留学記:バース編
イギリスに着いたのは1999年4月5日のことで、英語なんて俺は挨拶程度にしか喋れやしなかったし、中学以来、ちゃんと勉強したような覚えもなかった。そんな語学力で行ったのだから、恐れを知らないというのはすごいことだ。だが、ヒースロー空港に降りたってすぐ、俺は自分の甘さを痛感させられることになった。目的地のバースまでどうやって行ったものか、さっぱり分からなかったのだ。昔、高校時代に一度だけバースに行き、三週間ほど滞在していたことがあったが、そのときは高速バスに乗った。俺は、重たいスーツケースと手荷物を引きずり、ジャンベを背負いながら、高速バス乗り場を探し求めて、空港の地下通路を歩き回った。日本に比べて肌寒く、匂いもかすかに違った。当たり前だが聞こえてくるのは英語ばかりで、俺には、人がなにを言っているのかさっぱり分からなかった。言葉が通じないところに行くと、俺のような臆病者は、手も足もでなくなってしまう。
「取り返しのつかないことをしたのかもしれない」
長旅の疲れもあり、だんだん体が重たくなり、スーツケースを引きずる腕がしびれてくるにしたがって、俺の頭はそんな考えに支配されはじめた。バス乗り場はなかなか見つからず、俺は長い地下通路を、行ったり来たりし続けていた。時間が経てば経つほど、「そうしていればバースに着くんじゃないか」という馬鹿馬鹿しい妄想が膨らみ、その馬鹿馬鹿しさと情けなさのせいで、気持ちは暗く落ち込んでいった。俺は、スーツケースも手荷物もジャンベも、すべてどこかに捨ててしまいたいような気持ちになった。大雪の日に山奥でバイクのバッテリーが上がってしまい、何キロも押しながら歩き続けたときも、そんな気持ちになった。
「とにかく一回、地表に出よう」俺は荷物の取っ手を握りしめなおすと、上へと昇る道を探した。とにかく、地下にバス停がないことくらいは、分かっていた。昇りのエスカレーターに乗り、手すりに寄りかかるようにしながら天井を見上げると、ささやかな安堵感が湧いてきた。いずれにしろ、空港のどこかからバース行きのバスが出ているのは確かなのだ。
地表に出ると、俺はまず、煙草に火をつけた。空はよく晴れていて、乾燥した冷気が気持ちよかった。言葉が分からないせいで、人が人に見えなかった。意志の疎通が成り立たない相手は、観念的な意味で、自分とはまったく違う世界に住んでいるといえる。ましてや、共通言語もなければ、どこまで共通認識が成り立つのかも不確かな外国では、その感じがことさら強く感じられた。探せば、どこかに「わたしを飲んで」と書かれた小瓶が置いてあるような気すらした。
煙草を揉み消して灰皿に放り込むと、俺はまた歩き出した。「バス・ステーション1」と書かれた表示が、その横に立っていた。俺は、それこそが自分の探しているバス停に違いないと思い、ジャンベを背負いなおした。
バス停は、二十メートルと離れていなかった。俺は、壁に貼り付けてある時刻表を見ながら、「Bath」の四文字を探しはじめた。だが、何度見直しても、どうしても見つからなかった。三度ほども上から下へと目を走らせているうちに、「ここは違うバス停だ」という思いがどんどん確信へと変わっていった。だが、もうどこにも動きたくなかった。俺は、意地でもその時刻表に「Bath」の四文字を見つけ出してやろうと、なかば意地になっていた。
その俺の様子が気になったのか、ひとりの老人が俺のほうにやってきて、なにか話しかけてきた。俺には、彼がなにを言っているのかさっぱり分からなかったが、たぶん「困りごとかね」とでも言っているのだろうと思った。
「バースに行きたい」と、俺は言った。彼は、俺の隣に立つと、しばらく黙ったまま時刻表を眺め回してから、首を横に振った。それから、近くで掃除をしていた清掃員になにか話しかけると俺のほうを向き、またなにか言った。今度は、本当になにがなんだか分からなかったし、想像もつかなかった。彼は何度か同じことを繰り返してから、まったく話が通じていないのを見て取ると、困った顔で、違う方角を指さして「セントラル・バス・ステーション、セントラル・バス・ステーション」と繰り返した。とにかく、彼の指さす方向へと歩けば、そこに着くのだろう。俺は彼に「ありがとう」と言うと、その場をあとにした。
しばらく歩くと、彼の言っていたバス停が見つかった。「Ticket」と書いてあるところで、チケットを買うのだろう。俺はその窓口に行き、「バース」と言った。片道か、往復かと、窓口の女が訊ねてきた。「もう、口を開くのも面倒」とでも言いたげなその態度は、サービス業としては失格だったが、おかげで「シングル? リターン?」と、俺にでも分かる言い方になった。俺は「シングル」と答えて、金を払い、チケットを受け取った。セントラル・バス・ステーションには、二十を超えるバス停があり、どこへ行っていいのか分からなかった。俺は彼女に質問しようと、頭の中で必死に『田内志文英語辞典』をめくりながら「Where...Where...」と、文章を作ろうとがんばっていた。彼女はいらついた様子で、俺が質問し終える前に「15番」と言って、そっちのほうを指さした。俺は「ありがとう」と言うと窓口を離れ、15番のバス停へと向かった。
バス停の上に取り付けられたモニタには、「415 Bath Spa」と表示されていて、次のバスの時刻が、その下に出ていた。まだ、三十分以上もあった。俺はスーツケースを横にして置くと、その上に座り込んで煙草に火をつけた。「とにかく、これでバースまでは行ける」と、心底ほっとしていた。最初に目的地をバースに決めたのは「昔行ったことがあるから」という軽い気持ちだったのだが、今となっては、それが救いだった。この見知らぬ国で、なんとなく勝手の分かる場所に、これから向かうのだ。
