、一本買えば当分はけるぞ、というわけで思い切った。9000円。去年どういうわけか激やせしたので、サイズも大幅にダウン。ひさびさにジャストフィットな感じで気持ちがいい。もっと早く買い換えればよかった。

 ここ十年くらいガムなど踏んだこともなかったのに、今日は2回も踏んだ。


 四月二十七日(水)
 僕は、毎日毎日スヌーカーばかりやっているわけではないですよ。と書いておかないとなかなか伝わりづらいのかしらと思い、書いてみる。最近フォームでよく「スヌーカー撞いているかお酒飲んでいるかですね」的なものを受け取るのだけど、確かに、ここを読む限りではそう取られてもしかたがない。でも、書いてないからって、他のことだってやってるのです。まあ、いろいろと。

 今日は午後に新宿プリンスホテルで明川哲也さんと待ち合わせ。今度もつことになっている翻訳学校の講義でゲストをお願いしており、授業内容についての打ち合わせをするのだ。僕はなんだか微妙に気分が冴えずに低調だったので、打ち合わせを終えてランチのために入った中華屋で、昼間ではあるがビールをいただいた。ちょっと普段の調子に戻った。なんか、適当にぱっと入った割においしいお店で嬉しかった。


 四月二十六日(火)
 午後三時まで自宅にて推敲の仕事をしてから、今度ブロードウェイ・コートというスヌーカーショップのメールマガジンに始める連載記事の打ち合わせのため、桑田君と待ち合わせして田端のスヌーカークラブへ。そのついでというわけでもないが、来月末の全日本に向けての練習も兼ねて、桑田君と撞く。この間の試合で松嵜さんから1フレーム取ったことでなにかが変わったはずと思っていたが、てきめんにちがった。20点代のブレイクが4発、そして自己記録となる39点ブレイク。惜しいことに、40点目となるレッドにポジションミスしてしまい「でも左を撞けば入る」と思って緊張したら、キューミス気味になってしまいブレイク終了。それにしても、今日は厚みがよく見えた。次回への手応えを感じつつ帰宅。今日みたいに撞けるのならば、予選通過も夢じゃないはず。

 例の列車事故、大変だ。僕はテレビをほとんど観ないのだけど、ふとチェックしたニュースサイトで知ったあまりに多い死者数に驚き、思わずつけてしまった。ひどい。血まみれの女性がうつろな目つきのまま担架に載せられて運ばれてゆく。あまりにも生々しい映像に、身も凍るような思いがした。事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
 イギリスにいたころ、やはり大きな列車事故があった。230名を越える人々が犠牲になった。ブリティッシュ・レールウェイズは「Sorry Is Not Enough(謝っても謝りきれません)」というポスターを全駅に貼り、イギリスじゅうの線路の劣化をチェックして回った。そういえば、コンコルドの墜落事故も僕の在英中だったな。
 ほんと、事故は恐ろしい。パリで起きた観光バスの転落事故も恐ろしい。一度、イギリスで高速バスに乗っているとき、運転手が急ブレーキを踏んでバスがスリップしたことがあった。あれは恐ろしかった。あれだけでも身の毛がよだつような思いがしたというのに、事故の起きた電車の中は、どんなだっただろう。考えれば考えるほど、なんともいえない気持ちになる。


 四月二十五日(月)
 最近知り合った某雑誌編集者さんと話しているとき、彼女が「前に仕事を頼もうと思ってたことがあって、連絡先だけはまだ持っている」と言っていたのが、僕が渡英前に付き合っていた恋人だった。びっくりした。世間て狭い。それにしても、彼女がそんなに立派なライターになっているとは驚き。フリーのライターにとって、そんなふうに評判が誰かに伝わるなど幸甚の限りだといえる。なんだか懐かしくなったら、久々に会ってみたくなってしまった。帰国してからはたった一度市ヶ谷で酒を飲んだだけで、それ以来、ほとんど音沙汰なし。特にここ2年は、おそらく一度も連絡を取り合ってはいない。かつて八年近くも付き合い、一緒に住んだことまである女性でも、時が経てばこんなものか。人の感情の、なんと儚いこと。「もうこいつだけは忘れられない」と思った女性も何人かいるけど、結局もう、みんな忘れてしまいかけている。思い出せないけれども、完全に忘れてしまった人だっているのに違いない。

 他のときに会った他の雑誌編集者さんには「田内さんに原稿頼みたいときもあるんですけど、安い原稿料では書いてもらえないからやめなさいと言われてしまう」と言われた。いったいぜんたいどうしてそんな話になるのか分からないけど、普通の原稿料でもちろんいいので、たまには雑誌の仕事もしたいものです。あのせっぱ詰まった感じというか、常に追われている感じ、結構好きなのです。翻訳はなんというか、漬け物の気分。

