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2007 01 02

 三月三十一日(土)
 携帯電話復活しました。

 ご迷惑おかけしました。


 三月三十日(金)


 僕もターバン野口を作ってみた。あんまりうまくできなかったけど、練習次第では上達しそうだ。それにしても世の中には色んなことをする人がいるもんだ。


 三月二十九日(木)
 今月生まれた甥の「空」に会いに下高井戸へ行き、帰りに千歳烏山へ。昔烏山でポケットを撞いていたころの知人がバーを出しており、去年からちょくちょく出かけているのだ。テーブルがいきなりメトロになっていてびびった。どっかに「Made in Thailand」と書かれていないか探したが見つからず。本物のメトロだ!



 結局店は臨時休業し、ふたりで朝まで飲む。酔っぱらったまま高田馬場に帰宅したのはようやく朝九時を回ってからのことで、タクシーの中に携帯電話を置き去りにしてしまった。すぐに気づいて早稲田通りまで戻ってみたが、間に合わず。タクシー会社に電話して車両番号を伝え、すぐに取っておいてもらった。とはいえ、土曜日くらいにならないとウチには戻って来ない予定。不便だが、携帯がない生活というのもたまにはいいかな。今日はひどい二日酔いでまったく使い物にならず。ウコンの力飲んでおくのを忘れたのが敗因だった……。


 三月二十八日(水)
☆お知らせ

 タクシーに携帯電話を置き忘れてしまい、明後日くらいまで通じません。
 ご連絡のある方は、携帯以外にご連絡ください。


 三月二十五日(日)
 船橋のららぽーとにて開催されたレインボーマジックのコスプレ・イベントに、審査員として参加してきた。『水の星へ愛を込めて』をエンドレス・リピートでかけながら雨の中高速道路をひた走り、午前十一時にららぽーと到着。てっきり客席の前列か、そうでなければ横手くらいから見て審査なのかと思っていたら、うわ、壇上か! 一昨日「今年は人前に出てみたり」とか書いたけど、早速思い切り出てしまった……。もっと綺麗な格好していけばよかった。反省。昨日たまたま美容院に行っていたことだけが、せめてもの救い。世界選手権よりよほど緊張する。僕は、準グランプリのプレゼンターを務めさせていただいた。しょこたんじゃなくて、こんなオッサンで申し訳ない。
 審査委員長の中川翔子さんは、ほんとルビーのコスプレがよく似合っていて驚いた。全員分やって欲しいなあ、いつの日か。それにしてもレインボーもしょこたんもすごい人気だ。なにもかもあまりに華やか過ぎて、消えてしまいたいような気持ちだった。
 子供たちのコスプレはほんとに可愛らしくて「えー、誰か選ばなくちゃいけないの?」という感じだった。選出できなかった子たちも、ほんとにほんとに素晴らしかったのだ。審査をしつつ、不覚にもちょっと目頭が熱くなってしまった。次のシリーズもがんばるぞ。

 待ち時間が結構あったので、持参しておいた『カラスのジョンソン』(明川哲也著)を読む。この小説は、凄い。読みながら体の奥が震えるみたいだった。昔、僕がまだ高校生だった頃に彼が結成した『叫ぶ詩人の会』を初めてテレビで見た時、まさにこんな感じだった。心の奥の、何かとても大事なものを突き動かされるような感じ。全員に読んで欲しい。文章って凄い。言葉って凄い。小説って凄い。

 四ヶ月間にわたって僕の生活の中心にいたウェルシュがひと段落つき、一日に軸がなくなってしまった。気持ちがすごく不安定で、体調も優れず。張り詰めていたものがプツリと切れたその反動か、体のあちらこちらに不調が出ており、微熱が続く。開放感は一晩だけしか続かず、気持ちは次へと向けてまた焦りだしてゆく。それなのに、眠くて眠くてたまらない。このあたりで、サクサク気持ちを切り替えて行ける性格だったらどんなにいいかとよく思う。こんな性格だからこそ得をしている部分も当然あるのだろうけど。
 今日は、ものすごい数の視線を浴びたので、いささか情緒不安定かもしれない。知らない人に視線を向けられると、責められているような気持ちになるのでとても怖い。
「去年と一昨年の今日は何をしていたのだろう」と思って過去の日記を見てみたら、去年はマジレンジャーが終わってしまってがっかりしており、一昨年は猫の喧嘩にハラハラしていた。


 三月二十三日(金)
 ふんがー、ウェルシュ終わった! ああああああああああああ。翻訳およびチェックなどをひととおり終え、ついさっき原稿を送信。スッキリした!
 途中で二ページだけ未訳になっている部分があるから厳密にはまだなんだけど、ここはなんかすごく厄介なところだから、しっかりやって推敲の段階で入れればいいや。とりあえずは一区切り! 原稿用紙九〇〇枚になった。どんだけ書いてんだよウェルシュ。いやはや、それにしても面白い! 面白すぎる!

 それにしても、人間としてなんか一回り成長したような気すらするな。翻訳作業が大変だったというのはさておき、特にここ二ヶ月は作品に埋もれるようにして延々ピリピリしていたので(タイ行ったりはしたけど)、神経がほんとに磨り減った。何度も心が折れそうになったけど、最終的にああいうテンションに耐えられたということが、むしろ自信に繋がる。
 とはいえ、ここからがまた大変なところ。結局、A4でほぼちょうど四〇〇枚の原稿になったわけだが、これを全部読み返しながらまた二回三回とチェックをしなければならないし、何事もなくすんなり今の形のまま通るわけでも当然ない。むしろ、こっちの校正作業のほうが気が重かったりするくらいだ。たぶん、二ヶ月くらいかけて全文に手直しをまた入れて、本になるのは初夏あたりになるのかな。それにしても、とりあえずお疲れ様自分! 今年は人に会うのをサボって仕事に打ち込んでいたから、週が明けて来週からはバシバシ人に会わないとだ。

 さて、去年から取り組んでいた仕事がようやく終わり、いよいよ明日から俺の今年が始まるぜ。今年はなんか面白いことするよ。物書いてみたり、人前に出てみたり、いろいろ考えてます。お楽しみに!

