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 十月三十一日(火)
 天気のいい日にお布団を干したりしたときの、あの匂い。俗に言う「お日様の匂い」ってあるじゃないですか。あれ、その日、くんくんしながら寝るの、幸せですよね。
 あんまりがっかりして欲しくないのですが、あれです。
 あれは、死んだダニの死骸のにおいですよ。


 十月二十七日(金)
 徹夜で原稿を一本仕上げ、送信してガン寝。ひさしぶりに布団で寝た。仕事をしているパソコンから布団まで徒歩で2歩もないのだが、今くらいくたびれてると、その2歩が動けない。誰でもいいから呪いたくなってくる。危ない。仕事の合間に、ちょっと駅前のカフェでコーヒーを飲んだりする時間をちょっと持ったほうがいいな。2年くらい前から考えてることだけど。

 さて、明日からは群馬で行われる試合のため、二日間仕事を休んで埼玉に帰省する。試合が終わったら、またドバっと仕事。立て込んでいるときに休みを取るのはなんだか申し訳ないような気がするけど、よく考えたら土日なんだし、バチも当たるまい。

 犬は「一頭二頭」と数えるものだとばかり思っていたのだけど「頭」ではなく「匹」のほうがすっくりくる種もいるわけで、たとえばミニチュアダックスは「匹」だな。レトリバーは完璧に「頭」だな」なんて考えていたらなんか明確な基準が欲しくなってきたのだが、どこを探しても見あたらなかった。が、やはり正確には犬は「頭」、猫は「匹」らしいぞ。でも、チワワは「頭」じゃないよなあ。


 十月二十三日(月)
 今月、癌のために亡くなったポール・ハンター選手の動画を仕事の合間に見ていた。スヌーカー知らなくて「なんだ、また今日もスヌーカーの話か、つまらねー」なんて思っている方も、ぜひ一度ごらんになってみてください。

ロニー・オサリバン × ポール・ハンター その1
ロニー・オサリバン × ポール・ハンター その2


 十月二十三日(月)
 福岡で中学生の児童が自殺して亡くなった事件がきっかけとなり、世間ではいじめ議論が活発になっている。いじめ、なくすのはむずかしいのだろうな。やってる側は、自分がやっていることがそんなにも根深く人の心に傷を残してしまうということも知らないわけだし、そもそも、いじめだとは思っていないんだろう。

 精神的な虐待っていうのは怖い。いじめの怖いところは肉体的な傷よりも、そっち。自分がやられたことって忘れられないし、嫌だなあと思っても夢に見てしまったりして、いつまで経っても、そのときに感じた恐怖とか屈辱とかが消えてくれず、いったいいつ消えてくれるのかと、希望を持つこともできず、絶望し続けなくてはならなくなることだ。

 いじめがなくなりますように。

 どうでもいいのかもしれんけど、世界バレーのCMで「戦いの火蓋は切って落とされる」とナレーションが入っているのが、どうしても気になる。戦いの火蓋は「切って落とす」のではなく「切る」が正解。「戦いの幕が切って落とされる」と混同しがちであるために多発する誤用だが、さすがにCMとかで流れてると「おいおい、誰も気づかなかったのかよ」という感じだ。