 今日の夕方にポプラ社の斉藤さんに原稿を送った。後で友だちとスヌーカーのビデオを観ていたら電話がかかってきた。「もしかして、今ビリヤード場ですか?」と言われたので、鋭いなと思いつつも「違いますけど」と答えたら、後ろで球を撞く音が聞こえたのだとか。いい耳をしてらっしゃる。「ビリヤード場ですか?」と言われたとき、なんだか秘め事を見つかった小学生のような気分になりドギマギしてしまった自分が、ちょっと可愛いと思った。


 四月二十四日(日)
 足立区入谷のクロスタイトリーにて、JSPCマンスリー4月。今月はなんとか一勝を心に誓って臨むも、初戦でいきなりランキング5位の松嵜直己選手に指名される(JSPCでは、若いカードを引いた順にトーナメントテーブルに入って行く。後から入る選手は、ある程度相手を選んで入ることができるという、いわゆる「K-1方式」を採用している)。
 第1フレームは、僕も松嵜選手もいまひとつ調子が出ず、どちらが取ってもおかしくないような展開のままカラーボールゲームに突入。ここからは、経験に勝る松嵜大先生が強い。けっこう惜しかったが取られてしまった(スコア的にはそんな惜しくなかった)。第2フレームになり、僕が先に調子を上げる。自分なりに上出来といった感じのブレイクを3つ出し、危なげなく取る。これは自分にとって過去のベストフレーム。第3フレームのディサイダー(つまり勝敗のかかったフレームのこと)では、セカンドフレームを落としたことでキレた松嵜選手がいやらしいポットをバシバシ決め、僕にチャンスらしいチャンスを渡すことなくズバッと取る。結果、1−2で僕の負け。
 今回はしかし、負けたとはいえ大きな収穫があった。先月までは試合が始まるやいなやメンタル的に崩れていたのだけど、今月は比較的落ち着いてプレイできたことだ。落ち着いていれば、チャンスを活かすことができる。これは大きい。確実に成長したという実感を胸に帰宅の途に着いた。自信につながる、いい初戦敗退であった。唯一取った第2フレームのおかげで、プレイが変わったはず。早く練習に行って、なにがどう変わったのかを確かめたい。

 優勝は、福田豊選手。端から見ていても調子が悪く、準決勝までは本当に「なんとか勝った」という感じで勝ち上がったのだけど、決勝では、逆に調子のよさそうな栗本選手を圧倒。2フレーム終えて2−0とリードし、3フレーム目を取られた時点ですこし流れを失いかけるが、そこはさすが。最後はハーフセンチュリー(50点を超えるブレイクのこと。だいたい70点も取れば勝負が決まってしまうので、とても大きい)を出されながらも堂々の逆転勝利。会場は大いに湧いた。試合が終わってからしばらくは、そこかしこからため息が聞こえていた。


 四月二十三日(土)
 仕事をし、練習をし、沖縄料理を食べる。明日はJSPCマンスリー、4月。誕生月の大会だけに、がんばらなくては。なんとかベスト8には残りたい。

 なにもかもが、常に新しい。


 四月二十二日(金)
 桑田君とエリックと一緒に車に乗っていたら、道路の脇に制服姿の女子高生が三人立っていた。三人ともショートカットで、アシックスの白いバッグを肩からさげていた。僕たちはちょうど赤信号に引っかかっているところだった。
「何部かな」僕が言った。「俺はバスケだと思うけど」
「俺、知ってんスけど」桑田君が言う。「ハンドっすよ。ハンドボール」
 僕も、なんとなくハンドボールかと思っていた。背が高くないからバスケやバレーと言い切るのはすこしためらわれた。そのときにふと「ハンドボール」という一言が頭に浮かんでいたのだが、ハンドボールなどといういまひとつマイナーなスポーツの部員に、こうもばったり町なかでお目にかかるだろうかという疑念のため、選択肢から排除していたのだ。正直、桑田君が「ハンドボール」と言ったとき、やられたと思った。
「あ、いや、違う」桑田君が彼女たちを眺めながら言った。「ぜったいソフト」
 その手があったか! 僕は胸の中で手を打った。
「よし、確かめようぜ」僕が言った。「通りすがりに訊こう」
「訊いていいんスか?」桑田君が言う。
「いいよ」僕が言う。
 わざとゆっくり車を走らせる。桑田君が窓から「ソフト?」と怒鳴る。彼女たちは、なにが起こったのかと一瞬とまどう。「ソフト?」桑田君がもう一度怒鳴り、彼女たちがなにか言い、桑田君が「バレーか!」とまた怒鳴る。

 バレー部でした。


 四月二十一日(木)
 寂しい話だが、どうにもならないことはどうにもならないか。一生ね。  すいません。また飲んじゃいました。


 四月十九日(火)
 早めに起きて午後まで仕事をし、午後からスヌーカーの練習をし、夜から人と会う。完璧な一日。今日は、高校時代に同じ学年だったイトウさんとお食事。彼女は一年生のときに退学してしまい、僕は残った。かれこれ15年振りにもなる。懐かしい。『Good Luck』のみならず『BLUE』まで読んでくれていて、なんか嬉しかった。今日は一軒だけで、はしごはせず。

