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 四月三十日(日)
 JSAマンスリー四月。全日本の前哨戦ともいえる今大会に参加してきた。首が不調でどうしようかと思っていたんだけど、思い切って参加。結果はベスト4! 福田豊選手に敗れてしまったものの、自分としては健闘できた。つーか、勝てた。惜しかった。でも上出来だ。これだけ練習不足でもこれだけ結果が出るというのは、自信につながる。今年に入って、たぶんまだ20回くらいしかスヌーカー撞いてないものな。五月からはまた練習するぞ。

 今夜と明日で、次の仕事がいよいよ大詰め。あと残すところはほんのわずかなので、明日は夜までに終わらせてゆっくりおいしいものでも食べに行くつもり。で、明後日から校正! もう一息!

 夢で、スヌーカーの福田正平選手が「ウド鈴木にぜんぜん勝てなくなっちまったんだよ」と、キューを握りしめながら本気で悩んでいた。目が覚めてからウケた。


 四月二十九日(土)
 スヌーカー・ワールドチャンピオンシップ、決勝の顔振り決まる! ピーター・サイコ・エブドンと、グレイム・アンヘルシー・ドット! やべー、俺どっち応援すりゃいいんだ。どっちも超好きだ。


 四月二十八日(金)


 仕事の骨休めに『ウルトラマンティガ』を一から観直してるんだけど、これはやっぱ名作だなー。ウルトラマンシリーズの映像の美学って、ほんとすさまじいと思う。こうやって時代を経てみると、やっぱ主題歌がV6だったっていうのが致命的にもったいない。あと、ヤズミ隊員がもっとうまい俳優さんだったら良かった。ちなみに主題歌がV6なのはもったいなくても、主演の長野博はすっげーいい。歴代ウルトラマン主人公の中で、いちばん好きかも。

 ちなみに僕が盛んに観ていたのはティガとダイナまでで、ガイアからはなんか離れちゃいました。コスモスちょっと面白かったけど、そんなに観なかったな。

 来月10日に仕事が一段落するのだが、そしたら一気に全話観て、それから今度は、平成ガメラシリーズ三部作を丸かじりする予定。ちなみにこの三部作『大怪獣空中決戦』『レギオン襲来』『邪神覚醒』はほんとに面白いから、ファンじゃなくても観たほうがよろしいと思う。個人的に、最後の『邪神覚醒』はちょっともったいなかったかな、という印象だけど、前2作はすごいぞ。3作目では、体中の体液をぜんぶ吸い取られてミイラになってしまう仲間由紀恵が観られます。


 四月二十五日(火)
 夜中の二時まで仕事をし、朝六時半に起き、また仕事。今日は原稿の半分以上という折り返し地点を迎えるため、三時間だけスヌーカーを撞いてよいことにする。スヌーカークラブの店番も朝倉さんだし、田端に行くことだけを楽しみに、午後二時過ぎまで仕事をしてから出かけた。
 で、不忍通りで信号待ちで停車してて、どっかで急ブレーキの音がしたなーと思ったら、そのまま後ろからドッカン。愛車ボッコボコ。オマケに首いてぇ。ようやく出かけたら、なにこの仕打ち。撞き比べをしようと思って持ってきたキューを三本抱えて歩きながらやり場のない怒りをこらえてたら、マジ涙出そうになった。せめて、球撞いた後にしてくれればいいのに。

 駒込警察署のおまわりさんに「それ、スヌーカーのキューですよね」と話しかけられる。話してみると、いつもプレミア・スヌーカーリーグを観てらっしゃるとのこと。いつも福田豊さんと練習してますよと言ったら、驚かれた。ネームバリューすげえ。

 つーか、今日はそんなわけで、めちゃくちゃ落ち込んでます。



 四月二十二日(土)
 仕事仕事で気づいていなかったが、明日予選だ! 昨日酔っぱらって転び(中川五郎さんみたい)、左手を思いっきり地面についてしまったせいで、ものすごい左腕が調子悪い。明日やばい。スヌーカーをやる上ですごく大事な小指薬指あたりがめちゃくちゃ痛い。明日には多少マシになっていますように。にしても、今月はほとんど練習してないな。たぶん、3回しかスヌーカーやってないよ。五月頭に今の原稿終わったら、しばらくガツンと撞きこまないとだな。五月は全日本あるし、予選までに仕上げたい。

 さて、もうちょい仕事してから寝るか。


 四月十八日(火)


 誕生日プレゼントに兄からもらった! イギリスのローカル・スヌーカーリーグの勝利メダルを使ったアクセサリ。1950年と刻んである。かっこいい。GUILDFORD SNOOKER LEAGUE と裏に彫ってあるのだけど、調べてみたら、GUILDFORD AND DISTRICT SNOOKER LEAGUE というリーグ戦が見つかった。たぶんこれじゃないかな。1949年から始まったそうだから、もし同一リーグだとすると、初期のころのメダルだろう。「WINNERS」と彫ってあるので、たぶん一戦一戦の勝者に贈られていたとか、そんな感じではないだろうか。なんか、心強いお守りを手に入れた気分!