しばらくしてやってきたバスの運転手に荷物を預け、手荷物だけを車内に持ち込むと、適当なシートに腰かけた。やれやれ、とにかくなんとかなろうとしている。今にして思えばまったく馬鹿馬鹿しい限りだが、そのころの俺には、バスに乗ることさえ一仕事だった。乗客が全員席に着くとバスはヒースロー空港を後にした。そしてあっと言う間に賑やかな空港の周辺を抜け、平坦な農地をぶち抜くように敷かれた高速道路へと入った。バースまでは、二時間ほどもかかるようだった。
こうして俺は、「右も左も分からず、言葉も話せない」という、まさに最下層の人間のひとりとして、イギリスでの生活を始めたのだった。日本にいたころは、日本語を話せない外国人がどうやって生きているのか不思議に思ったこともあったが、これから俺は、それを自分の体で実践しようというのだ。
バースまであとすこしというところで、山間にある坂の多い小さな町に、バスは停まった。その町のことなら、なんとなく見覚えがあった。高校生のころに、その景色の美しさに感動したせいだった。窓の外では何人かの乗客たちが運転手からスーツケースを受け取ったり、迎えに来ていた人々と抱擁を交わし合ったりしていた。これから新しい生活を始めようとしている俺と、古い生活に戻ってきた彼ら。そのコントラストが、なんとなく俺をほっとさせた。降りた乗客たちがそれぞれの方角へと向かい、煙草を吸いに出ていた乗客たちが三々五々戻ってきて席につくと、バスは発車した。
しばらくすると道の周りが開け、遠くにバースの街並みが見えてきた。有名な寺院の塔が、太陽の光を浴びて荘厳に立っていた。俺の乗ったバスは、その市街地のほうへと向かい山肌を下っていて、道の右側は、深い谷になっていた。だんだん、建物が多くなるにつれ、「Bath」と書かれた道路標示が目立つようになってきた。バスがすっかり市街地に入り、あと数分で着くというところになると、俺はもう、はっきりとかつて自分が過ごしたこの街のことを思い出していた。時計を見てみればまだ朝の十時をすこし回ったところだった。思いのほか、疲れているわけでもない。俺は、とりあえず大学の寮に荷物を置いて、今日はさっそく街を散策してみようと、胸を躍らせていた。
バス停についてバスを降り、運転手から重たいスーツケースを受け取ると、俺は煙草に火をつけた。懐かしい。そのバス停には十台ほどバスが停まれるようになっていて、かつて俺は、ホストファミリーの家に、このバス停から帰っていたのだ。煙草を深々と吸い込んで初めて、俺は、街の匂いをずっとはっきり憶えていたことを知った。このバス停を出て右に折れると、すぐ駅がある。そこからタクシーに乗って、大学に行けばいい。もう、バス乗り場を探すような気にはなれなかった。俺はスーツケースを引きずりながら、駅のほうへと向かった。隙間の空いた石畳をタイヤが踏み、乾いた空気にその音が響いた。
タクシーは、すぐに見つかった。俺が窓ガラスを中指の背で叩くと、運転手は読んでいた新聞から顔を上げ、運転席から降りてきた。トランクを開けながら、彼は、どこへ行くのか訊いてきた。俺は「バース大学」とだけ答えた。運転手は勢いよくトランクを閉めると、後部座席のドアを開けてくれた。俺は乗り込み、シートに腰かけた。タクシーは、市街の中心とは反対側の山の手をのぼる道を走り、大学を目指した。運転手は俺になにか話しかけてきたが、俺が英語が話せないことが分かると、なにも言ってこなくなった。
大学のバス停のあたりで、俺は降ろされた。目の前の階段の先を指さして何か言うと、運転手は車を回して走り去っていった。
二十段ほどのゆるい階段を、スーツケースを担ぎ上げるようにしてのぼる。左手には大学の建物が建っていて、右手の下には、道路がまっすぐにどこかへと向かっていた。ちょっと歩くと大きなドアが開けっ放しになっていて、そこをくぐり抜けてふたたび外に出るとキャンパスだった。キャンパスは、古めかしい市街地とは裏腹にえらく近代的だった。不思議なことに、ほとんど誰も歩いておらず、見かけるといえば、ベンチに座って休んでいる、学生とはいえないような中年ばかりだった。俺は、いったいどこへ行けば寮があるのかとなかば途方に暮れながら、キャンパスを歩き回った。だが、俺が憶えてきた「寮」という単語「Accommodation」は、どこにも見あたらなかった。俺は、建物の窓をひとつひとつ覗き込みながら、誰かいないか探し歩いた。
しばらくそうしているうちに、どうやら警備員室らしい場所に行き当たった。窓の中に置かれた机にはマイクや書類棚が並べられていて、その机の前に、でっぷりと太った白人の警備員らしき男が座っていた。俺が窓をノックすると、彼が気づいて開けてくれた。
「アコモデーション・オフィスはどこですか?」俺が訊いた。とはいえ、相手がなにか返事をしてくれても、俺にはまたしても、ほとんど分からなかった。「イースター・ホリデイ」「クローズド」という言葉だけが聞き取れた。どうやら、イースター休暇でオフィスは閉まっているのだと、彼は言いたいのだろう。俺はそう当たりをつけた。だとしたら、困ったことだ。いったいどうやって、寮に入ればいいのだろう。困惑する俺とは対照的に、警備員は明るかった。彼はなにかを言うと、スチール製の引き出しを開け、中を引っかき回しはじめた。そこには、茶色い小さな封筒が、二十通ほども入っていた。
「名前は?」彼が訊いた。
「シモン・タウチ」俺が答えた。どうやら彼は、俺の封筒を探しているようだった。「S、I、M、O、N」と、俺は彼の背中から言った。