 今日はこれから連載の原稿を書いて、それから飲みに行ってくるよ。
 朝まで飲むぞ!


 三月十八日(日)
 ひと段落! まだ終わったわけではないのだけど、今まで送ってある原稿(原稿用紙800枚分くらい)を編集者さんが読むのにそれなりに時間がかかるということで、今やっている残りの分は、その頃送ればOK。今日明日くらいと思っていたけど、今週末くらいまで使えそうだ。とはいえ、仕事はするのだけど。時間ができたというのは、それだけ休めるということではなく、それだけブラシアップできるということ。校了するまで、基本的に休みは取らない。というか、気分的に取れない。が、しかし、時間にゆとりができたというのはありがたい。今日は久々に、しっかりした食事でも摂ろうかな。

 ちょっとイタリア語とラテン語の辞書を引きに書店に行ったら、明川哲也さん『オーロラマシーンに乗って』が平積みされていた。まだ買っていなかったので購入。最近『カラスのジョンソン』を刊行されたばかりの明川さん、精力的である。『カラスのジョンソン』は、ものすごく評価が高い。読むのが楽しみでたまらないのだが、今の仕事が終わるまでは手を着けずにおこうと思い、机の上に置いたままになっている。今日はその上に『オーロラマシーンに乗って』が加わった。他にも読みたい本が目白押し。春を迎えたら、久々に本の虫になってみるとするか。

 僕は今年三十三歳を迎える。あと一ヶ月を切っている。三十三歳を迎えたら、僕も小説を書こうと決めている。最後に小説らしい小説を書いたのは三十歳だか三十一歳だかの時だから、もうずいぶん長いこと、まとまった作品を書いていないし、あのとき書いたものにしても、まあぶっちゃけ、どうでもいいような小説だった。今はあの頃よりもずいぶん実力がついている。今度はちゃんと書けるはずだ。書きたいものも見つかった。僕はファンタジーを書くのだ。長らく私小説にこだわって来た部分があったのだが、なんだかもうどうでもいい。私小説という形でなくても書けるじゃないか。そもそも僕の人生なんてそんな面白いもんでもないし、それを読み物にしようだなどと、おこがましい。
 今年考えているのは、オムニバスの童話集である。僕は暗いから、暗い童話になるだろう。ひねくれているから、ひねくれた童話になるだろう。歪んでいるから、歪んだ童話になるだろう。読む人によっては怒りすら感じるような、でもものすごく優しく温かい、そんな童話が書きたい。これは、ライフワークになると思う。たとえば、本当にすごく温かいのだけど人権擁護団体からはクレームがつく、そんな作品を僕は書きたい。三十三歳。いいじゃないか。素晴らしい仲間たちがたくさんいる。嬉しいことだ。
 あらゆるものはただ虚ろで、実態があるのかないのか、幻なのかそうでないのか分かったものではないが、自分の存在すらこんなにも不確かで、そもそも存在しているのだということにすら自信が持てないというのに、その嬉しい気持ちだけは確実にここにあり、その唯一確かな気持ちが、すべての不確かな物たちに輪郭を与え、突き動かしている。この実感が最高なのだ。


 三月十七日(土)
 僕の青春を語る上で、絶対に外すことのできない映像作品。それは『ウルトラファイト』という、超低予算作品である。昭和45年から二年間にに渡って放送された一本せいぜい二、三分程度の作品で、なんと全195回。初めは『ウルトラマン』のバトルシーンを抜き出して放送しているだけだったのだが七十話を超えたあたりでネタが尽き、即興の寸劇を放送することになった。何もない野原や雪原、海岸などで、とにかく理由なくドツキ合いが始まり、とにかく何も解決せずに終わる。なんとも不条理な作品だ。カメラワークも妙にシュールでいい。
 ちなみに、ひとたび喧嘩が始まると、どんなに「最後には何かが解決するのではないか」と思っても、ほとんどすべての場合、何も解決しないまま終わるので、絶対に期待してはいけない。
 大学生時代、とにかくハマった。この「意味のなさ」がもう最高に面白い。山田二郎アナウンサーのとぼけたナレーションも、いかにも「なにをどうナレーションしていいのか分からないなあ」という感じが滲み出ていて面白い。これはDVDでも揃えてあり、ときどきリフレッシュのために観ているのだが、何回観てもまったく飽きが来ない。どれだけ意味がないか、youtubeに上がっているものを観ていただきたい。