 十月十六日(月)
 俺のこだわりヒーロー列伝。五人目。さだまさし。

 この人は、僕のヒーローを語る上では絶対にはずせない。この人の詩が、僕は本当に好きだ。これほどまでに、人の感情を根こそぎ揺さぶる詩を書くシンガーは、そうそういない。この人の言葉はいつもさりげなくオシャレで、優しく、そして力強い。ずいぶんと昔から、映画『二百三高地』の主題歌となっていた『防人の詩』と、社会現象ともなった『関白宣言』だけは、父がレコードかなにかで持っていたので知ってはいたが、他の曲を聴くようになったのは中学生のころ。いくら当時とはいえ、中学生の子供たちはやはりはやりのポップスに夢中なのが普通で、さだまさしはいささかオヤジくさいと思われてもしかたのないチョイスだったように思う。
 ともあれ、僕はさだまさしの曲を聴き始めた。初めはただ、流れているのを耳にしている程度だったが、ドッギャアンとハマってしまったのが『道化師のソネット』という曲だった。きれいで、さわやかで、心地の良いメロディーが、僕は一発で好きになってしまったのだった。ちょうど The Blue Hearts が出てきて、中学生たちがみんな夢中になっていたころだった。みんな必死にバンドのまねごとをしていて、僕もその流れに乗ってエレキギターを持っていたが、自宅でやっていたのは、さだまさしのコピーが多かった。当然『さだまさしのセイ・ヤング』も毎週欠かさずに聴いていた。深夜の句会というコーナーで常連だった堂垣内重春・順子さんというご夫妻が、いつもいい句を投稿されていたことを、今でも憶えているほどだ。
 ただ、やはり人生経験のまだ少ない中学生。さだまさしの詩を理解することはできなかったのだと思うが、僕の印象に残ったのは「笑ってよ君のために、笑ってよ僕のために」だとか、そういったとてもシンプルで言葉の意味そのままに受け取ればそれでいい部分ばかりだった。

 その後、まったく彼の歌を聴かない時期がやってくる。大学に入ってからのことだ。ごく普通の、はやりの音楽ならば好きになる女の子に恋をしてしまった僕は、どこかで自分がさだまさしを好きなことを恥じる気持ちもあり、聴くのをやめてしまったのだった。その代わりに聴き始めたのが村下孝蔵だったわけで、今にして思えばさだまさしよりもよほど女子には言いづらいアーティストであるわけだが、当時の僕は「自分はさだまさしが好きなんだ」ということを声を大にして言えなかったあまり、その抑圧された欲求にまかせ「まっさん以外ならなんでもいいんだ」と、このチョイスに走ってしまったのだと思われる。女の子にも、四年間振られ続けた。
 大学を卒業し、働き、留学を終えて日本に帰って来てからすぐのころだっただろうか。近所の中古CD屋でさだまさしのCDが投げ売りされているのを見つけた。にっこりとほほえむ彼の笑顔に僕は懐かしさを感じ、二百円を支払って二枚のCDを買って来た。昔毎日のように聴いていた曲をとても懐かしく感じ、同じく、毎日毎日そのCDばかり聴いた。昔はよく分からなかった彼の描くドラマだとか、そこに登場する人物の内情だとか、そのドラマに託されたメッセージが、すごくよく分かるようになっていた。「ああ、俺も大人になったんだなあ」と実感した。「本当にすばらしいものにあの当時触れていたんだなあ」と思うと、ものすごくありがたい気持ちになった。それ以来、彼のCDはいつでも僕のそばにあるし、人に好きなミュージシャンを訊かれたら「さだまさし」の名を出している。

 先日、Japan Snooker Association の朝倉さんと朝の六時過ぎまでいろいろと話しているうちに音楽の話題になった。彼が「シモンさん、さだまさしは好き?」と僕に訊いて、僕たちは熱心にさだまさしの話をした。彼がとにかく心を動かされたのは『風に立つライオン』という曲で、僕はぼんやりとしか憶えていなかったので、すぐにCDを購入して聴いた。本当にすばらしい曲で、僕は改めて彼のことが好きになった。
 自分もものを書く仕事に就き、さだまさしの、ドラマへのメッセージの託し方とドラマの組み立てかた、そしてそのドラマをさりげなく、深く心に染みこませるためのちょっとした気遣いなど、そういう部分に本当に感動している。「なんでこの人は、こんな言葉を思いついてこんなところに入れることができるんだろう」という言葉が、本当にたくさんある。前述の『風に立つライオン』で言えば「ふるさとではなく東京の桜が恋しいということが、自分でもおかしいくらいです」みたいなところなんだけど、これは聴いてもらわないと分からないと思う。
 でも、なによりとにかく、彼がいつでもその歌や詩に託し続けている、本当に優しい気持ちがいちばんすごい。いい映画を観て後々になって思い出すと、果たしてその映画を白黒で観たのかそれともカラーで観たのか、吹き替えで観たのか字幕で観たのか、思い出せないことが多い。いい映画とはそういうものだ。さだまさしの曲もそれと同じで、どんな曲だったか、どんな歌詞だったか、そんなことよりも、とにもかくにもそこに感じる彼の優しい気持ちが本当に優しくて、僕はとても好きなのである。


