2010 01 02 03 04



 5月31日(月)
 12時から中目黒で仕事の予定だが、通信講座のあれこれで仕事をしているうちにすっかり目がらんらんと冴えてしまい(この表現、生まれて初めて使ったな)、結局眠れたのが朝の8時半。9時半にかけておいた目覚ましをさんざんかけ直しながら往生際悪く寝続けた挙げ句、最後には、かけなおす気力もないまま意識を失う。目が覚めてみれば11時23分だ。時計を見て、思わず「ぴゃー!!」と叫び、必死で顔を洗い、歯を磨き、着替えて部屋を飛び出す。火事場の馬鹿力とは恐ろしいもので、11時31分の山手線内回りに飛び込む。中目黒の駅に降り立ったのは、11時51分であった。おそらくこれは最短記録であろう。11時55分には、取材現場となるお店に到着。素晴らしい!

 今回は、またしても声優さんの取材。詳細は省くけれど、とても面白い取材になった。目的を持って表現している人は、いい空気を発している。表現することが目的というのもアリなのかもしれないけれど、俺はやっぱり前者が好きだ。野菜ジュースなどを一気飲みすると体の隅々まで綺麗になったかのような錯覚に陥ることがあるが、そんな気持ちで帰宅の途に就いた。もたもたしている時間はないなと、沸々と気力が込み上げる。もたもたしていたら、その間にみんなどこかに行ってしまうだろう。どんどん走れ。四の五の言わずに。

 帰宅してから、すごく久しぶりに『Good Luck』を読み返した。やっぱりいい本だなあ。もうこの仕事から6年も経つのか。6年経って思うのは「もっといい文章にできるぞ」ということ。あのときはこれがベストだったのだけど、俺も腕を上げたものだ。と同時に、ちょっと恥ずかしいぞ。歌手の人がデビュー当時の映像とか流されて「キャー、やめてー!」ってなってるのとかテレビでたまに見るけど、こんな気持ちなんじゃなかろうか。とりあえず今度、じっくり校正してみよう。

 Amazonにこの本の批判的なレビューがちょいちょい投稿されているのを見て、ときおり悲しい気持ちになっていた。特に「黒き騎士サー・ノットが可哀想だ。失敗したやつはどうなってもいいのか」的な意見に。なぜなら、彼にもまた幸運は訪れているのだ。失敗して反省する機会を得る、っていう幸運ね。物語はそこで終わっているが、ノットはその後、考え方、生き方を変えたと思うよ。それは、クローバー探しに赴こうともしなかった大多数の騎士たちには訪れない機会だ。

 聡明な白き騎士サー・シドは自分で考えて成し遂げてしまうわけだけど、俺みたいにちょっと考えの足りないぼんくらには、サー・ノットのほうが近い。物語の中でサー・ノットがする失敗は彼にとっては寄り道かもしれないけど、そこでジ・エンドというわけではない。彼みたいな寄り道を経て、サー・シドのように考えられるようになるということは、十分にありえるわけで。もしかしたらサー・シドだって、過去にノットと同じ失敗をしているのかもしれない。たぶん魅惑の森へと出かけたのがサー・シドだけだったら、意外に惹き付けられない物語になってしまうのではないかな、と思った。サー・ノットは森での失敗を経て、大きなものを得たはず。これは、幸運というものだろう。

 とにかく、今できることをコツコツしていこう。6年前の文章を読んで、なんだか自信湧いてきた。


 5月20日(木)
 ここしばらくtwitterなどで遊んだりしているわけだが、なんか、mixiで感じたようなことをついつい感じてしまう。「暇つぶしにしては意味がありすぎるくせに、有意義かというとそうでもない」という感じだろうか。まあ面白いものだからなんとなくいじくり回してしまうのだけれど、結局それは何かを発信したり表現したりすることではなくて、人の作ってくれた箱庭の中で、与えられたとおりの遊び方をしているだけのこと。そこでいくら文章書いたり可愛く撮れた自分の写真を貼り付けたりしてみても、それは自分が主役になることではなくて、どんどんその他大勢に紛れていくことでしかないんだよな。といってもそれが悪いと思うわけではないのだけど、意味あんのかしらとはよく思う。もっと他にすることあるだろうなー、と。

 とにかく「今からご飯食べる」「ちょっと映画を観てきます」などなど、「だからどうした」みたいなことをついつい書きたくなってしまう人は依存傾向があると思うので、ちょっと落ち着いたほうがいいと思った。たぶん、みんなが「だからどうした」の「どうした」の部分までちゃんと書くようになったら、ネットの表現にもずいぶんと深みが増して、面白くなるんだろうなあ。これだけみんな自由に発言できる時代なのだから、それを「みんな自由に表現できる時代」に変えていかないともったいないよ。

 というわけで、俺は「書こうと思ったことのもうひとつ先まで書いてみる運動」を密かに実行します。「いやー、今日○○って映画観たんだけど、よかったから観たほうがいいよ」と誰かに言いたくなったら、どんなところがどんなふうに良かったかまで書く。「うはwww角家の牛すじ大根うめぇwww」と伝えたかったら、どんなふうに他の牛すじ大根よりうまいのかちゃんと伝える。例えばそんな簡単なこと。

