七月二十九日(火)
「明日ヒマ?」とメールが来た。実際ヒマだったのだが、ヒマかと問うくらいだからヒマならば何かに誘おうと思っているのだろう。俺は「ヒマだ」と答えようと思ったが、躊躇した。もしかしたら、ものすごくつまらない用事や、面倒な用事かもしれない。
「じゃあ都内の信号機を数えに行こうぜ!」
「じゃあやることないけど宇都宮行こうぜ!」
「じゃあ新しいカーテン選ぶから付き合ってよ!」
いろんな可能性が思い浮かぶ。もし「ヒマだ」と答えた場合、どんなつまらない用事に誘われたとしても、なんとも断りづらい。まったくケータイメールのなんと不便なことよ。中途半端に便利なくせで、ケータイメールが普及してからこういうことがとても多くなった。「ヒマか」と問うならば「ヒマならばどうするのか」まで書けと言いたくならば、これが時流というものであろう。その時流についていけない俺のほうが、きっといけないのだ。
しかし俺は信号機の数に興味はないし、このクソ暑い中わざわざ宇都宮まで行ってタクシーの運ちゃんにうまいギョーザの店を訊ねる気もないし、カーテンなど俺がいくら選んでもどうせ人は自分が好きなのを選ぶのに決まっている。そして、もし大事な用事だったら「明日ヒマ?」などと悠長かつお気楽極楽な誘い方などして来ないであろう。そもそも、誘われているかもどうかもイマイチ分からない。ていうか、そもそもヒマかと訊かれたらいったい何があるのか気になるに決まっているのに、そこをコチコチとメールに打つことをサボり、「返信が来てから書けばいいや」と軽んじられているのも面白くない。そして、そういうことがある度に自分の度量の狭さを思い知らされて非常にいたたまれない気持ちになる。
俺はいったいどうするべきか考えた。返すならば早く返さなくてはならない。なぜならケータイメールというのは、返信の早い遅いで気持ちを計られてしまう恐ろしいツールなのである。寝ていようと寝ていまいと、返信が遅いと人によっては「冷たいね」などとも言われてしまい兼ねない、強烈な人間不信ツールかつ強迫観念駆り立てツールなのである。
しかし、なぜそう訊いているのかも分からずうかうか答えることはできない。「なんで?」と返信するのもいささか失礼である。そこで俺は考えに考え抜いた結果「一応ちょっと仕事あるけど、どうした?」と、気象庁が言うところの「晴れ時々曇り所により少し雨」的な、どう転んでもオーケーな返信をすることにした。しかし返事は帰ってこなかった。
翌朝、「メール打ってそのまま寝ちゃったよ」というメールが届いていた。
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