『セブンよこの挽歌を聞け!』『宇宙卍』『怨念! 小島の春』
『地獄極楽キック攻め!』『決闘ハレンチ星団』『早過ぎた葬送曲』

 それではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら。


 三月十七日(土)
 んがー、疲れた! 深夜一時に目を覚まし、現在、夜七時まで仕事。さすがに疲れたから今日は寝る。たぶん二時か三時には目が覚めるだろうから、そしたらまた仕事だ。何日間パソコンの電源入れっぱなしにしてるんだろう。明日フルスピードが出れば、あと二日で終わる。フルスピード出なかったとしても、まああと三日ってところかな。火曜の朝には終わっているだろう。
 今日は、中村俊輔選手が所属しているグラスゴー・セルティックの歴史および、同チームに所属していたダリウス・ジェカノウスキ選手のことなどをあれこれ調べ上げているうちにほとんど一日が終わった。「そんだけ調べればいいのかな」と思って調べているうちに、結局、選手ひとりひとりのプロフィールを調べていかんとマズいなという話になり、結局ズルズルと時間がかかってしまった。
 あと、ハイバーニアン・フットボール・クラブ、通称「ヒブス」のこともいろいろ調べる。何年にユニフォームのスポンサー・ロゴが変わったかとか、スポンサーがどんな会社なのかとか、ヒブスのサポーターたちはどこのサポーターたちとどんなふうに仲が悪いのかとか、エトセトラ、エトセトラ……。フットボールはちょこちょこ観るけど、スコットランド・プレミアリーグなんてほとんど見たことないし、見たことあるにしても、俊輔選手のセルティックくらいのものだ。ヒブスなんて名前くらいしか知らなかったけど、なるほど、面白い成り立ちのチームだ。
 ヒブスは元はといえば、アイルランドからのカトリック系移民によって設立されたクラブチームらしく、「ヒベルニア」という、アイルランドを指すラテン語がチーム名の由来になっているらしい。そんなわけで、エジンバラで最古のフットボール・チームであるハーツ・オブ・ミッドロージアン、通称ハーツのサポーター(通称「ジャンボ」)とは仲が悪い。さらに最近ではセルティックもすっかりアイルランド系の選手をはじめとして多国籍チームになってきているので、ハーツのようなチームからすれば、フットボールの敵チーム以上の意味合いで「敵」であるようだ。面白いぞ、スコットランド・リーグ。俊輔選手も、またなんとも面白いところでプレイしているものだ。ちょっと羨ましい。
 ちなみに、スコットランドのフットボール事情のことはけっこう書かれているのに、レンジャースがまったく出てこないのはどういうわけだ。ウェルシュ、嫌いなのかな。嫌いそうだけど。ただしマンチェスター・ユナイテッドは、間接的にボロクソに書かれていてウケた。チェルシーのこともウェルシュだったらチンチンにけなすだろうな。今回は出て来なかったけど。
 そんなことを調べ上げてちょいと手直しを加え、ラスト二章のうちの一章を終了。これで残すところはあと一章。未訳ページが十数ページあるのでそれをさっさとやって、全体をブラシアップしよう。四章にはちょっと厄介な箇所があって、そこはすっ飛ばして未訳のままにしてある。たぶんそれを終えて最後になるだろう。いやはや、今回はスコットランド・リーグとドラッグと二次元にけっこう詳しくなったぞ。

 途中で、例によって辞書を引いても分からない単語がちらほら出てきたので、頼りにしているスコットランド人、武蔵野大学のピーター・オコーナー助教授に訊ねてみたら「俺それ初めて聞いた」とのこと。でももう慣れっこだから、ビビらない。怒らない。「今度スヌーカー連れてって。昔の血が騒ぎ出した」とのメールをもらったので、この仕事が終わったら一緒にプレイすることにした。今月は、もしかしたら『メトロポリス』という雑誌からスヌーカー・プレイヤーとして取材をして貰えるかもしれず、そちらも楽しみ。記者さんも、元は熱烈なプレイヤーだったらしい。

 今年、時間ができたらスコットランドに行ってみようかな。在英時代に一回だけ行ったことがあるけれど、たった一日だけだった。エジンバラに行ったのだけど、グラスゴーにも行ってみたい。当然、あっちのスヌーカー・ホールにも行ってみた。せっかくだからセルティックの試合も観てみたい。よし決めた、スコットランド行こう。

 ああ、僕らは太陽の下で……。


 三月十六日(金)
 カメラが届いた。仕事が終わるまで開けるつもりはなかったのだけど、ちょうど最近、ヤフオク詐欺の記事を読んだばかりだったので、不安になり開けてみる。ちゃんと届いてた。何枚か撮ってみた。やばい面白い。これは、再度封印しなくちゃならないな。本格的にいじるのは、仕事が終わってからにしないと。ちなみに、部屋には被写体になりそうなものがほとんどないので、この間と同じく、18号さんにお願いした。早く桜が撮りたいな。



 ていうか、『みんなのゴルフ5』、PS3かよ! PS3はもう買うまいと思っていたが、みんゴルが出るのならば買わなくちゃならないな。ちなみに、こんくらいの腕前です。



 三月十五日(木)
 西武の裏金問題はしかし、ひどいな。「知りませんでした」「奨学金だと思ってました」で済むはずがない。でも受け取る方もひどいが、どちらかというと出す方が悪い。大学生なんて、十万二十万を目の前に差し出されたら、そうそう断れるはずないじゃん。プロ野球では「子供に夢をうんたらかんたら」と偉そうなことをよく言うけど、金で若い選手の目をくらませて釣り上げるようなことしておいて、よく言うよ。西武だけだと思いたいね。ほんと。でも「たまたま今年だけ。たまたまこのふたりだけ」っていう方が不自然だよな。これを機に、深い調査をしてほしいものだ。
 にしても、親も「息子はよく分かっていなかった」とか言って球団にキレてるけど、あなたはどうなのかと言いたい。ほんとにそういうこと言えるのか? 普通に生きてりゃ、何が起こってるかなんて分かったんじゃないかと思うが。