 桑田君がMUSASHIにキューを持ち替えた。今までは、僕がかつて使っていたのと同じ、ジョン・パリスのトラディショナルを使っていたので、僕と同じ乗り換えルート。でも、彼のMUSASHIはヤバい! 特注品だけあって、すごいキュー・パワーだ。それに、スピンの質がめちゃくちゃクリーミー。ねっとりとした上質のスピンがかかる。僕はキュー切れがあまりいい方ではないのだけど、大して力を入れて撞かなくてもセンターショットで手前の短クッションまで余裕で引ききれてしまう。ここまで切れると、かえって難しそうだ。桑田君も非常につらそうに苦笑いを浮かべて撞きながら「うはぁ〜、帰りてぇ……」とつぶやいていた。見ている分には楽しかったが、これは大変そうだ。キューを持ち換えるというのは、ほんとに一大事である。

 仕事は、膨大な推敲作業。こないだ届いたゲラを見ながら、直すべき表現をひとつひとつコチコチと直してゆく。かなり根気のいる作業で、まったくもって煮詰まる。でも、ここをしっかりやれば、それだけいい本になる。時間はあまりないけどがんばるぞ。


 四月十九日(火)
 昨日は夜に知り合いと待ち合わせて酒を飲み、その後、馬場に戻ってきてからひとりで飲んだ。読者の方々から連日のように「飲み過ぎだ!」というお叱りフォームを頂くのだけど、しょうがないじゃん、飲む用事があるんだもの。今日も飲むよ。でもまあ、ほどほどに。

 それにしてもあれやこれやと、不条理だ。


 四月十八日(月)
 こないだ頂いた「Adam Japan Musashi」のワッペンをベストに貼る。わざわざ裁縫セットまで購入したのだけど、いざ始めてみたら死ぬほどめんどくさい。最終的に、「どうせスヌーカー用のベストなんだからいいや」と、思い切って瞬間接着剤で貼り着けた。ちょっと汚くなったが、ま、いいか。

 昨日の予選で実感したのだけど、普段と変わらないメンタルで撞くためには「のびのびとしたショットセレクション」と「慎重なショット」を意識したほうがいいようだ。試合になるとどうも萎縮してしまい「これを外したらチャンスを渡してしまう」と、普段ならば入れに行くようなショットでもついついセフティに逃げてしまう。でも、ショットセレクションでびくびくしているというのは、つまり試合に対してびくびくしているのと同じこと。結果はどうあれ、思い切って行ってしまったほうが結果的にもメンタル的にもいいことがあるはずだ。
 今のところ、普段は20点30点そこそこのブレイクがちらほら出るくらいにはなってきているのだけど(先日の37点クリアランスは本当に気持ちよかった!)、試合となると、それが8点9点止まりになってしまう。普段は気持ちにゆとりがあるからショットへの入り方、フォーム、ストロークなどいろいろ気をつけられるのだけど、試合では余裕がなくなってしまい、ついつい一連の動作が速くなってしまう。それが大きな原因だろう。はずした後にキュー先の方向を確かめてみたら、明後日のほうを向いていたなんてこともしばしば。これじゃいかん。

 午後三時より近所の喫茶店でポプラ社の斉藤さんと、五月末に刊行予定になっている『Letters To Me』(アレックス・ロビラ)の打ち合わせ。今回も、けっこう改稿しなくてはいけない箇所があり、来週火曜日にかけては忙しくなりそうだ。試合のための練習時間だけはなんとしても作らなくてはならないので、スヌーカーと仕事の一週間になりそう。


 四月十七日(日)
 九時過ぎに桑田君と高田馬場駅前にて集合し、田端のスヌーカークラブへ。JSPCマンスリーの予選だ。今日は、エリック、アイダさんに連敗したあと、長嶺さん、桑田君に連勝して予選通過を果たす。来週の日曜日は試合。応援とか観戦とか行ってみたい方、お連れします。ご連絡ください。

 予選が終わってから馬場にてエリック、桑田君と軽く飲み、そのままひとりで飲んでから帰宅。いつものバーに行ったら仲良しのバーテン君×2がいなかったので、一杯だけ飲んで帰ってきた。でも、なんかよっぱらってて、今はもうヘロヘロです。明日は午後からポプラ社とミーティング、その後夜には、前にお世話になった方とお食事の予定。今週は、人に会う用事がいっぱいある。

 なにがほんとなのか、さっぱり分からない。


 四月十六日(土)
 誕生日の夜にちょっとやんちゃして風邪を引いてしまい、深夜から今日の夕方にかけて、布団の中でうんうんうなりながら過ごした。ようやく元気を取り戻してきたころに、高田渡さんの訃報を知る。ご冥福をお祈りします。

 ポプラ社より『Letters To Me』(アレックス・ロビラ著、5月末刊行予定)のゲラが届く。明日から入念にチェックしよう。けっこう改稿箇所が増えそうで、今から気が引き締まる思い。