「ああ、これだ」彼はそう言うと、封筒の中からひとつをつまみだした。その封筒には、俺の名前が書かれていた。彼は封筒を開けると、「これがキーだよ」と言って、小さな銀色のキーを取り出した。どうやら、寮のオフィスが閉まっている間は、警備員たちが寮の鍵を管理していたのだろう。なにはともあれ、俺は胸を撫で下ろした。これでなんとか寮までは入れるし、俺が間違いなく目的地についたことが、ようやく明らかになった。
警備員が事務所を出てきた。どうやら、寮まで案内してくれるようだった。彼は微笑みながら俺のスーツケースを手に取った。俺は、手をぱたぱたと振って「ノー、ノー」と言ったが、今度は彼が俺に手を振り返すと、俺にお構いなしに歩きはじめた。俺たちは、郵便局や銀行が並んでいるビルの中を歩いた。イギリスの大学にはそれぞれの銀行の出張所があり、営業日には何人かの従業員が、そこでしっかりと全業務を執り行っている。日本の大学とはずいぶん違うその光景に、俺はきょろきょろしながら歩いた。
その建物を抜けると、近代的なキャンパスとは一転して、のどかな芝生が広がる裏手へと出た。爽やかな草の匂いが、あたりに立ちこめていた。
「あの建物は、ぜんぶ寮だよ」と彼が俺を振り向きながら言うと、そこに建ち並んでいる巨大な蜂の巣のような建物をぐるりと指さしてみせた。俺たちは、そのいちばん端っこの寮の入り口へと向かった。オレンジのドアの前で、彼は俺に鍵を手渡した。
「この鍵で、ぜんぶ開くよ」彼が言った。俺は鍵を鍵穴に入れると回し、ドアを開けた。彼はなにか言ってスーツケースを置くと、俺の肩を叩いた。困りごとがあったらいつでも来い、とでも言ったのだろうと俺は解釈し、「ありがとう」と礼を言った。彼は、俺のほうを振り向きもせず、またキャンパスのほうへと歩いて行った。
俺の部屋は、一階にあった。一階にはキッチンがひとつあり、その先の廊下に、ドアが十個並んでいた。十人の生徒たちが、ひとつのキッチンをシェアしながら生活するのだ。俺は、鍵に結びつけられた「1−8」という番号を見ながら、自分のドアへとたどり着いた。他の部屋からは、物音ひとつしてこなかった。おそらく、誰もいないのだろう。鍵は鍵穴にぴったりと合い、ドアが開いた。部屋はこじんまりとしていて、作りつけの机とベッド、そして一メートル四方ほどの窓があるだけだった。広さにして、六畳もないだろう。俺はとにかくスーツケースを置いてジャンベを床に降ろすと、ベッドに腰かけ、安堵のため息を深々とひとつついてから、ごろりと横になった。まだ昼前だ。とりあえず一息入れて、市街地へ降りてみようと思いながら。電気をつける気はしなかった。ひんやりとした静かな空気に、ようやく俺は落ち着いた気分になった。
スーツケースを開け、要るものを引っぱり出して机の上に並べたりしてから、上着を着て、部屋を出た。キッチンを覗いてみると、冷蔵庫がふたつと四口の電気コンロがひとつあり、中央に、六人掛けくらいのテーブルが置いてあった。壁には、キャンパスの地図らしきものが貼ってあった。その地図によると、タクシーを降りたバス停以外にも、寮の近くにバス停がありそうだった。俺は「まあ予定もないのだから」と、そっちのバス停に行ってみることにして、地図を頭に入れると寮を出た。
寮周辺の景色は、ほんとうに素晴らしかった。一面の芝生と、自然が丸のまま残されたような深い木々。頭上を見上げれば、日本よりもずいぶん青の深い青空が広がっている。「蒼穹」という言葉で空を表現することがあるが、イギリスの空は、まさに蒼穹だ。俺はさきほどキャンパスから通ってきた道とは別の道をたどり、広い駐車場を迂回しながらゆっくりと左に曲がる坂道を下っていった。両側には、切り立った剥き出しの岩肌がそびえ立っていた。何人かのイギリス人とすれ違った。彼らには、俺がついさっき着いたばかりだとは、分からない。俺はもう、否応なしにこの街の一部になったのだ。
バス停は、なかなか見つからなかった。道の左右を確かめながら歩くうちに、俺はすっかり坂道を下りきって、見たこともない場所に出ていた。道の右側には公園がひろがり、なにか小さな博物館のような建物があった。逆に左側には、ホテルのような建物が立ち並んでいた。俺は、左側に行けば市街地に出るはずだと考え、道を渡った。まあ方角が間違っていたとしても、どうせ学校が始まるまでの一週間、他になにかやることがあるわけでもないのだ。俺を知っている人も、俺が知っている人も、用事も、行くべきところもない。俺にあるのは、スーツケースと、手荷物と、ジャンベだけだ。まるで、糸を切られたマリオネットのような気分だった。
ぶらぶら歩いているうちに、高い橋の上に出た。バースの有名な観光名所のひとつ、ポルトニー・ブリッジだった。見下ろせば、エイボン川がゆったりと流れており、あちこちにカモメが飛んでいた。俺はしばらく石造りの橋桁にもたれるようにしながら、ぼんやりと頬杖をついていた。周囲では観光客たちがカメラを構えたりしながら、なにか楽しそうに話していた。右手の前方には、バース寺院の角張った塔が見えていた。歩いてすぐのところだった。俺は橋桁から体を起こすと、塔のほうに歩き出した。もうずいぶん歩いていたが、自分が疲れているのか疲れていないのかも、あまりよく分からなかった。どうやって帰ろうかということも、考えなかった。
バース寺院は、俺が最後に見たときとまったく同じ姿のままだった。日本でいえば江戸時代初期のころに完成した建物なのだから、たかだかこの八年程度で、なにが変わるわけでもない。正面入り口の前の広場には、兎の頭と人間の体を持った生き物が、赤ん坊を抱いて立っている彫像が置かれてあり、目を引いた。オープンカフェやベンチに座っている人たちが鳩にエサをやっている。大道芸人やミュージシャンたちが、皿やギターケースを前に、芸をやったり、唄ったりしている。なんだか、タイムスリップしたような気分だった。高校生のときも、俺はまったく同じ光景を見ながら、広場の片隅で地面に腰を降ろしていた。