 どんなに選手たちがいいプレイをして盛り上がっても、こういうことがあると「あー、しょせんこうなんだなあ」と白けさせられる。


 三月十五日(木)
 一晩かけてやった分がパー。なにそれ。

 無理。

 寝る。


 三月十四日(水)
 久しぶりにドライアイ。やはり長時間見つめている仕事だから、なりやすい。今までにも何度かなっているけど、今回は二年ぶりくらいかな。まあ軽度なので、ちゃんとケアして無問題。ドライアイの自覚症状は、目やにだな。目は比較的な丈夫なほうで、丸二日間ぶっ通しでモニタを見ていても疲れ目になったりはしないのだけど、だからこそ逆になりやすいのかも。いちばんひどかったのは渡英前にかかった時で、あの時は目が痛くて痛くて、どんどん目やにが出て来て目が開けられなくなってしまった。あれ以来、常に一日三度のアイボンは欠かさないようにしている。
 ちなみに、どんな場合になりやすいかというと、僕の場合、デスクで仕事をしているときよりもコタツでしている時のほうがなりやすい。というのは、コタツの時のほうが、視線に対してモニタの位置が高くなるからだ。位置が高くなるとそれに伴って目を開いている面積も広くなるので、乾きやすいのだ。デスクのときは、モニタを見下ろすような感じなのでほとんど心配ない。パソコンで仕事している人で「なんか目が疲れるなー」と思ってる方がいたら、椅子を高くするか、モニタを低くするかをオススメしたい。
 ちなみに、無色透明のメガネから現在使っている青いレンズのメガネに変えてから、若干楽になったような気がする。よく、カッコつけてこのメガネなのかと言われるが、実はそういう理由があっての青メガネなのである。今度また一本作ろうっと。

 実家に電話をかけたら、義姉の出産に伴い埼玉に行っている花子(3)が出た。タイ土産の洋服をとても気に入ってくれたようで、嬉しい。白雪姫のビデオを見ているのだとかで「志文きてー! ねー志文きてー!」とさんざんせがまれる。ごめんな、今ちょっと行けないわい。あと「お姫様のスカート買ってー」と頼まれた。今度パパに訊いて、OK貰えたら買ってあげるとしよう。でもタイ産のワンピースでしばらく我慢しなさいよ花子。

 そいうえばデジカメだけど、よく考えたら、コンパクトデジカメを買い換えようと思っていたのをふと思い出した。今回は一眼を買ってしまったので買い換えは当分先になってしまうだろうが、実を言うと、今使っているデジカメに非常にストレスを感じてるのだ。



 今使ってるのはこの人、ソニーの DSC-T7 というモデルだ。一昨年札幌に行ったとき、持って行ったデジカメの調子が悪くなってしまい、駅前のビックカメラで購入。ぶっちゃけスタイル一本で買ったのだけど、これがまずかった。軽くて小さいクセに手ブレ補正がないのである。だから安定しないので、もうブレるブレる。動きのある被写体とかにも弱い(まあこれは、コンパクトデジカメならある程度しょうがないけど)。で、しばらく経ってから電車に乗っていたらコイツの後継機種の広告が貼ってあったのだが、デカデカと「手ぶれに強い!」と書かれてあり、思わず「そうでしょうそうでしょう!」と声に出してツッコんでしまった。
 で、そもそもなんで「一眼欲しいな」というところに行ったかというと、元はアレなのよ、コンパクトデジカメを探しているうちに、買い換え熱が高じてしまったのだな。生まれてこのかたずっと Cyber Shot シリーズしか使ってこなかったのだが、今度はちょっと別のにしようと思っていて、もう実は機種までほとんど決めていたのである(ちなみに富士フィルムの FinePix Z5fd というモデルで、これも割と薄型。持ち運びが便利で、今のよりちょっと分厚いから安定しそうだというチョイスだった)。が、この辺りが仕事のストレスの恐ろしいところ。鬱積したものが多いから、決断が大げさになりがちなのだ。「いっそ一眼だろ、ここは」と踏み切るに至ってしまったのだった。まあしばらくは Cyber Shot でいいか。慣れたといえば慣れたし。
 と言うとなんかマイナスばっかのように聞こえるが、ものすごく信頼している一面もある。それは薄型のクセにびっくりするくらい頑丈なことだ。僕はよくスヌーカーの練習をするときにデジカメで撮影しながらフォームやストロークのチェックをするのだけど、テーブルの上に立てておくと、薄型だけあってよく倒れるのだ。80センチの高さから床に落ちることもしばしばなのだが、何回落としてもまったく壊れない。個人的に「ソニー製品はもろい」と思っていたのだが、こいつのおかげでちょっと認識が変わった。PSXは保証期間が過ぎたら一ヶ月以内で壊れたけどな。デジカメはがんばってるぜ。

 さてと、仕事するか。


 三月十三日(火)
 仕事が大詰め。いよいよあとほんのわずかのところまで来た。今のところ仕上がっている分だけを出版社に送り、残りの分のツメの作業に入る。予定よりちょっと遅れてしまっているが、まあしょうがない。自分で言うのもなんだが、ここまで来たらスケジュールに合わせることよりも、いい仕事をすることだ。モカとユンケルは、すでに主食と言ってもいい。
 状況が状況なだけに、どうしても他のことに頭が行きがちになる。行き先はやはり、ここのところ恋をしているこの人。仕事の合間にヤフオクをあれこれ見ては、出物がないか探……あるじゃん。何だこの値段! 次の機種が出て(キムタクが宣伝してるやつね)中古の値段が落ちたのは知っていたけど、それにしても安い。というくらいのが一台だけあり、落札。気になって仕事ができないならば、すぐ落札して仕事をしてしまったほうがいい。届いて必要なかったら同じ値段で売っちゃえばいいんだしな(まあ有り得ないが)。というわけで、ゲット。十五日に届くようだが、とりあえず、仕事が終わるまでは開けない。「終わったら開けていいよ」とルールを作っておけば、どんどん仕事が進むはずである。