 明日はJSPCの予選。今日は風邪のせいで練習ができなかった。おとといの調子の悪さが気になる。リビングでキューを持ち、まっすぐ構える練習をする。これだけではどうしようもないが、なにかしないことには安心できないのだ。

 誕生日おめでとうメッセージを送ってくださった皆様、ありがとうございました。嬉しく拝読いたしました。ちなみに四月十五日って、ダ・ビンチが生まれた日でもあり、エドワード・ゴーリーが亡くなった日でもあるんですよね。あと、タイタニックが沈没したのもこの日です。


 四月十四日(木)
 31歳の誕生日を、スヌーカークラブにて迎える。ちょうど石原君のブレイクの途中。ブルーをスポットに戻しながら「シックス」とカウントしたのが、15日になったところだった。ちなみに、そのフレームは落とした。石原君、誕生日なんだから手加減しろよな! 今日はとにかくはずしまくり、あとでセンターショットをしながらストロークを確認してみたのだけど、要は、構えるときに先球を見ずに上体を倒していたことが原因だった。それを怠ると、どうしてもキュー先が右に向いてしまい、いかん。

 誕生日のお祝いを1通だけ、携帯電話に頂いた。ありがとちゃん。帰り際、またまたいつものショットバーに寄り道し、「今日バースデーです」と自己申告。バーテンの久三君に祝って貰った。ありがとう。

 フェローアカデミーの講義に参加したいとフォームを送ってくれた方。まだ受付は始まってないですが、たぶんもう申し込んでしまっても大丈夫なのではないかと思います。ご連絡ください。僕のほうから問い合わせいたします。

 さてさて、今日はもう寝ようっと♪ もうそろそろ朝の四時だし。


 四月十三日(水)
 二日酔いの頭を抱えたまま夕方まで眠ってから起床。東西線南北線とすべての方位の電車を乗り継ぎ、六本木一丁目のDHCにて翻訳関係の講義をしてきた。おお、溜池山王の隣じゃん。ビシっとスーツを着ると、なんだかこれから試合に行くみたいな感じになる。必要ないのに、つい落ち着かず、ベストまで着てしまった。でもそのほうがカッコいいぞ。いろんな人に推奨していきたい。キャッチコピーは「ベスト・イズ・ザ・ベスト」。
 今回は(つか今回も)、翻訳業やフリーランス業についてあれこれ話し、実際に短い詩の翻訳などをしていただき、あれこれ解説した。やっている側は楽しかったけど、はてさて、受講者さんたちの反応やいかに。それにしても、90分間喋るのって大変。帰り際、たまたま南北線で一緒だった受講者の方と食事をしてから帰宅。また飲んでしまった。今日気づいたのだけど、生ビールって4杯くらいでけっこう酔っぱらうのな。今後は気をつけたい。
 そういえば、以前フェロー・アカデミーにて行った講義『翻訳のための下ごしらえ 〜四つ葉の苦労話!?〜』のルポが、同校のサイトに掲載されました。ご興味ある方はどうぞ。6月末から同校で始まる全四回の講義の構想もおおむねまとまりつつあり、我ながらすごく面白そうな内容。参加者、集まるといいけど。

 しかし、明日も明後日も用事があるから、なかなかスヌーカーの練習の時間がゆっくり取れない。今週末には予選が控えているだけに心配だ。今月はどうしても予選を通過して本戦に進みたい。で、本戦の空気に少しでも慣れて、五月の全日本を迎えたいのだ。全日本では予選突破もちょっと厳しいと思うけど、がんばろう。


 四月十二日(火)
 今日は新宿サムタイムにて、初めて会う人たち3人とスヌーカー。たまたま自分のキューが手元にあってほんとよかった。「きたー!」「かんぺき!」「薄いヨッ!」などなど、耳慣れたセリフがそこかしこに飛び交い、なんともスヌーカーらしい空気。あのお方の影響はすさまじいな。それにしても今日は寒かった。

 夜中にまた昨日行ったショットバー(『アウトサイダー2』という、アメリカ映画みたいな名前)に行ってしまった。前に来たのはもう2日くらい前かとばかり思っていたら「昨日ですよ」と言われてしまい、「うそ、あれ昨日だった?」と聞き返しても、断固「昨日です」という返事しか帰ってこなかった。悔しいから、あと2回くらい確認した。そのバーのバーテン君に、このサイトの存在がバレていたのでビックリした。
 なんだかんだでけっこう飲み、またしてもへべれけになってしまい、フラフラで帰宅。またもやまっすぐ歩けないほどの有様で、二日連続の深酒に、反省。すいませんでした。