 十月十六日(月)
 俺のこだわりヒーロー列伝。四人目。中島悟。

 ご存じ、日本人初のフルタイム・F1ドライバー。三十歳を過ぎてからという遅咲きのF1デビューとなったためか、ベストな成績を残すことはできなかった彼。だが、今の日本のF1人気に彼が大きく貢献しているであろうことは、言うまでもない。「ホンダの後押しがないと行けなかったドライバーだ」とか「大して速くなかったじゃん」とか、けっこう否定的な意見を口にするF1ファンは多い。でも、そんなことどうだっていいじゃん。とにもかくにも、日本人初のフルタイム・ドライバーだったということが大きい(中島である必要があったかどうかとかは、この際問題じゃない)。とにかく、あらゆることを語る上で、そういう「マニアっぽい正論」みたいなものは、まったくなんの役にも立たないものだ。
 僕がF1を見始めたのは、1989年。中島がデビューした翌々年のことで、僕はまだ中学生だった。中島のチーム・メイトが故アイルトン・セナからネルソン・ピケへと変わって最初の年のこと。この年からF1のレギュレーションは大きく変わり、ターボ・エンジンが禁止となった。中島の所属するロータスはそれにともない、ホンダからジャッドにエンジンを変えて参戦。しかし、このジャッド・エンジンが非力な上にトラブルの多いエンジンで、詳しくないながらも「ろくなエンジンじゃないんだろうなあ」というのがよく分かった。
 中島は、そんなに速くはなかった。たまに6位に入賞すると「おお、やったじゃん!」という感じの、中堅のドライバーだった。不運なリタイヤも多く、いつも「入賞してくれ!」よりも「完走してくれ!」という想いで見ていた。彼の、四苦八苦している姿が僕はとても好きだった。コックピットに座ったときにヘルメットから覗くいぶし銀の目つきも好きだったし、ヘルメットを脱いだ瞬間に「レーシング・スーツを着たおじさん」に変身するのも好きだった。とにかく、すごく普通の人だなあという印象で、いつも見ていた。その「すごく普通の人」が「まったく普通じゃない世界」でがんばっている姿が僕は好きだった。
 91年、鈴鹿ラストラン。リタイヤしてしまい、恥ずかしげに手を振りながら早足にコースを歩く白いレーシング・スーツに身を包んだ中島の姿は、今でもはっきりと憶えている。「本当にお疲れ様」と、悔しいながらも拍手を送った。

 今年、スヌーカーの世界選手権に行って「日本人て、まだフォーマルなスポーツに溶け込めるだけの文化的背景をもたないのかもな」ということを強く感じた。この違和感と同じようなものを、当時の中島選手の姿からも感じていたようにも思う。特に当時はまだ、日本人スポーツマンが海外で活動するということがほとんどなかった時代だ。はからずして草分けとなってしまった中島選手は、とても大変だったろうなと思う。
 ずーっと、中島選手のレプリカ・ヘルメットを探しているのだけれど、もう入手できそうにないのがとても悲しい。