 ちなみに現在は「必殺☆二日を三日殺法」で仕事をしている。これは、本来は二日間であるはずの四十八時間を三等分して三日にしてしまえ、というやり方だ。つまり、一日が十六時間になる。八時間働き、二時間休み、六時間寝る。食事などの必要に迫られないかぎり、とにかく外や時計は見ない。明るくなったり暗くなったりが分かってしまうと、あっという間にイリュージョンは解ける。イリュージョンが解けない限りは、二日は三日だ。さらに「奥義☆二日を四日殺法」という上級コースもないわけではないが、これをやると本気で体調を崩すので、よほどじゃない限りは使わないようにしている。この場合一日が十二時間になるので、六時間働き、二時間休んで、四時間眠る。慣れるまでは厄介だが、ひとたび慣れてしまえば「よし、今日から二日を三日にしよう」と思い立つだけで、割とすぐに体が順応してくれるようになる。
 こう書くとなんだかやたら無理をしているように見えるかもしれないが、実は僕の集中力がいちばん上がるのは、ちょっと眠いくらいの時なのだ。疲れる前というのは体力がまだ余っているので他のことに気が回りがちになってしまうのだけど、いい加減疲れて眠くなってくると、目の前のことにしか気持ちが向かなくなってくる。だから、それなりに睡眠時間を短縮し、常にくたびれている状態を維持し続けるくらいのほうが仕事の効率がいいのだ。うっかり深く眠りすぎてしまわないよう、コタツやソファなど、わざと寝心地の悪い場所で眠るのがコツだ。
 逆に「二日を一日作戦」というのもあり、これがうまくハマることもある。まあ原理は同じで、四十八時間起きて仕事やら何やらし、とにかく泥のように眠り、目が覚めたらまた四十八時間、という作戦だ。これはぶっちゃけ、よほど無理したいときにはいいのだけど、「二日を三日」「二日を四日」みたいに、何日も続けて使うことが何故かできない。もう眠くて眠くてたまらない状態が十六時間とか続くわけだけど、その間モカとユンケルを飲んで体さえ覚醒させておけば「疲れていれば集中できる」のルールにのっとり、かなり長時間集中して仕事ができるのだ。別名「本郷カマトさん作戦」とも呼んでいる。

 そんな春。


 三月十二日(月)
 昨日が兄の誕生日かと思ったら、今日は兄の息子、つまり僕の甥が誕生。名前は空(仮)。予定日を二週間ほど過ぎていたのでここのところずっと心配していたのだけど、超安産と聞いて一安心。夜、埼玉の実家に向かう兄に高田馬場で途中下車してもらい、お祝いのシャンパンを開ける。誕生日プレゼントも無事に渡した。いや、めでたいめでたい。

 僕のほうは、相変わらずデジタル一眼レフへの恋心が捨てられず。


 三月十一日(日)
 兄の誕生日。プレゼントを用意してあるのだけど、仕事が終わるまでは渡せないかな……。もしかしたら明日会えるかもしれないが、さて、さて、さて。

 夜中に目薬をさして手の甲で目元をぬぐった拍子に、右目のコンタクトレンズが目の奥に入って行ってしまい、大あわてする。仕事の状況が状況だから痛みや違和感がない限りは放っておきたいところなのだが、瞬きをすると違和感があり、やはりどうしても気になるので除去開始。しかしこれがなかなか大変だ。ウチは基本的にそんなにライトが明るくないので、ただでさえ見えづらいコンタクトが余計に見つかりにくい。探し、諦め、仕事をし、やはり違和感に苛まれてまた探し、そして諦め……を繰り返しているうちにすっかり四時間くらい過ぎ、ようやく取り出すことができたのは朝の六時を過ぎてからのことだった。いや、それにしても焦った。

 十二日の朝を迎えてからは、イラク戦争に関する調べ物に時間を費やす。作品の一部にイラク戦争に関する記述が登場するのだけど、スコットランドやアメリカで何がどのように受け止められていたのかを調べないと、ちょっと不安が残るからだ。とはいえ、もうそれなりに昔のことなのでなかなか思うように情報は集まらず、さらにそれが、たとえばファルージャ侵攻などに限定されると、なおさら探しづらい。一般的な世間の総論みたいなものはちょくちょく見つかるのだけど、ひとつひとつの事柄に対する細かい心情のようなものは、ある程度時間が経つと記事が見つからなくなってしまう。
 それにしても今回は本当に調べ物が多い。スコットランドの歴史、町並み、スコットランドのフットボールチーム、そのサポーターたち、ダービー・マッチにかけるサポーターたちの気持ち、マリファナの育て方、酒の名前、バンドの名前、そのバンドの歴史、エトセトラ、エトセトラ……。特に苦労しているのは、ドラッグの使い方だ。コカイン、ヘロイン、ハシシ、などなど。いったいそれらを消費する時はどの動詞を使うのだろうかとか、どういう消費の仕方をするのだろうかとか、「ラインを引く」と言ってもいったいどの程度の太さ、どの程度の長さのラインで、通常はどんなところに引いて、どんなふうに吸うのだろうとか、何だか、検索履歴だけ見たら事情聴取を受けさせられそうな、そんな調べ物も多い。
 歴史などに関してはけっこう、知り合いのスコットランド人に訊いたりできるのだが、さすがにこれは訊けない。「コカインってどうやって使うの?」とかな。あとドラッグに関しては、俗語でとにかくいろんな呼び方があるから、それも面倒だ。「翻訳という作業は七割が調べ物」なんて言われているけど、今回はそれを上回っている。単に日本語に直せばいいだけならば、どれだけ楽かと思う。