 四月十八日(火)
 二本同時進行中だったが、片方にだいたいのメドがつく。とりあえず、作業自体は終了か。これで残る一本に本格着手できる。二本やっていると、一方からもう一方に頭を切り換えるだけでもそれなりに時間がかかるので、単純に時間が倍以上かかってしまう。そしてジレンマも大きく、だからストレスも大きい。でもこれからは大丈夫。もう一息だから、がんばろう。とりあえず明日(というか今日か)は、ちょっとだけ息抜きしようか。体調があんまよくない。


 四月十六日(日)
 午後三時に起きて仕事をし、夜夕食を食べに出かけ、帰ってきて仕事をし、十一時から深夜一時まで眠り、そのまま仕事をして、現在は月曜の朝八時。今は、ゲラ・チェックと呼ばれる作業。翻訳した原稿が実際のページのようにデザインされてきたものを読み返しながら、修正箇所を探す作業だ。今やっている本は原書が四〇〇ページ以上ある大物だ。俺の誤算は「日本語に翻訳するとページ数が一・二五倍〜一・四倍くらいになる」ということだった。日本語版の総ページ数は六八〇ページほど。現在四〇〇ページを超えたところ。がんばれば今日じゅうには終わるだろう。これが終わったら、他の本の翻訳作業。その目標が今週いっぱい。それさえ終われば、大きな山をひとつ越えたことになる。加藤登紀子のCDを聴きながらがんばろう。

 五月二十五日に、隕石が地球に衝突する可能性があるようです。


 四月十五日(土)
 おかげさまをもちまして、三十二歳になりました。

 最近の僕のトレンドは、その名も『盗聴者に挑め』。部屋で仕事の合間などに、盗聴器が仕掛けられていると仮定して「あー、もういい加減にしてくんないかなあ」とか言ってみたり、カメラが仕掛けられていそうな場所をじっと見ながら「分かってんだよ」とか言ってみたり、そんなことをしています。


 四月十四日(金)
 どうする、アイフル?


 四月十四日(金)
 明け方まで仕事。起きてからまた仕事。周囲にも救われ、なんとかめどが立つ。でも、まだまだ。がんばろう。今日は三十一歳最後の日。明日の誕生日も、仕事しながら過ごすんだろうな。でも夜は、ちょっとだけ美味しいものでも食べに行くつもり。今週も結局、スヌーカーの練習できてないな。まあ、あとすこしの辛抱。なんか、方々にメールのお返事など遅れておりますが、すいません。

 ランチついでにぶらっと書店に寄り『私自身の見えない徴(しるし)』(エイミー・ベンダー著、管啓次郎訳:角川書店)を購入。ものすごく面白そうな一冊。今回の締め切りが終わったら、すぐに読みたい。


 四月十日(月)
 完全に調子崩した。しばらく誰とも口ききたくない。来週いっぱいまでは仕事だけします。誕生日も、祝ってるヒマなさそうだ。


 四月四日(火)
 すいません。日記放り出してます。「仕事→睡眠」で片づいてしまうので。でも息抜きに『ナルニア国物語』観てきました。これ原作好きだったので、とても楽しめました。オススメしておきます。あちこちすっ飛ばしちゃってるのは、まあしょうがない。2時間の枠に収めるにはいたしかたないことでしょう。もう一回観たいな。スクリーンで観ることをオススメします。続きも早く観たいな。

 ナルニアを観てすごく感じたのは、CGと翻訳の似ているところ。「いい翻訳ですね」と言われるのと「CGがすごいね」と言われるのってけっこう似ている部分があり、褒められてはいるのだけど、ちょっと目立ちすぎ、みたいな。
 たとえば映画を観ているときに「うわあ、このCGすげえ」と思った人がいたとする。するとそのとき、その人の注意力は作品そのものよりもCGに向かっていってしまっているので、これは失敗だ。純粋に「作品に表現されているもの」だけを感じ取ってもらうのがいちばんの成功だということを考えれば、そこに携わったスタッフの腕前が光ってしまっては、あまりよくない。目立たないことこそが最大の技術。ナルニアでは、その技術が非常にレベル高かったように思う。ビーバーとかキツネとか、そういうキャラはまあしょうがない部分があったにしても、それ以外はほんとにすごかった。ケンタウロスとか、普通に「あー、どっかから連れてきたな」くらいの説得力があって、まったく違和感なかったし。

 今年の正月、地元に帰って、子供のころから毎年初詣に行っている寺に行った。そこの境内の中央に、ものすごく年寄りの大きな木が立っている。何本もの太い幹が絡まり合いながら伸びているその木は、内部に大きな空洞があり、子供のころは友人たちと中に入って上に登り、それぞれの部屋を決めたりして遊んでいたものだった。
 久しぶりに入ってみようと思ったら、もう体のほうが入り口より大きくなってしまっていて、入ることができなかった。かつて足を踏み入れた『僕の部屋』も確かにそこにはあるはずだったが、もうどこを見上げても見えはしなかった。切ない気持ちになると同時に、たぶんこれが世界各国の童話で描かれている「子供だけが見ることのできる違う世界」なのではないかなと、ふと感じた。僕たちは成長し、そこにあるはずの世界に入れなくなってしまうのである。
 入れなくなってしまう理由は、そのように体格の問題だったりすることもあるが、多くは、空想力の問題だろう。「そこにはなにがある」ということをよく知ってしまうと、そこにはそれしかなくなってしまう。
 大人になって成長した僕たちはきっと、物の役割や意味を信じすぎてしまっている。