 四月十一日(月)
 朝の九時前に、イマイアキノブ君から電話がかかってきて目が覚める。
「あ、シモン君? 俺今下北沢いるんだけどさ、こっちは今、夜なわけよ。で、シモン君も夜なんじゃないかなあと思って電話してみたんだけど、夜? 今から来ない? あ、でも俺たちあと三時間くらいしかいないから、また今度かな。じゃあね」と、寝起きの頭にはちょっと難しい電話だったが、なんか久々に会いたくなった。
 夜の七時に新宿で中川五郎さんと待ち合わせして打ち合わせがてら十時くらいまで酒。六月末からフェロー・アカデミーにて持つことになっている全四回の講義の最終日に、ゲストとして来ていただく予定なのだ。その後高田馬場で最近行き始めたショットバーにひとりで行って二時くらいまで飲んだ。「ペルノーでなにか作ってください」と頼んだところ、ペルノーとウイスキーとウォッカの入った強烈なカクテルが来て、あれがガツンと効いた。おいしかったからいいけど。
 すっかりフラッフラになり、夜の早稲田通りを電柱とかにぶつかりながら歩いて帰宅。そのまま気絶するように眠ったつもりが、目が覚めてみたら、なんかわけの分からないメールを友人に打っていた。まあ、ありがち。

 昨日の日記を読んでくださった方から「そういう生活してると気持ちが荒ぶと思います」というフォームを頂いた。確かに荒ぶ。いや、荒んでいるからこうなのか。どっちがどうなんじゃない、という感じなのだけど、でも、よくよく考えてみればずっとこんな感じであったような気もするし別にいいのかな、などと思わないでもない。しかし、たまにはパスタくらい自宅で茹でられたらステキだなあと思ったので、今日は鍋類を新調しに行く予定。お皿だけはやたらかわいいのが買ってあり、戸棚の中で使われるのを待っている。ムーミンとピーター・ラビットです。


 四月十日(日)
 ハンデ戦はすぐ負けた。残念無念。

 フリーで自宅にて過ごす独身生活も長くなってくると、お腹がすいたり眠くなったりしても、その辺の処理方法にこだわらなくなってくる。「別に食べなくてもいいや、どうせ明日もお腹すくんだし」とか「別に布団じゃなくてもいいや、どうせ寝ちまえば同じなんだし」とかいった具合に、美味しいものを食べようだとか、充実した睡眠が取りたいだとか、そういう気持ちがなくなってきてしまうのだ。最近は、人と会わない限りはまともな食べ物を口にしなくなってしまった。だいたい、コンビニのソーセージとか、パンとか、お菓子類である。よくないとは思っているのだけど、楽だし早いのでついついこうなってしまう。
 だから、友だちのデザイナーであるハマダとか見てると、思わず尊敬してしまう。毎日自炊してるだなんて、偉すぎる。きっと、ちゃんと寝てるんだろうな。

 今週は割と忙しく、明日は中川五郎さんとちょっとした打ち合わせ、13日はDHCの講義、14日はちょっとした取材がウチに入ることになっている。火曜日は前々から約束していた、ちょっと楽しそうな方々と会う。来週はもしかしたら、どっか小旅行に出て来るかも。


 四月九日(土)
 今日は昼過ぎに桑田君がやってきて、夕方ごろに一緒に足立区入谷の『クロスタイトリー』へ。福田豊さんと三人でやっている練習会だ。当然のごとく福田さんからは1フレームも取れなかったが、まだまだはじめたばかりの頃に一緒に撞いたことのある某氏と対戦し、自分の進歩を実感する。夜の九時くらいまで撞き、終了。
 クロスでは桑田君と撞けなかったので、帰り際に『スヌーカークラブ』に寄り、7フレームほど撞く。1フレームだけ取れたのだけど、これが今までのベストフレームとなった。ロングポットからチャンスを作り、それなりのブレイクを出して逃げ、最後はきっちりカラーボールを取って勝つ。もちろんミスはしたけれども、おおむねプラン通りであった。快感。今や日本で第一人者の仲間入りを果たした桑田君から、たとえひとつでもフレームを取れると、ほんと自信につながる。今日は23点、27点と、自分にとってそこそのブレイクが2つ出た。いい気分だ。23点のブレイクは、意識してしまい30点目となるブラックをはずし、27点のブレイクはどうにもならず、最後のレッドをイレイチ(的球を入れるのを最優先し、次のコントロールまでは考えないこと)して終わった。
 ちなみに今年の夏前のどこかで、桑田君、朝倉さんというスヌーカー面子にて、ポエトリー・リーディングのライブをやろうと話している。実現したら楽しそうだ。
 今日は桑田君がそのまま泊まりに来て、明日は一緒に試合にゆく。男性が泊まりに来るなどまったもってイレギュラーなので、なんか新鮮だ。ソファベッドが初めて役に立つ。