 ストレスが溜まると何だか買い物がしたくなってしまうもので、昨日くらいからデジタル一眼レフをヤフオクで見ている。イギリスに居た頃から一眼レフは何となく好きで常に持っているのだけど、フィルムの時代が終わった今、そろそろデジタルを持ってもいいはずじゃないかと、自分の購入意欲を肯定する。そして「いや、やっぱ要らないじゃん。お前何言ってんだよ」と自分に喝を入れてウインドウを閉じる。ストレス発散に買うには、ちょっと高いね。

 ☆ ☆ ☆

 ランチに、近所のハンバーグ屋に入った。店内のそこかしこにびっしりと、あいだみつおみたいな金言が所狭しと貼られていた。
「今すぐやろう」とか「感謝の気持ちを忘れずに」だとか、正確には憶えていないけれど、とにかくそんな感じのうんざりするようなメッセージに囲まれて、心底嫌な気分になった。こっちは、せっぱ詰まった仕事の息抜きを兼ねて食事に来てるのに、真横に「今すぐやろう」などと書かれていたのでは、たまったもんじゃない。そもそも、お客に向けてそのメッセージを貼り出しているということは、「お客さんは、今すぐやらない人だろう」「お客さんは、感謝の気持ちを持っていないだろう」とかいう意味にも取れ、むしろ失礼だ。
 ああいうメッセージというのは、物事の根本的な解決にはまったく役立たないと僕は思っている。その時その時に瞬間気持ちを楽にしてくれる、いわば「その場しのぎの麻酔薬」くらいにはなるだろうけれど。人が追い詰められない限り本気で行動をしない部分を持った生き物であるのならば、むしろそんな麻酔薬は害にしかなり得ない。追い詰められるのであれば、とっとと追い詰められて行動してしまうに限る。瞬間瞬間をごまかしながら生きていると、結局最後には自分のことにしか目が向かなくなり、より孤独になってしまうように思う。
「泣ける」「癒し」「気づき」と、三種の神器を求めてさまよう人は、どんなにそれらに出会っても、また次の「泣ける」「癒し」「気づき」を求めて旅立ってゆく。まるで「この方法じゃ痩せなかったから、新しい方法を試してみよう」と次から次へとダイエット法を渡り歩いてゆく、「一日一時間歩く」という、ごくごく単純なことができない怠け者みたいに。だからこそ人間は面白いのかもしれないが、これはものすごく非生産的だとしか思えない。だったら、たとえば一日に英単語を三つ暗記するとか、新しいことわざをふたつ憶えるとか、そういうことをしたほうが充実するし、救われるような気がする。
 金言シリーズと言えば、自殺が問題となっている昨今、自殺が話題にのぼるたびに「あなたが捨てようとしている明日は、彼が心より生きたがっていた明日」みたいな言葉があちらこちらに踊る。糞喰らえだ。こんな言葉を読んで感動するのは、明日を捨てようとしている人間じゃなくて、明日に希望を抱いている人間だけだ。そもそも、明日を捨てようとしている人間にとっては、こんなもん脅し文句くらいにしかならないはずだ。この言葉を目にするたびに、僕は公衆トイレに貼ってある「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます」というメッセージを思い出す。内容は違えど、ほとんど同じ意味だ。あれで人ひとりの命を救えるなんて思ってる人が本当にいるのならば、その人たちは「もしかしたら自分たちが知らず知らず人を自殺に追い込んでいることもあるのかもしれない」と、視点を変えてみたほうが建設的というものだ。

 やれやれ、まったくすさんでるな。ごめんなさいね。


 三月九日(金)
 夜たまたまテレビをつけていたら、田嶋陽子氏が出ていた。
 あの人は女性のイメージを悪くしていると思う。

 もう少しで仕事がひとまず終わるというのに、ここ二、三日は本当に集中力がもってくれず、軽く落ち込むくらいスピードが上がらない。あと五日は家から出られないような有様なのだが、とにかくもう、無理矢理頭と体を働かせてやるしかない。吐き気が止まらず。精神的なものだとは分かっているけれど、目の前に突きつけられる感覚は否応無しに厳しく、薬でどうにかなるものでもないから余計にたちが悪いときている。