高校のときにお世話になったホスト・ファミリーは、お世辞にもいいとは言えなかった。息子たちが巣立ってしまった中年の夫婦の家だったのだが、そういうことをするのが好きなわけではなく、副収入源として、海外の生徒たちをときどき受け入れているだけだった。俺のほかに、同じ高校からもうひとりお世話になっていたのだが、彼女はなにかにつけて、俺たちのすることに難癖をつけたし、どこかに連れて行こうだとか、一緒にテレビを観ようだとか、そういうことはまったくしなかった。食事も冷凍食品ばかりで、八割方、毎日同じメニューだった。一度などは、学校の行事で遅くなってしまった俺たちを、鍵をかけて閉めだしたことすらあった。
遠距離トラックのドライバーだった夫のほうは滅多に姿を見せなかったが彼女にくらべて優しく、一度、休みの日に、運河沿いを散歩に連れて行ってくれた。ホンダのバイクをこよなく愛していて、納屋の中には、ピカピカに磨かれた旧いバイクが、大事そうにしまわれていた。
今にして思えば、実際に世話をしてくれていたのは妻のほうであり、そういう意味では、夫のほうが心にゆとりがあった、というだけのことだったのだろう。それに、まだ小僧だった俺たちは、人にどんな迷惑をかけるかなんてことも、ほとんど考えてはいなかった。きっと、知らず知らず、彼女にストレスをかけていたのだろう。まあ、お互い様だ。実際にバースに着くまでは、「着いたらホスト・ファミリーを訪ねてみようか」と思うこともあったが、実際着いてみると、そんな気にはならなかった。どうせ訪ねたところで、俺のことなど憶えていなかっただろう。
寺院前の広場を突っ切って、バースのメイン・ストリートに出る。ここも、まったく変わっていない。昔どんな店があったかまでは憶えていなかったが、景色は俺の記憶とすこしも違うところがなかった。だんだん安心してくると同時に、腹が減ってきた。だが、この「腹が減る」というのは、悩みの種だった。なにしろ、店に入ってもメニューが読めないわけだし、たとえ読めたとしても、注文ができるだけの語学力がないのだ。それから三、四ヶ月にわたり、俺はほとんどの食事を「レジに持っていけばいいだけのサンドイッチ」で済ませることになる。その記念すべき第一日目が、この日だった。
二時間もふらつくとすっかり飽き、俺は寮に戻ることにした。バス停に行き、ひとつひとつ停留所を見て回り、大学行きのバス停を見つけた。これで、市街地と往復する方法がちゃんと分かったことになる。こうやって、少しずつ過ごし方を知っていけばいい。バスのシートに体を埋めると、急に眠気が襲ってきた。俺は寮に戻るとベッドに横になり、眠りについた。
翌朝、目を覚ましてみると、封筒がドアの下に挟まっていた。開けてみると、俺が入所するランゲージ・センターからだった。いろいろな書類が入れられていたが、とにかくなんのことだかまったく分かず、二枚目の冒頭あたりで挫折した。結局、一緒に入っていた地図を頼りに、行ってみるのがいちばん早そうだと、俺は思った。ランゲージ・センターで秘書をしているローズマリーという女性とは、日本から申し込む際にもメールであれこれやりとりをしていたこともあり、どうせ言葉がろくろく通じないとはいえ、気が楽といえば、気が楽だ。それにランゲージ・センターは、そもそも「言葉ができないから行くところ」なのだから、流暢に話せることがおかしい。俺は、いちおうどこかにそのまま出かけたくなったときのために荷物を背負うと、寮を後にした。
ランゲージ・センターは、俺がつい前日にバス停から通り抜けてきたキャンパス内にあり、すぐにそれと分かった。寮開きの扉を押し開けて突き当たりを右に曲がると、職員室になっていた。その隣に「Rosemary Rees」と書かれたドアがあった。俺は頭の中で挨拶文を二、三度確かめてから、ドアをノックした。中から「どうぞ」と女性の声がして、俺は恐る恐るドアを開いた。
「こんにちは」と、俺は封筒をちらつかせた。本来ならば「封筒を見て来たのですが」とでも言いたいところだが、俺には「こんにちは」が精一杯だ。
彼女はそれだけで話が分かったようで、名前を訊いていた。俺が名乗ると彼女はにっこりと笑い、なにか言った。どうも、授業開始まで一週間近くもあるのに、もう来るとは思わなかった、というようなことを言っているのではないかと、俺は思った。俺は、ただ笑い返した。来てしまったのだから、しょうがない。だが、日本ではあっという間に過ぎる一週間も、なにもすることもなく、会う人もいないこの街では、恐ろしく長いように感じられた。子供のころに戻ってしまったようだった。
彼女は俺の手から封筒を取ると、中から4月12日のスケジュールが書かれた紙を取り出した。朝九時までには、ランゲージ・センターに来なければならず、しかも、学力テストがあるようだった。彼女は俺の目を見ながら俺が本当に理解したのかを確かめようとしているようだった。俺はその目を覗き込み返すと、「イエス」と答えた。用事はそれだけで終わった。俺は彼女にさよならを言うと、ランゲージ・センターを出た。目の前にベンチがふたつ並んでいて、俺はその片方に腰かけた。天気がものすごくよく、座っているだけで一日くらい経ってしまいそうだった。俺は煙草を吸いながら、薄紫色をした雲がゆっくりと視界を横切っていくのを眺めていた。遠くから鳥の声が聞こえている。騒いでいる人たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。煙草はいつの間にかすっかり灰になり、ベンチの上に形のまま落っこちていた。俺は吸い殻を灰皿に投げ入れると、バス停へと向かった。