 四月八日(金)
 鉄割アルバトロスケット、最高だった。僕はなんか性分で、ライブや演劇が始まると、どんなに楽しくてもどこかで「早く終わらないかな」と思ってしまうのだけど、鉄割は、最後までとても純粋に楽しむことができた。渡部君が舞台に立っている姿を見るのもこれが初めて。知り合ってもうずいぶん経つけど、いいものだった。
 終わったあと、ふたりで下北沢の居酒屋に入り酒を飲む。彼はゴルフの話、僕はスヌーカーの話。でもふたりとも似たような観念で取り組んでいるため、お互いぜんぜん違うことを話しているはずが、その裏側ではビタで話が合っている。本当に渡部君は面白い人で、なんか魂で通じ合う感じのする、数少ない友人のひとりでもある。飲んでたらふたりとも球を撞きたくなったのだが、下北沢のビリヤード場は閉まるのが早い。というわけで、終電に間に合ううちに新宿へと移動。サムタイムでちょっとだけスヌーカーを撞き、あとは始発までポケットを撞く。ただし、ふたりともけっこう飲んでいたのでグタグタ。

 それにしても、鉄割いいぞ。日曜まで下北沢の駅前劇場で公演をやっているので、ぜひ行ってみてください。特に、最後に大量の長ネギで殴り合うシーンとかは最高だった。あとはとにかく、先生シリーズの、ゆで玉子に関する講義は絶品である。


 四月八日(金)
 今日は初めて、鉄割アルバトロスケットの公演を観に、下北沢にゆく。ほんとは昨日の予定だったのだけど二日酔いがひどく、今日にした。できたら久々にRINNEにも顔を出すとしよう。あと、五郎さんが寂しそうなので、電話してみようっと。でも渡部君に会うのは久々なので、もしかしたら彼と飲むかも。もしかしたらまた、朝まで9ボール勝負になるかも。もう負ける気はしないな。
 最後に渡部君とビリヤード勝負をしたのは、去年の五月くらいのこと。当時の僕と彼は腕前的にほぼ互角で、いつやっても、何時間やっても、勝敗数はものすごい僅差だった。五月のときも、38×38まではほとんどきれいに交互に取り続け、そこで渡部君が力つきて、最終的には僕が7勝差くらいつけた。あのころ渡部君のゴルフ狂いが加速し始めていたころで、構えに入った僕の視線の端で、キューをゴルフクラブ代わりに素振りをしているのが見えた。それを見た瞬間「こいつにだけは負けちゃいけないんだ」と思ったのを、今でも憶えている。

 なにごとも、知る前にはなんてことなく生きていたことばかり。知ってからは、それを無くしては生きていけないような気になる。でもそんなのは幻で、またそれが無くなったとしても、ちゃんと生きていける。

 スヌーカー界のデイビッド・ベッカムとの呼び声も高い、現在世界ランキング4位のポール・ハンター選手が、ガンの宣告を受けた。三年前には他の部分にガンが出来、それを切除する手術を受けていたのだけど、再発するとは。本人は、四月十六日より始まるワールド・チャンピオンシップには出場すると言っているらしいが、どうなるだろう。



 四月七日(木)
 昨日から今朝にかけて、翻訳家の高橋秀和氏、その元教え子の方2名と酒を飲む。前にちょっとしたきっかけで知り合うことができたのだが、対面するのは今回が初。高橋氏はとても話が面白く、いい人だった。自分の好きな分野を持っている人は、やっぱ強いな。日々の生活の流れの中からふらりと抜け出し、いいリフレッシュをすることができた。

 あれよあれよという間に桜がすっかり満開。今日は、桜の枝を折って警官に追いかけられている中年男を目撃。こんなエピソードも、春ならでは。つい先日まで感じていたあの気持ちの落ちつかなさは、季節の変わり目ゆえだったか。今はようやくどっしりと落ち着き、いい気力を保ちながらこうしてキーボードに向かうことができている。動悸もようやく鎮まったようだ。ああして混沌とした日々の中で感じたことを整理しながら、気ままにカタカタとあれこれ書きつづる。こういうことが、後々必ず役に立つのだ。


『わたしという人間』

 わたしという人間は、
 わたしが日頃からこの目で眺めている
 多くの人々のうちのひとりであるに過ぎません。

 歩行者信号が青になるのを待って
 じりじりしている人々の中に、
 ようやく青になり急いで
 道路を横切ってゆく人々の中に、

 わたしはとなりの誰か知らぬ
 グレーのスーツの前を開けたままにしている
 中年男と同じくらい当たり前に
 混ざっており、
 わたしはそれをどこからか眺めているのです。

 わたしが自分について考えることの
 多くは幻か虚言なのであり、
 それを公言してみたところで、
 誰かがわたしという人間を判断する上での
 ヒントにはなり得ない。

 往々にして、
 自分を面白いという人はつまらなく、
 つまらないという人こそ面白い。
 自分は変人であるという人ほど凡人であり、
 凡人であるという人ほど変人であるものです。

 だから、
 わたしが自分から
 「自分はこうである」などと言うことには、
 まったくなんの意味もないのです。

 わたしという人間の輪郭は、
 わたしが思うから出来上がるのではなく、
 人が思うから出来上がる。
 その輪郭にケチをつけたり
 「それはちがう」と異議をとなえてみたところで、
 きっとなにも覆りはしないでしょう。
 どうせわたしが自分に対して思う
 「自分はこういう人間である」などという
 考えのほとんどは、
 「自分はこういう人間でありたい」という
 願望にしか過ぎないのですから。