 昔、やはり今のように翻訳がせっぱ詰まってどうしようもなかった時に、当時付き合っていた女の子を「仕事とあたしどっちが大事なの?」的な気持ちにさせてしまい、別れてしまったことがあった。あれからちょくちょくそのことを考え、仕事で締め切りが迫るたびに「うーん、どっちなんだろうな」と当時の気持ちに立ち返って考えるのだけど、やはり「仕事」としか言いようがない。本来、比較するような物ではないのだろうけど、時間が限られている都合上どちらかを選べと言われたら、それはやはり、どうしても「仕事」になる。だから、「お前」と言われて満足する女の子とは絶対に付き合えないだろうな。つーか「お前」と言わせて嬉しいのか、と問いたい。
 翻訳というのはある意味とても特殊な仕事で、翻訳している作品がある間は、自分のわがままはそうそう言っていられない。著者は、顔も人間性も知らない、そしてほとんどの場合言葉のひとつも交わしたことのない異国の翻訳者に、丹精込めて書き上げた作品を託さなければならない。もし自分が日本語をできるのならば、自分で翻訳したいくらいの気持ちに違いない。だから、翻訳者の責任はとても重大なのだ。二ヶ月なら二ヶ月、三ヶ月なら三ヶ月、翻訳期間を与えられたのであれば、その間は著者の「奴隷」にならなくてはいけないのが、翻訳者の仕事だと僕は思っている。まあどの仕事にもそういう側面はあるだろうけれど、翻訳に関して言えば、長い。
 その隷従期間中は、趣味も何もかも、リフレッシュするための手段になってしまう。僕のビリヤードなんて今まさにそんな感じで、でもプレイできていないことに対するストレスはない。作品を請けた以上、その間スヌーカーが上達することのほうが恥ずかしいくらいだ。どうしても行き詰まり、にっちもさっちも行かない時は気分転換にちょっと撞いたりもするけど、基本的に、その時間があるのならもっと文章を磨くことができるはずだと思い、原稿に向かっている。食事を摂るのも睡眠を取るのも仕事のためで、生活サイクルすら犠牲にしなければベストを尽くせない時もある(ちょうど今みたいにな)。だから翻訳期間というのはいつだって、100%自分自身として生きることを許されない期間、と言い換えることもできなくはないのだ。
 自分のことでさえその有様なのだから、「寂しいから会いたい」くらいの理屈では、おいそれと時間を割くことなどできない。自分を信頼して作品を託してくれた著者と、寂しいから会いたがっている恋人。今日一日をどちらに使うかと問われれば、それはもう迷わず、ノータイムで著者だ。そもそも「寂しい」っていう気持ちなんて、空いた時間にガッツリ打ち込むことの無い人が感じるものだと思えなくもないし、たかだか二ヶ月三ヶ月、思ったほど頻繁に会えないくらいで疑問を感じてしまう程度の関係ならば、無くなってしまったとしても、つらいのは最初のうちだけだろう。

 なんて、えらく偏ったことを書いてみた。
 今日は朝八時に起き、九時から仕事をし、午後二時に寝て、午後八時に起き、それから今、翌日の午前十時まで仕事をしている。今は一息入れて、この日記を書き終えたら、眠くてどうしようもなくなるまでまた仕事をするつもり。

 あと一息。


 三月八日(木)


 うおお、よくできてる! こういうのついつい買ってしまう。ひとつ買ってしまうとコンプリートしたくなる。そんなわけでウチにはこの手のフィギュアがけっこうあります。で、そのうちホコリが積もって嫌になって捨ててしまうのだけど、まあその頃にはすっかり見飽きているので元を取っているということであり、結局は俺の勝ち。

 メインで使っているPower Book様が修理に出されることになった。先月最後の日記に貼ってある15 inchのやつね。写真でも分かるとおりモニタに白い斑点みたいなものが浮かんでいるのだけど、これはどうも初期不良で、クレームで修理してもらえるらしいのだ。正直、仕事しながらちょっとストレスになっていたからマジ助かった。

 夜は久しぶりに角家(すみか)にてゆっくり食事。ここに通い始めて、そろそろ二年になるな。ウチから徒歩二分くらいで行けてとても便利なのだけど、それよりも、安くて美味しい。落ち着いて長居できる。高田馬場にお立ち寄りの際には、ぜひぜひお試しあれ。

 ウチに来た友人が「お前んちのリビング、人の気配がするんだけど。誰か歩いてるぞ」と言う。やめてくれよー!


 三月七日(水)
 今月のJSA関東ランキング戦は、不参加決定。二十五日に船橋のららぽーとTokyo-Bayにて開催される『レインボーマジック・コスプレコンテスト』に審査員として出場することになった。月末の日曜日をスヌーカー以外で過ごすのは本当に久しぶりかもしれないな。まあ、練習もできていないことだし、ちょうどいい。イベント当日は、審査員もコスプレがあるとかないとか……。どうせだったらルビーがいいな……。

 仕事のほうは、何とか終わりが見えて来た。リサーチの繰り返しもさることながら、今回は、基本的に三人称小説なのだが、部分部分で一人称になり、しかもその一人称が四〜五人分あるので、その語調の統一というか、変化みたいなものがかなり厄介だ。繰り返し原書を読んでひとりひとりのキャラクターを掴みながら進めなくてはいけないし、いきなり語り手が変わってしまったときは、気分を変えるのも大変だ。
 ただ、じっくりやっている分だけ訳は我ながらいい。書いても問題ないはずなのでタイトルを書くと、スコットランドのアーヴィン・ウェルシュという作家の『The Bedroom Secrets of Masterchefs』という本。『トレインスポッティング』の作者といえば、ご存じの方もいらっしゃるかと思うが、現代の英文学を代表する作家のひとりで、僕にとっても特別な思い入れのある作家だ。思えば、僕が翻訳をやろうと思うきっかけになった数冊の本のうちの一冊が、彼の『マラボゥ・ストーク』という本だった。

 最近は、とにかく深夜から朝九時あたりにかけてがいちばん集中力が出るので、夜十一時とかに起きて午後くらいまで仕事をし、それから日々のあれやこれやをやって午後三時か四時くらいに寝る、という生活をしている。我ながらめちゃくちゃだけど、それもあともう一息の話だ。今夜も今からがんばるぞ。


 三月四日(日)
 今日はNHKにて、『きらり10代!』という番組に、ゲスト出演させていただいた。約一時間にわたる生放送だったのだけど思いのほか早く、もっといろいろ話したいことなど実はあったのだけれど、あっという間に終わってしまった。残念。それにしても楽しい経験ができた。呼んで下さった方々、本当にありがとうございます。ちなみに、僕がちょうど百人目のゲストになるらしい。センチュリー!