市街地は、今日も混雑していた。イースター休暇中ということもあり、イギリス随一の観光地であるバースには、国中から観光客たちが集まってくる。なんでも、ピークには街の人口の七倍近い人々がやってくるのだと聞いたことがある。まあ、日本で言うならば京都のような街で、イギリスでは唯一、世界文化遺産指定都市に指定されている。その分生活費は馬鹿みたいに高く、ただ座っているだけで、財布の中から金が消えていくような有様だ。とはいえ、着いたばかりの俺はそんなことを知るわけがない。なにしろ、イギリスでじっくりと過ごしたことがあるのは、この街だけなのだ。
その日はメインストリートをはずれ、ちょっとした裏路地のようなところを歩き回ってみることに決めた。最初に見つけたパン屋でサンドイッチとジュースを買い、それを頬ばりながら、あちこちの店先を覗いて回った。日本人らしき姿もちらほら見受けられる。東京ですれ違ったのなら気に留めないような人でも、こうして海外ですれ違うと、妙な親近感を感じてしまう。
と、どこからか聞き慣れた太鼓の音が聞こえてきた。俺が持ってきたジャンベとよく似た音色だ。俺はサンドイッチの残りを口に詰め込んでジュースで流し込むと、空容器を袋に押し込んで、手近なごみ箱に放り込んだ。太鼓を叩く人たちとなら、なんとなくコミュニケーションが成り立つような気がした。
ジャンベの音は、すぐ近くにあるエキゾチックな店の二階から聞こえてきているようだった。看板を見ると、『Alcania』と書かれていた。店に入ると、外に広がる黄土色をした石造りの街の色とはうって変わって、黒と深い茶色を基調とした、落ち着いた色感に包まれた。ゆったりとしたアジアの音楽が流れていて、香を焚いた花のような匂いがゆるく漂っていた。なぜか、紫色の花の匂いであるように、俺には感じられた。入り口をくぐってすぐ右側に、二階へと続く細い階段があり、その両側の壁には、これまたエキゾチックなタペストリーやカーペットや布などがかけられていた。棚に置いてあるカップ類が太鼓の振動で揺れて、チリチリと神経質な音をたてていた。ヨガ教室や太極拳教室のチラシが山ほど置かれた小さいテーブルのある踊り場を通り過ぎ、さらに七、八段も上ると、そこが二階だった。黒人の男と白人の男が、ふたりでジャンベを叩いているのが見えた。右手には所狭しと三十本ほどのジャンベが並べられていて、壁には、ダラブッカと呼ばれる中東の小型の太鼓が、これまた何本もかけられていた。さらに、ネイティブ・アメリカンたちの打楽器や、見たことのない太鼓も、何本か置いてあり、その奥には、大きな箱にディジェリドゥという、オーストラリアのアボリジニたちの楽器が十数本ほど突っ込まれていた。俺はジャンベに近づくと、一本一本見て回りはじめた。本当ならば、ふたりに声をかけてみたかったのだが、俺の辞書のどこを見ても、それだけの言葉を見つけることはできなかった。
ジャンベは、日本に比べてだいぶ安かった。ちょうど日本ではブームに火が点く直前くらいで、探しても、売っている店を見つけるのは難しく、専門店に行かなければならなかった。俺が持ってきた楽器は日本産のもので、栗の胴に山羊皮を貼ったものだったが、それと比べると、アルカニアに置いてある楽器はどれも軽かった。値段はだいたい日本円にして三万円程度のもので、どんなに高くても、四万円も出せば買えた。俺の楽器の半値程度だ。しかも、ふたりが叩いているのを聴くに、音もなかなかいい。俺がすっかり「これだったらわざわざ日本から重い思いをして持ってこなくても、イギリスで買えばよかった」と思いはじめていると、とつぜん演奏がやんだ。
「ジャンベやるの?」という声に振り向くと、白人のほうが俺に声をかけているところだった。まだ二十代中盤といった感じの爽やかな顔をした青年で、いいやつそうに見えた。俺は「すこし」と答えて、視力検査の印みたいな形に、指を曲げてみせた。
今度は黒人のほうがなにか言った。白人の男にくらべ、なにを言っているのかよく分からなかった。俺が戸惑っているのを見て、もう一度白人のほうが、並べられているジャンベを指さしながら、「持っておいでよ」と言った。俺は、いちばん手近にあった、トカゲのような生き物が彫られたジャンベを手に取り、ふたりのほうに言った。
「ベンだ」と、白人の男が俺に右手を差し出してきた。俺はその手を握り返しながら「シモン」と答えた。
「レイモンドだ」と、黒人の男が俺に右手を差し出してきた。俺はその手を握り返しながら「シモン」と答えた。
「ジャンベやるの?」もう一度、ベンがさっきと同じ質問をしてきた。
「やる」と俺は答えた。
「じゃあ、一緒にやろう」とレイモンドは言うと、もう適当に叩きはじめた。ベンがそれに適当に加わり、俺も続いて、適当に加わった。
俺は決してうまいほうではなく、習ったのも、ほんの数日くらいのものだった。ベンがカンカンと高い音ばかりを出すので、俺はドンドンと低い音ばかりを出した。その高低の間を、レイモンドが行ったり来たりしながらグルーブをまとめ上げてくれる。だんだんそのグルーブにオート・パイロットのスイッチが入って俺たちを飲み込みはじめると、ビリビリとした振動に、昨日からずっと俺の胸の奥にこびりついていた緊張感にパリパリと亀裂が入り、まるで年代物の漆喰の壁のように剥がれ落ちるようだった。俺たちはノン・ストップで一時間ほどもずっとジャンベを叩き続けた。レイモンドはまるでダンスを踊るような軽快さで叩きながら、どんどん俺たちを高いところへと引き上げていってくれる。途中からは手のひらがびりびりとしびれてきていたが、ただ体の力を抜くだけで、勝手に手が太鼓を叩いてくれるようだった。俺は、興奮した。