 真面目な日記で恥ずかしいなう。


 5月15日(土)
 恵比寿にて酒。終電を逃したのをいいことに、痛飲してしまった。帰宅した記憶なし。よくぞ帰ってきた。

 一夜明け、二日酔いがさめてから、DigDig業務。いただいた翻訳を見てアドバイスやコメンタリーを作る。基本的な技術そのものは、児童書数ページだけで教えられるといっても過言ではない。ちなみに、やってしまうミスはだいたい皆さん同じ。ほんの些細なことなのだけれど、知るのと知らないのとでは大違いなことばかりである。今回も、やはり皆さん狙い通りに(?)それらのミスを犯している。そうなると「おお、俺の講座にもちゃんと意味があるぞ」と自信がつく。皆さんの結果を見て、さっそく第二回めの課題を変更。次回もがんばるぞ。

 さてさて、一ヶ月くらい空いてしまったので、そろそろe-literatureの小説も再開しないとだ。今日は夕食がてら一杯やりながら考えるかな。その前に、DigDigのメールマガジン第2号を仕上げてしまおう。俺としたことが、なんとマメであることよ。

 最近、茨城の中学生に呼び捨てにされているらしい。
 若者と認められているということだと、ポジティブに解釈しておく。


 5月12日(水)
 祝、通信翻訳講座DigDigスタート。10日に、第一回目の課題を配信。今回のテスト運営では、5名もの受講生の方が集まってくださった。ありがたい! 宣伝に協力してくれた方々もありがとうございます。今回8月までコースを走らせてみて、コースへのフィードバックを元に改めてカリキュラムを練り直し、10月に本チャンがスタート。今回のコースで5名のフォローをするのにかかった労力を元に、10名でいけるか15名でいけるか、はたまた20名でもいけてしまうのか考えて、10月からの定員を決める予定。なんか、やる気に燃えております。

  ☆  ☆  ☆

 さてさて、来る22日より神戸の『ギャラリーヤマキファインアート』にて、一ヶ月に亘ってマリオ曼荼羅展が開催される。関西では初開催だ。僕はまだ行けるかどうか分からないのだけど、この開催は楽しみであり、とても嬉しいことだ。

 近頃、久しぶりにものすごく暗い波に襲われたときに、ふとマリオ曼荼羅を見た。マリオ曼荼羅とは2001年に出会ってから、かれこれ9年目の付き合いとなる。9年間に亘るマリオ曼荼羅の旅を比較的近いところから見てきた僕は、まるで身近にいるがゆえに子猫の肉体の変化になかなか気づかないような有様でその旅路を見てきたのだけれど、その夜は、バラバラになった数珠のひとつぶひとつぶが独立しているのと同じように、ひとつひとつのマリオ曼荼羅が独立して見えたのだった。

 当たり前の話だが、それぞれのマリオ曼荼羅は、それぞれ別の曼荼羅だった。そして、そのひとつひとつが僕にとっては鏡だった。穏やかな自分。攻撃的な自分。自虐的な自分。傲慢な自分……。こういう書き方は好きではないが、自分の中にいくつもの自分が混在しており、場面場面に合わせてどれかの自分が田内志文というマシンのハンドルを握っているとしたら、マリオ曼荼羅は、ハンドルを握っていない、姿を潜めている他の自分たちをそっと映し出し、その影を重ね合わせてくれる鏡のようなものなのだ。少しずつ違うマリオ曼荼羅と向き合ってゆくことは、僕にとって、自分の輪郭を細かい点描で形作ってゆくことと似ているように感じられた。

 時おり、じっと見つめたまま動けなくなるマリオ曼荼羅もある。これに出会ったときは、快感である。言われ得ないような安心感があるのだ。以前、ニック・ジョンストンの『BLUE』を翻訳したとき、訳者あとがきに「暗い部屋を歩くのが怖く感じるのは、どこに何があるか分からないからだ」というようなことを書いたことを思い出した。電気をつけ、机やテーブルやゴミ箱の位置が浮かび上がると、初めて安心し歩くことができる。その安心感に、マリオ曼荼羅から感じる安心感は似ているように思う。自分では覗くことのできない心の奥の暗闇を照らす、マリオ曼荼羅は電灯のようなものなのかもしれないと感じた。

 そんなマリオ曼荼羅展覧会、行ってみるべきだと思います!


 5月8日(土)
 昨年12月11日、こんな事件が起こった。痴漢の疑いをかけられた25歳の男性が、警察から解放されたあとに地下鉄早稲田駅のホームで自殺をしたのだ。新宿駅で階段を上っている時に、降りてきた女子大生が「腹を触られた」と訴え、同行していた大学生たちにタコ殴りにされたという(まあ不自然な話である)。連行される際、本人が録音していたICレコーダーの内容が、彼の母親のブログにすこしだけ記載されている。これを読む限り、警察の対応にもちょっと問題があるのではないかと思える。少なくとも、階段ですれ違いざまに、連れのいる女の腹など触るのは不自然。記載されている警察官の言葉が本当に口にされたものだとしたら、ちょっとなあ。ねえ?

 現在、お母さんは新宿駅に立ち、目撃者を捜してビラを配っているという。もし、万が一、その場に居合わせたという方が当サイトの読者の中にいらっしゃるようなら、どんなことでもいいので情報を寄せてあげてください。