 だからわたしのことならば、
 どうぞ
 あなたがご自由に判断を。
 それがわたしの姿なのです。

 わたしは投げやりなのではありません。
 その逆に、丁寧なのです。


 四月六日(水)
 ハーフ・センチュリーの壁とともに、ほかの壁もなんかひとつ越えた。ふう。一息だ。よき意志させ忘れなければ、道はどんなにジグザグに続きその道程でなにがあろうとも、結局いちばん大きなものはいい方向にしか向かっていかないはずだ。ふとクールに考えてみれば、これまでもそうだった。瞬間的な感情の波に左右されることのない、丈夫な意志を自覚しなければ。

 こっちにスヌーカーの話題もまとめちゃう話、エリックが「いいじゃん!!」というので、実行します。エリックは僕の友だちで、日本人みたいな日本語を話す香港人。いいヤツです。でもよく考えたら連絡先知らないな。いつもスヌーカーで会うから不自由感じたことなかったけど。というわけで、エリックは連絡先を知らせてください。今度飲もうぜ。


 四月五日(火)
 なんか、顔写真を見た方々からドえらい反響で、帰宅して驚きました。フォーム、十通越えてるんですが。ちなみに髪が立ってるのはオシャレではなく寝癖です。それと、たくさん撮っていちばん写りがいいのを選んだので、本物は別にいい男でもなんでもないです。その証拠に、ほっとんどモテません。つか、ぜひとも講義いらしてくださいね。翻訳のちょっとした実習めいたものもやります。たぶんマザーグースから短い簡単な詩を一編。辞書が必要ないよう、単語の意味はぜんぶ説明します。ゲームだと思ってぜひどうぞ。あとは、いろいろお話とか。で、講義終わったらいい時間なので、夕食がてら、そのへんか新宿あたりで飲み行きましょう。

 去年の十一月から大急ぎでやった小説の仕事、なんかダメになりそう。とあるバンドのとある曲を元に、とあるテレビドラマの脚本家の方がとあるシナリオを書き、とあるつてでとある僕にとある仕事の依頼が来てそれを小説化することになったのだけど、そのとあるバンドから「タイトル使っちゃダメよ」と言われてしまったらしいとある。僕としては企画の段階で「現時点でバンドからのタイトル使用許諾を貰ってください」と念を押しておかなかったので、それが失敗。あの労力は、水泡に帰すのか。もしもこの仕事が本当に頓挫することになってしまったら、この二年間で「仕事はしたが刊行されなかった本」は、合計で3冊になる。なんともやりきれない話だ。

 今日はスヌーカーで、自分なりにちょっとした記録を達成。ものすごく興奮している(ラインナップで57点のブレイクを出した)。小説のほうも、ずいぶんといい感じだ。スヌーカーと文芸、僕にとってはもっとも大事な二本の柱といえる。ちかごろ、それ以外のことはまったくしなくなってしまった。「ほんとにこんな生活でいいのかしら」と思うけど、やはり、これでいいのだと思う。ちなみに、どちらも同じくらい本気で取り組んでいる。どちらが趣味で、どちらが本業でとか、そういうことではすでに無くなってしまった(まあ、スヌーカーは仕事にはなってないけど、当然)。
 というわけで、主に八王子方面で不評だったスヌーカー関連日記だけど、今月末からこちらに移行してくることになると思うけど、いいよな?


 四月五日(火)
 午前十時から寝て、午後二時半に(兄からの)電話で起床。(姪の)花子がちゃんとしゃべってるの、初めて聞いた。「パパ、怖い」だった。その後、花子の叫び声のような声とともに、兄の「米を投げるのはやめて! 米を投げるのはやめて! あ、手伝ってくれようとしてんのか!」という声が聞こえ、(電話が)終わった。どんな手伝いだ。
 朝方、ポプラ社に手直しした原稿を送ってから寝たはずだったのだけど、目が覚めてみたら(担当の)斉藤さんから「予知者というファイルが来てます」というメールが届く。それ、僕の処女作じゃんな。「間違えました」と平謝りしつつ、(正しいファイルを)送信。

 今日はこれから朝倉さんと会う。食事してから行くべきか。
 あと、(体重が)五十キロ代に! いろいろ大変だし、今もまあ大変なんだけど、(これは単純に)嬉しい。

 今月13日にDHCにて行うセミナーの告知が始まりました。すごい。JSPCのランキングまで載ってる(自分で書いといて)。「はあ? シモンがDHC? 化粧品?」とか思ったアナタ。DHCは「大学翻訳センター」の略ですぞ。トリビアにも出たらしいよ。


 四月四日(月)
 さっきあんなこと下の日記に書いたのに、やっぱこの具合の悪さはどうしようもないな。心臓が打ちすぎて苦しい。メンタル的なものであると分かっているだけに、情けない。