「いやあ、楽しかったな」と、レイモンドが息を弾ませながら言った。そして「大勢であればあるほどいい」というようなことを、続けて言った。
ベンは両手をぱたぱたと振りながら、おどけたように顔を歪めてみせた。俺もその真似をした。
「昨日、日本から来た」と、俺は言った。「英語しゃべれないけど、ごめん」
「日本からか」とレイモンドが言った。「日本にもジャンベがあるのか」
「ある」俺はうなずいた。「一本、持ってきた」
「オーケー、明日なにしてる?」ベンが言った。「お前のジャンベ、持ってこいよ」
俺はうなずき、翌日また会う約束をした。
自分のジャンベを持っていけば、いろいろと珍しがって質問されるだろうと思った俺は、その夜のうちに、準備を始めた。ベンとレイモンドが、俺が英語が喋れないことを知っているのは明らかだったが、せめてそのくらいは、説明したかった。父がはなむけに贈り物としてくれた電子辞書を開き、「栗」を引いた。俺がイギリスで初めて憶えた単語は「chestnut」になった。
店に行くとふたりとも俺のことを待っていた。レイモンドはさっそく俺の背負っているケースに興味津々の様子だった。
「このケース、いいな」とレイモンドが言った。「自分で作ったのか?」
「ジャンベと一緒に買った」と俺が答えた。
レイモンドは「見せてくれ」と言うと、俺が床に置いたケースを開けて、中身を取り出した。
「おい、こりゃあいいジャンベだ」とレイモンドが言った。続けてジャンベを指さしたり触ったりしながらベンになにか言っていたが、俺には聞き取れなかった。だが、その様子からして、褒めているのだけは間違いなかった。
「ちょっと叩いてみていいか?」レイモンドが身を乗り出すようにして訊いてきた。
「いいよ」俺が言った。
レイモンドは脚の間に俺のジャンベを挟み、手の平の形を変えながら、真ん中、端っこと、あちこちを叩いた。こうして他のジャンベと並べて聴いてみると、俺のジャンベの音は、いくらか湿気のある柔らかい音のように聞こえた。昨日みんなで叩いたアフリカ産のものは、もっと乾いて鋭い音だった。
「これはいい楽器だ」と、レイモンドが叩きながら、歯を剥き出して笑った。「皮は同じだけど、木が違うみたいだな」
「Chestnut」俺は答えた。
「へえ!」レイモンドが驚いた顔をした。「そんなのは初めて聞いた」
それから彼は、並べられているジャンベを指さしながら、なにか原材料について話していたが、俺はとりあえず、chestnut以外に木の名前なんて知らなかった。「林檎の木」「ミカンの木」ならば果物の名前から想像がつくが、実際、日本にいて、木の名前を英語で憶える必要などない。これを書いている今でさえ、「松」と「パイン」はどうも違うような気がしている。
俺たちはまた昨日のように三人で輪を作ると、また同じようにみんなで叩いた。昨日のおかげで手のひらが内出血を起こしていて、当たり所が悪いとひどく手が痛んだ。三十分ほどもして、レイモンドが「そろそろ行かなくちゃ」と言った。ベンが「今日、これから彼はバーミンガムに帰るんだ」と言った。どうやら店員はベンだけで、レイモンドは違うようだった。
「また会おうぜ」とレイモンドは言うと、あっと言う間にいなくなった。あとに残された俺とベンはしばらくふたりで太鼓を叩いて遊んでいたが、レイモンドがいないと、なんとなくそれも退屈で、すぐにやめてしまった。俺は、彼がしてくる質問に、たどたどしい英語でなんとか答えていた。なぜ来たのか、いつまでいるのか、なにがしたいのか。だが、たとえ英語が話せたとしても、俺はそれに答えられなかったかもしれない。俺は「いつまでいるか分からないが、英語を勉強しにきた」と答えた。
メイン・ストリートのベンチに腰かけ、サンドイッチを食べた。やたら乾いてパサパサしたパンと、まずいマヨネーズ。イギリスのサンドイッチは、本当にまずい。道ばたでは、黄色いよれよれのジャケットを着た黒人の男が、サックスを吹いていた。かなり上手く、人もそこそこ集まっていた。俺はサンドイッチがすっかりなくなってしまっても、ぼんやりと煙草を吸いながら、彼を眺めていた。彼らのような大道芸人は、ああやってずっと生きてきたのだろうか。彼が楽しそうに吹けば吹くほど、俺にはなんだかもの悲しく思えてならなかった。
日本にいたころの俺も、似たようなものだった。いや、もっと悪かった。「就職なんてクソ食らえだ」と、まったくなにもしないまま大学を卒業した俺は、カラオケ屋でバイトをしながら小さな芸能プロダクションのようなところに入った。そこではレッスンを受けたり、同じプロダクションにいた他の女の子たちのために、歌詞を作ったりしていた。社長はかつて芸能界で華々しい活躍をしていたのだと、自分のことを言っていた。若かった俺は、すっかりそれを鵜呑みにしていた。自分が面倒くさい努力や手順を踏みたくないという気持ちを、彼を信頼する振りをしながら無自覚にごまかしていたのだ。平行して、フリーライターの仕事も始めた。ゲームの攻略本や雑誌の記事を書く仕事だった。時間は自由だったし、一回仕事を請ければ、それなりの金になった。だが、しょせん駆け出しの自称フリーライターに、それほど仕事があるわけじゃなかった。生活はきつく、プロダクションの社長にも、実際、そんな大した力はありはしなかった。俺は、「自分は音楽と文筆で生きている」と思い込み、あたかもすべての運が自分に向いてでもいるかのような気持ちになっていた。手を伸ばせば、なんにでも届きそうだった。だが端から見れば、なにも取り柄のない若造が、適当に成り行き任せで居場所を見つけて粋がっているようにしか見えなかっただろうし、事実、その通りだった。父親は俺を家から追い出した。