 十月十三日(金)
 俺のこだわりヒーロー列伝。三人目。チャールズ・ブコウスキー。

 ブコウスキーを初めて読んだのは、1999年の秋に訪れたドイツ、デュッセルドルフでだった。日本人街ということで日本の書店もあり、そこで『PULP』の文庫本を買った。ニック・ビレーンという私立探偵が主人公のぶっとんだ小説で、サスペンスや推理モノかと思いきやまったくそんなことはなく、食うにも困っているほどのダメ探偵(趣味は酒と競馬)が、その場しのぎの仕事をしながら、どんどん行き詰まっていき、最後にはドン詰まりに行き当たる話だった。最初に読んだのがこの『PULP』、ブコウスキーの遺作というのは、今にして思えばなかなか運が良かった。それより前に、ブコウスキーが多く書いていたヘンリー・チナスキーを主人公とした半(というよりも「ほぼ」かもしれない)私小説を読んでいたら、この本を純粋に楽しむことはできなかったかもしれない。
 彼がいったいどんな人物で、どんな人生を送ったのか。そういうことを知らなかった僕は、終始爆笑しながらこの本を読み進んだ。そして、ラストシーンでダンテとファンテという二匹の猿に捕まり殺されそうになったビレーンが「これは悪い冗談かなんかだろう?」みたいなセリフを吐くあたりになって「いったいなぜこんな顛末なんだろう?」と首をひねったものだった。
 その理由がなんとなく分かったのは、他のブコウスキーの著作をあらかた読んでからだった。そこに登場する彼の分身ヘンリー・チナスキーは、無骨で無頼で荒々しく、繊細で、人を愛しているくせに人付き合いや組織というものががまったくダメなどころか、むしろ毛嫌いしているアウトロー人間だった。人生そのものも、死も、なんとも思ってはいない孤高の人間として描かれていたのだった。だが『PULP』のあとがきにて訳者の柴田元幸氏が書かれているように、『PULP』もまたブコウスキーの人生をニック・ビレーンに投影した私小説としての色が濃い。なぜ『PULP 』だけが、ブコウスキーと同じ郵便局員のチナスキーではなく、私立探偵のビレーンを主人公として書かれたのだろう?
 僕は、まったく別のキャラクターを主人公とし、職業も名前も新たにし、設定を完全にフィクションにでもしないと、寂しさや弱音を吐露できなかったからではないかと思う。人に見放され、生活は行き詰まり、やがて死を迎えようとしている自分。「これは悪い冗談かなんかだろう?」と、もしチナスキーならば言えただろうか? 僕には、その答は「否」であるように思えてならない。それゆえ、『PULP』のラストシーンで死への恐怖をかいま見せるこのニック・ビレーンの心情と、ビレーンにそのセリフを口にさせたブコウスキーの心情が、切なくてたまらなくなってしまう。彼はもしかしたら、死ぬ前にそれを吐露しなければ死ねないと感じたのかもしれない。カッコつけたままこの世を去ることに、いくばくかの虚しさや孤独を感じたのかもしれない。

 ブコウスキーの墓標には「Don't Try(がんばるな)」と書かれている。死してなおカッコつけ続けるブコウスキー。だが、その本音は『PULP』の中に書かれているのではないかな。深読みし過ぎかもしれないけれど、僕にはそう思えてならない。そしてそれが、彼が僕のヒーローである理由になっている。


 十月十日(火)


 長らく癌との闘病生活を送っていたポール・ハンター選手が、27歳の若さで永眠されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 彼のプレイを初めて見たのは、2004年のプレミア・スヌーカーリーグ。えらいイケメンだったので、思わず面食らってしまった。たいていの場合、イケメンの役割は悪人面のタフガイにボコられるところにあるのだが、彼は違った。ものすごくアグレッシブなスヌーカーで、バシバシ入れまくる。残念ながらグループリーグ突破こそ逃したもののそのプレイはとても印象的で、日本のスヌーカーファンの胸にもしっかりと残った。特に、あっと言う間に、一度も止まることなく取り切ってしまった146ブレイクは圧巻だった。2001年、2002年、2004年にマスターズ・チャンピオンに輝いた彼のプレイがもう見られないとは、なんとも悲しい話だ。本当に。先日の日記に書いた壊れているPSXの中には、彼のプレイもぎっしり詰まっている。ますます処分できなくなってしまったな……。