 十代のころの自分っていったいどんなだったかな、と、帰り道、ぶらぶら歩きながら考えていた。まだせいぜい十年ちょいしか経っていないはずなのによく思い出せず、わずかに憶えていることも、本当にその記憶の通りなのか、それとも脚色されているのか、はっきりと自信を持っては憶えていない。自分のゆく末にはいろんなものが無限に広がっているような気持ちで過ごしていたように思う。で、気づけばいつの間に生き方を選んだのか、もう僕のゆく末は無限ではなくなり、自分の歩いてきたのは無限の野原などではなく、実は両端がきちんとある一本の道だったのだと気づく。それを楽しく受け止められる日もあれば、残酷なことにしか思えない日もある。
 道はどんどん狭くなりながら先へと続いてゆく。かつてそれが無限の野原だと僕が感じていたのは、まだその両端が見えないほど遠くにあったからなのだ。先を見れば、道幅は徐々に狭まってゆく。僕はごくりと生唾を飲み込む。僕は誰かに背中を押されるようにして、前に進むことしか許されずに歩いてゆく。そしてやがて道は、僕が左右に身動きも取れないほどに狭まり、そしてぷつりと終わるのだ。

 十代の俺よ
 三十代の俺にひどいことをするな。
 おまえの
 一挙手一投足が、
 一言一句が、
 今の俺を
 時に苦しめるのだ。

 ただ
 おまえには分かるまい。
 なにせおまえときたら、
 手を伸ばせば何にでも届くはずだと
 信じて
 疑わず、
 まるで自分は
 世界の中心にいるのだとでも言いたげな
 なんとも鼻持ちならない態度で、
 何もしていないくせに
 得意面してやがる。

 おまえは俺を斜に見て、
「責任とっといて」と、
 ありとあらゆる
 面倒ごとを
 俺の目の前の地面の
 前屈みにならないと
 ギリギリ届かないところに
 片手で
 無造作に
 放り投げ、
 颯爽と自転車をこぎながら、
 よりにもよって
 パチンコ屋へと去って行った。

 でも
 おまえのおかげで
 得をしていることも
 ないではないから
 許してやろう。

 どうせ
 もう戻れないのだしね。

 十代の俺よ。
 ちょっと遅くなったけれど
 さようなら。


 三月三日(土)
 よくサイトを通してメールをいただくのだが、インターネットでは、よく知らない人や、時にはまったく知らない人からえらくなれなれしいメールを貰うことが多い。モニターを通すと、くだける人はすごくくだける。自分のパソコンは慣れ親しんだものだし、その慣れ親しんだパソコンに向かって慣れ親しんだ姿勢で向かい合うから、その向こうにいるはずの相手の姿が見えなくなるのかな、とか思う。パソコンを使うとき、英語で「talk to the PC」なんて言い回しを使うことがあるけど、この表現はなかなか奥が深い。もしかしたら、皮肉から生まれた表現なのではと思ってしまう。
 こういうことを気にするのはなんだか懐が狭い人みたいで自分でも嫌なのだが、やっぱり気になるものは気になる。だってたまに、信じがたいようなものも来るのだ。今みたいに、仕事でピリピリしている時などは特にそういうのには掻き乱される。で、気にしてしまった自分に落ち込み、悪循環的にどんどん悪いループにハマって行くんだよな。でもたとえばメールじゃなくて紙とペンだったとしたら、どんなふうに書くんだろう? それでも同じように書くのかね。

 仕事のほうは、あと一息。本文を進めながら、過去の文章のチェックや不安な箇所のリサーチのやり直しなど。こたつで仕事をし、こたつで食事をし、疲れたらこたつで寝る。飽きたらデスクに移動してデスクで仕事をする。他のことは何もやっていないのでかなりつらいのだが、ともあれあと十日ちょいでそんな生活ともおさらばだ。仕事が終われば春がやって来る。春が来たら、名古屋方面の寺に花見の旅に出かけるつもりだ。最近知り合いが住職に就任した。

 三月は群馬遠征があるのだが、これは申し訳ないけど僕は不参加だな。岩崎さん、すいません。というか最近、というか去年の暮れくらいからだけど、なんだかスヌーカーの試合に対するモチベーションが下がりっぱなしだな。今年運良くまた代表に選出されることがあったら、それを機にプレイヤーとしての活動には一息入れるかもしれんね。どうやれば、この停滞した気分から抜け出せるのか。仕事が楽になってまた練習ができるようになったら気分も少しは変わるのかな。今はとにかく練習がほとんどできておらず、それがいちばんつらい。そりゃあ差もつけられるわけだね。
 でも、練習量っていうのはあれなんだよね。それも才能なんだと思う。よく「いやー、練習できてないから調子悪くて」だとか「あの人は練習たくさんできるから強いんだよ」なんていう言葉を耳にすることもあるけど、そりゃあスポーツなんだから練習してるほうが強いに決まってるじゃんね。練習たくさんしてる人も、楽々その環境を手に入れてるわけじゃないと思う。だから、軽々しくそういうことを言う人を見ると、ちょっとげんなりするね。
 さて、俺も四月っからはまた練習量増やすよ。ここ二ヶ月ないし三ヶ月、練習といってもほとんど人との相撞きしかやってなかったからな。クロスタイトリーがなくなってしまったのが、やはりどうしても痛い。撞き放題でじっくり個人練習に打ち込めるお店がなくなってしまったのだ。今年は、この問題をどげんかせんといかん。