 四月四日(月)
「移転するのならばちょっとデザインでもいじろうかなあ」などと思っていたのだけど、いざとなると面倒で、結局丸のまま移転。「サイトのデザインを変えたい」というのは、ウェブマスターが飽きているからだけであって、見ている人はまったく気にしていないのが普通である。

 今日からは、小説を一本書き始めた。中編になるか、それとも長編になるか。今年は1月になったときから「気合い入れて今書けるベストのものを書こう」と決めていたのだけど、ようやくそのときが来たのか。文字通り胸にぽっかりと穴が空いてしまった男が、抜け落ちたものを探しながら旅をしていく話。ちゃんと小説を書くのは一年半振りくらいのことだけど、ふと書き出しを作ってみたら自然に三人称になっており「おー、時も過ぎたねえ」と実感する。前までは、なにげなく書き始めると、決まって一人称だった。
 できないことはやめようと思うと、できることが見えてくる。

 先日、ポプラ社の斉藤さんから『もうひとつのグッドラック物語』という本が送られてきた。『グッドラック』を読んでくださった読者の方々からとどいたお便りをまとめたものだ。ここしばらくの多忙とパニックで読まずに机の上に放置しておいたのだけど、今日、なにげなく読み始めてみた。
『グッドラック』について言えば、僕は著者ではない。だから「グッドラックのシモンさん」みたいに言われても、なんだか申し訳ないような気がして、素直に喜ぶことができずにいた。でもこの本を読んで、とても素直に感動してしまった。自分の仕事がこうやって人々の手に渡っていったのだと思うと、胸が詰まるような思いになった。なんだか泣けてしまうエピソードもいくつも掲載されてあり、それを読むと、自分がちゃんとこの仕事をできたことに、今さらながら胸をなで下ろすような気持ちになった。今までこんなにリアリティを持って感じたことはなかったが、この仕事をしていて本当によかった。部屋でコチコチ書き続けていると本当に気分が滅入ってくるけれども、そんなのは小さなことだな。この人の体を借りて物を書くことができている僕という精神よ、もっと勇ましくあれ。動悸が収まらないのは、心臓が動いている証拠ではないか。
 ここ最近の僕は、まったく僕らしくなかった。卑屈であり、臆病であり、あらゆることに対してネガティブであり、なにか周囲でトラブルが起こると「それはすべて自分のせいなのだ」と自分に言い聞かせ、都合のつく原因を頭の中で作り上げ、その非を認めて胸の中で謝罪することで、なにかに許されようとして必死になっていた。無論、僕は長らくそうやって生きていた時期があるのだから、それを「僕らしさ」と言うことはできる。でも、僕が子どものころに感じていた自分の姿とは、もっと別のものだったはず。魂にこびりついた経験というヘドロの奥に手を伸ばしてその姿を引っ張り出すことは容易ではないけれども、肉体から離れた個人の精神の本質的なものが一生変わることがないのであれば、いちばん最初に感じた僕らしさこそが、もっとも自分に近い姿であるはずなのだ。


 四月三日(日)
 徹夜でスヌーカーの試合に出て、そのまま寝ないで深夜まで酒を飲んだら、すげえ酔っぱらった。でも、飲みに行っただけのことはあったな。

 大きいのは、去年から今年にかけて自分の周囲に起こった状況の変化だろう。グッドラックの波に飲み込まれるようにしてザザザと押し流され、プハッと顔を上げてみたら、なんだか別の場所にいたよ、という感じ。そこはよく似た別の場所で、なんだか考え方も生き方も、ちょっと前とはちがうみたい。そういう変化に対応していくのには、自室に閉じこもって作業を続けざるを得ない仕事というのは、非常に向いていない。返ってこないソナーを打ち続けているような気持ちになってくるのだ。
 が、昨日今日とでずいぶんと人に救われた。ありがとう。普段とはまたちょっと違うような話をして、なんか自分の中でいろいろ確認することができた。それにしても、スヌーカーの人とスヌーカー以外の話をすると、ハッと「あ、そういや俺、この人のことあんま知らないな」と、今さらながら気づく。ほんとスヌーカーの人たちはいい意味でバカな人が多く、試合の日などは一日12時間くらいも下手をすれば一緒にいて、球を撞いているか、球の話をしているかのどちらかだ。どちらでもないときも稀にあるが、そういうときはたいてい球のことを考えて黙っている。「まあ、普段からみんなこんなじゃないよな」とは思うけど、非常に疑わしい人がいるのも事実。
 でも「知らない」って言っても、なにかしらの形で接しているだけで、ずいぶんと伝わっていることもある。そして、後になってからいろいろ伝わること、知ることのすべては、その人に会った第一印象を裏付けるためのものであることが多く、第一印象を覆すようなことは、あまりないように思う。気のせいかしら。もしかしたら、忘れてるだけかも。


 四月二日(土)

ほっほーう!


 四月二日(土)
 幸福とは、
 自分が
 なにに愛情を注ぐことができるのか
 自覚し、
 それに
 愛情を注ぐことが
 できることだ。

 平和とは
 誰もが
 幸福であることだ。