 今日は久しぶりに、福田豊選手とフレームを撞いた。8-3だったかな。まずまず。もうちょっと丁寧に撞けば、もうちょっと良くなりそう。


 十月九日(月)
 俺のこだわりヒーロー列伝。ふたりめ。ドリアン助川。

 高校生のころ、とある番組を見た。詩の番組だった。こないだの尾崎豊の回でも書いたとおり、僕はなんとなく詩みたいなものを書いており、この番組にも興味を持ち、見てみることに決めた。そこで群を抜いて強烈だったのが、その番組でデビューとなった『叫ぶ詩人の会』だった。今でも鮮烈に憶えている僕が聴いたのは『うろこマーケット』という詩だった。モヒカンの男が力強く立ち、真っ正面を見据え、大声で詩を朗読する。そのあまりの力強さに、テレビの前でぶっとんだ。幸いにも録画しており、何度も何度も同じ番組の同じ部分ばかり、繰り返し繰り返し見た。
 基本的に、僕の家ではテレビも音楽も禁止されていたので『叫ぶ詩人の会』にはそれ以外、触れる方法がなかったのもあり、僕は、彼らの活動も知ることはなかったし、CDを聴いたりライブを見たりすることもなかった。僕の、彼らのメッセージに対する反応は「見る、聴く」という受動的な形態ではなく、「作る」という能動的な形態で現れた。僕が本格的に詩を考え、詩を書き始めたのが、このころだった。今に至っても詩は書き続けているが、そのすべての元が、この『叫ぶ詩人の会』にあったと言っても過言ではない。それほどの影響を受けた。あの金髪の、でかいモヒカンの男、名前はドリアン助川。詩を書いていると、彼にぎゅっと睨み付けられているような気持ちになることもしばしばだった。かっこよかった。

 それから十三年の月日が流れ、僕に一本の仕事の依頼が来た。『PEN』という雑誌で書評を書いてみないかという依頼だった。僕は「とりあえずなんでもやってみよう」と思っていたこともあり、ふたつ返事でその依頼を受けた。本は『敗北からの創作』というタイトルで、著者は明川哲也という人物だった。そして、元ドリアン助川氏だった。これはなにかの巡り合わせに違いないと僕は思った。本を読んでみたら、とてもよかった。僕はすぐにネットで明川氏の連絡先を探し、メールを送った。返事はすぐに来た。近々、酒でも飲みましょう、と。
 なんてオープンな人なんだろうと感動しつつ約束を取り付けたのは、それから二日か三日後のことだったと思う。西調布の駅前で僕たちは待ち合わせをした。ちょっと前に着き、本を読みながら彼を待った。やがて、目の端に現れた大男は、髪を短く切り、金髪はやめてこそいるものの、まぎれもないドリアン氏だった。思わず心の中で「ドリアンだぜー!」と叫びつつ、僕は、なにげないふりを装った。
 当時、ちょうど『Good Luck』が売れており、彼も僕の名前を知ってくれていた。僕たちは駅から近い居酒屋で酒を飲みながら、いろいろと話をした。ひとことで言うなら「いい人」だった。本当に。

 その後、彼の主催した中越地震義援金イベントなどにも微力ながら協力したことがあった。打ち合わせの帰りに六本木のバーで飲み、当時仙川に住んでいた僕は、彼と一緒にタクシーに乗った。彼はもうべろんべろんに酔いつぶれており、タクシーに乗るやいなや眠り込んでしまった。甲州街道沿い、街の灯が窓の外をびゅんびゅん通り過ぎてゆき、その光に、彼の寝顔が浮かび上がっていた。僕は酔っぱらった目でその様子を眺めながら「これは本当なんだな」などとふと気づき、人の運命のおもしろさに感服したものだった。

 いつか一緒にお仕事がしたい人、ナンバーワンだ。


 十月四日(水)
 俺のこだわりヒーロー列伝。ひとりめ。尾崎豊。

 高校のころ、初めて付き合った女が彼のファンで、僕にもCDを貸してくれた。当時はまだCDというものも新しい時代で、ライナーノーツの最後のページには「コンパクトディスクのすばらしい特徴」というコーナーが設けられており、音質のすばらしさや、音が劣化しないといったことなどがつらつらと書かれていた。
 当時から大学二年くらいまでは、尾崎豊をよく聴いていた。特に好きだったのは『ダンスホール』だったかな。当時、学校からも友達からもすっかりドロップアウトしてしまっていた僕には「学校の外にだって世界はあるぜ」みたいに、なんとなく勇気づけられるような、そんな気がして。中学生のころから、ブルーハーツのまねをしてギター弾いたりはしていたけど、それで自分にも表現が出来るんじゃないかと思ったのは、尾崎豊を聴くようになってからだったと思う。んなわけで、当時は僕もありがちな路線をなぞり、尾崎のパクりみたいな自称オリジナル曲を作っていたはずなのだけど、今振り返ってみると、ひとつも憶えていない。
 彼を知ってすぐに、彼は亡くなってしまったのだった。本当にすぐのことで、僕がまだ彼にそんなにハマっていなかったころだった。「へえ、そうなのか」くらいにしか思わなかったのだけど、最近、ふと尾崎豊のCDなどを聴き返しながら「うわあ、こんな人が亡くなってしまったんだなあ」と、とてももったいなく、寂しく感じる。晩年の作品はほんとうにすごいのが多い。初期のころのような、社会にたてついてゆくような激しさはなく、聴いていて思わず息苦しくなってしまうような、どろどろとした苦しみのようなものが唄われていて、息をのんでしまう。

 ほんと、激しく生きた人だったな。多くのヒーローたちがそうであるように、彼もまた、集団から追い出され、傷つき、その傷を表現したとたんに手のひらを返したかのように愛されたのではなかったか。ライブ音源を聴き「おざきー!」とキャーキャー悲鳴を挙げている若い女の子たちの声を耳にしながら「尾崎って、唄って報われたのかなー」などと、ぼんやり考えた。


 十月四日(水)
 使っていたDVDレコーダーが壊れて早いもので一年が過ぎ、そろそろさすがに不便も募ってきたのと、どうしても録画しておきたい番組があったので、新宿まで買いに出た。5万円くらいの出費を覚悟しており、悲壮感が漂う。僕は普段からテレビなんて滅多に見ないし、最近はますます見なくなり、ニュースなどへの興味もすっかり薄れてしまったので、正直、必要な買い物かどうか山手線の中でも悩みまくる。が、まあしょうがない。ソフマップのポイントが2万円分くらい溜まっていたのを思い出して「それを利用すればいいじゃん」という結論になる。
 ちなみに以前使っていたのはソニーのPSXだったのだが、保証期間を過ぎて一ヶ月チョイで壊れた。今は、かろうじて録画ができるのみであり、DVDに焼くことはおろか、ゲームすらできない。そして、HDDの中身はスヌーカーの試合がぎっしりつまっており、それをどこかに移し替えることもできないので削除はおろか、本体を処分することもできないという困った状態なのだ。
 で、ソフマップに行ってみたらこんなものが売られていたので立ち止まった。ほぼポイントだけで買えちゃうじゃん。さらに機械好きな男の子の血が騒いだのは言うまでもない。それにこの値段でことが足りるのであれば、ぶっちゃけユーザーの足下を見てぼったくり価格連発しているDVDレコーダー業界に荷担しなくても済むというもの(だって、ビデオに代わる家電製品が5万6万するっておかしいだろ)。そのうえ、これを利用すればPSXに詰まっているスヌーカーの試合も、いったんパソコンに取り込んでからDVDに焼くことができる。一石三鳥である。5万円覚悟のつもりが、3千円程度の出費で済み、ウハウハで帰宅。
 さっそく接続し、専用のソフトをインストールしてみたら、おお、写る写る。録画もできるできる。DVDにはまだ焼いてないけど、まあできるだろう。これは楽しいな。ビデオカメラとつなげたりしても楽しそうだし、いろいろ使い道はありそう。これはいい買い物をした。

 と、ウハウハしている間に、見たい番組半分くらい見逃していた。


 十月三日(火)
 次の仕事の打ち合わせのため、朝から六本木へ。一本は児童書、もう一本は、今はまだ書けないけども、ちょっとすごい作品。正直、この作家の翻訳ができるなんて幸せだ。楽しみ! 詳細は、ここで公表できるようになり次第公表しますので、よろしく。
 打ち合わせの帰りに『天鳳』という店でラーメンを食べる。が、はずれ。スープはまずまずだけど、なにあのパサパサしたチャーシュー。麺も、それほどおいしい麺ではなかった。あくまでも個人的な好みの問題かもしれないけど、チャーシューは、あれはないな。帰りに「さっぽろラーメン横町」と書いてあるのを発見し、去年札幌で人から「おいしいラーメン食べたいなら、ラーメン横町は行っちゃだめだよ」と聞いたのを思い出した。もしかしたら、ほんとなのかも。
 今度、ウチから徒歩3分なのにいまだに行ったことのない、『俺の空』に行ってみるつもりだが、あんま期待してはおらず。なんだかんだで『純連』行っちゃうな。