プロダクションを辞めてしまったのは、所属している女の子のうちの一人が、俺が高校で同級生だった男の友だちだと知ったからだった。なんだか、馬鹿馬鹿しくなってしまった。社長を見ながら「こいつは、本当に適当に駒を揃えたな」という気持ちになった。そうでなければ、そんなに狭い世界から、四人のうちふたりも彼の元に来ているはずがなかった。初めてのライブが、パルテノン多摩というホールで決まっていて、リハーサルをしているころだった。些細なことで彼と意見が食い違い、それが元で喧嘩になり、俺は辞めた。
それからしばらくは、ライター業をしながら、バイク屋で働いた。休憩時間に汚れたつなぎを着て店の外に腰かけ、煙草と缶コーヒーで一服入れながら、よく晴れたのどかな八王子の空を見上げていると、なんだか、それでいいような気になることがよくあった。だが俺は、そういう暮らしに簡単に飲み込まれてしまうには、若すぎたし、なにより青すぎた。だから、かつて学生時代に俺のライブを見てくれた人から連絡があり、「ある事務所に紹介したい」と言ってもらえたときに、すぐにその話に飛びついた。
だが、実際にその事務所に行ってみると、話はまったく違った。社長やスタッフたちは、なぜ俺が紹介されてきたのかをよく知ってはいたが、月々十万の給料で、パソコンでの事務処理をやらせた。ときおり俺を飲みに連れ出しては、俺の音楽の話などをしたが、今にして思えば、どれもこれも本気ではなかったのだろう。だが当時の俺は、その話のひとつひとつを、まるで自分の夢が実現しかかってでもいるかのような気持ちで聞きながら、胸を躍らせた。だが夢と同時に、当時の女への借金もどんどん膨らんでいた。俺がどん詰まりに突き当たってしまっているのを知らないのは、当の本人である俺だけだった。
相変わらず父からの勘当は解けなかった──というか、今でも解いてもらったような記憶はない──が、家族は俺のことを心底心配してくれていた。俺にはその心配すらも分からず、「だって、なにも分かってないのにそんな偉そうに言うなよ」と、突っぱね続けた。
その俺の意地が叩き折られたのは、ある秋のことだった。ちょうど、俺を事務所に紹介してくれたカメラマンが副業としてアダルト・ビデオのレーベルを立ち上げ、俺は作曲でそこに関わっていた。初めての現場で、作って行った曲をビデオに重ねているとき、彼らはこれからアナウンサーやタレントになりたがっている女の子たちの履歴書を回し読みしながら、「この子、誰がやる?」という話に花を咲かせていた。俺はそれを聞きながら、心底自分のいる場所が嫌になった。俺は兄の説得をようやく受け入れて、イギリス留学について調べ始めた。
そして、99年の四月。俺はようやくその事務所を離れ、成田から飛行機に乗った。飛行機が離陸し、まっ暗な窓の外を見下ろせば、眼下に街の灯がちらちらと揺れているのが見えた。最初の雲を突っ切ると、俺はなんだかたまらない気分になり、泣けて泣けてしかたなかった。乗り換えの香港に着陸するまで、俺は泣いていた。ついさっき成田で別れてきたばかりの、八年間付き合った女のことは、もうすっかり忘れてしまっていた。
目を上げれば、さきほどの黒人は、サックスをケースにしまいこんでいるところだった。俺はもう一本、煙草に火をつけて、その様子を見守った。もう、ぼんやりと暗くなりはじめていた。サックス吹きはケースを背負い、スピーカーなどを載せた台車をごろごろと引きながら、駅のほうへと向かう緩やかな坂道を降りていった。
4月12日、語学学校が始まった。あの日以来、アルカニアには二、三度ほど行っていたが、いるのはベンひとりだったから、あまり長居して遊んだりはしなかった。彼のことが苦手だったわけではなく、レイモンドがいないとジャンベを叩いても今ひとつ盛り上がらなかったし、かといって、なにかだらだらと話ができるほど、俺は英語がしゃべれなかったからだ。その英語を、今からなんとかしゃべれるようにならなくてはいけない。俺は筆記用具と今日一日の予定表をリュックに入れると、寮を出た。
ランゲージ・センターには、もう何人も新入生たちが集まっていた。見たところアジア系の生徒が多く、中でも、中国語をしゃべっている生徒が多かった。他にも日本人がいるかどうかと目を配ってみたが、それらしき生徒は見当たらなかった。俺は指定された教室に行くと適当に座り、ぼんやりと頬杖をついた。その日はクラス分けテストがあるはずだったが、俺はとりあえず、勉強しないで臨むことにした。一時的に瞬間最大風速を高めて点を取っても、この場合、あまりプラスになるとは思えなかったし、そもそも、ちょっとやそっと勉強したところでどうにかなるほど、語学力が高いわけでもない。とにかく、いちばん下のクラスに入ることができれば、それがいちばんいいと考えていた。中国系の生徒たちはひとかたまりになって座り、ぺちゃくちゃとなにかしゃべり続けていた。ぼんやりしているのは俺を含め数人くらいのものだった。
テストはリーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの、四科目に分けられていて、思ったよりも大変だった。問題の難しさ云々はさておき、問題の意味がよく分からなかったりするせいで、どう答えていいのか分からないものもあった。とはいえ、いちおう過去に受験勉強らしきものを少しはやったことがあったお陰で、ライティングとリーディングは、それなりに、それらしく、答えることができたと感じた。リスニングは、散々だった。ふたり一組でのスピーキングのテストは、中でもやっかいだった。五、六人の人々が楽しそうにボートに乗りながら川下りをしている写真を見せられ「彼らがなんと言ってるか、想像でいいから答えてください」と訊かれた。さすがと言おうか、試験官たちの英語は素晴らしく分かりやすかった。俺より先に、台湾人のレベッカという女の子が答えさせられた。彼女も俺と同じように英語がまったくできなかったのか、しばらく写真を眺めたあと、おもむろに「イエーイエー!」と答えただけだった。彼女がそう答えるのを聞いてしまうと、とりあえず俺の語学力の範疇では、他に正解もないように思えてきた。かと言って、彼女と同じ答を言うわけにもいかない。俺は自分の番が回ってくるとしばらく黙り込んだ。答を考えていたわけではない。「困ったことになった」と考え続けながら。試験官が、もう一度質問を繰り返した。俺はなかばやけくそになって「very nice」と答えた。どう考えてもズレた答だったが、そのときは、他にどうしようもなかった。試験官が「Yes, it's very nice」と、にっこり笑った。
次は口頭で、自分の国について説明する問題だった。今度は、俺が最初だった。俺はパスしたい気持ちでいっぱいだったのだが、とりあえず、なにか言わないことには終わらない。とりあえず「Japan is a small country」と言ったあと、おそらく三十秒ほども黙り込み、そこで試験官がストップをかけた。隣の女の子は「Taiwan is smaller than Japan」と言うと言葉に詰まってしまった。彼女が困った顔をして俺を見ながら笑い、そこで試験官がストップをかけた。
午後には、早くもクラス分けが発表になった。俺は当然のことながら三クラス中いちばん下のクラスで、レベッカも当然のことながら、一緒のクラスだった。同じクラスには他に、ジッティというタイ人の男と、デイナという台湾人の女と、ダニーという台湾人の男がいた。ぜんぶで五人。全員二十歳オーバーの幼稚園のスタートというわけだ。
その日は授業はなく、俺たちは、ランゲージ・センターのスチューデント・ヘルパーと一緒に、大学内のツアーに出かけた。店、クラブ、銀行、郵便局、バー、図書館などを見て回ってふたたびランゲージ・センターに戻ってくると、その日の夜にロビーでパーティがあると知らされ、解散になった。台湾人の生徒たちはまたひとかたまりになって、わいわい騒ぎながら、どこかに去って行った。残されたのはほんのわずかの生徒だけで、俺は、「パーティの時間まで市街地に降りて遊んでこよう」と思い、席を立った。そのとき、後ろから声をかけられた。
「ジャパニーズ?」
その声に振り向くと、アジア系の男が立っていた。どうやら、日本人のようだった。
「イエス」俺が答えた。
「よかった、日本人に会えた!」彼は開放感いっぱいの笑顔を振りまくと「ヤス」と名乗った。
俺は「シモン」と自己紹介すると、一度立ったソファに座り直した。彼は東大の大学院で修士課程をとり、その後研究をすすめるためにバース大学に入りに来たのだと言った。悪くなさそうなやつだと思った。俺たちは、来たばかりの留学生としてはお決まりの会話──「なかなか慣れなくてさあ」「日本食恋しくない?」「日本語聞くとほっとするな!」──をした。それを聞いてか、日本人の女がふたり、近づいてきた。ユキコとナオミと名乗った彼女たちのうち、ナオミは前の学期から来ているらしかった。ユキコのほうは日本で外国人の男と付き合っていて、もう英語はペラペラだった。大学院に入るのに、念のため一学期だけ受講するのだと言った。
しばらく話してから、彼女たちは用事があるからと言って去って行った。俺とヤスは、「じゃあ街まで行こう」ということで意見が合い、バス停からバスに乗った。
俺たちはふたりとも酒が好きだったから、ふたりで手近なバーに入って、フォスターズというオーストラリアのビールで一杯やった。彼がいつの間にかチップス(フライドポテトのこと)を注文していて、俺は久しぶりに、温かいものを口にすることができた。「食べ物が温かい」というのがそれほどありがたいことだとは、夢にも思わなかった。そんなに美しいフライドポテトを、見たことがなかったような気にすらなった。夕方の四時を回るころには俺たちは軽くできあがっていた。ランゲージ・センターのパーティは五時からだったから、もう大学に戻ったほうが良さそうだった。俺たちはグラスに残っているビールを飲み干すと、バスに乗って大学に戻った。
パーティには、テストで見たよりもたくさんの学生たちが集まっていた。どうやら、俺が受講するファンデーション・コースというコースの他に、ビジネス系の学部に進む生徒たちのために、もうひとつコースがあるようだった。見れば、ユキコとナオミも来ていた。俺たちは四人でスナックをつまみながら、あれこれと話をした。特に、前の学期から来ているナオミの話は、役に立ちそうなものが多かった。
パーティは、一時間もすると、半ばお開きのような状態になった。俺たちの話のネタもすっかり尽き、俺は、そろそろひとりになりたくなっていた。
「疲れたから帰るよ」俺はそう言うと、席を立った。「また明日」
俺はランゲージ・センターの建物を出ると、真正面にある学校のバー、『パレード・バー』に入った。そしてカウンターに行くと、フォスターズを一杯注文した。特にうまいビールというわけでもなかったが、昼間にヤスと市街に出かけたときに、ちゃんと注文が通じたから、それにした。
席について、グラスを傾けながらあれこれ考えた。明日から、とにかく週五日、あの学校で一日五時間くらい英語を勉強しなくてはならない。前向きなコツコツとした努力が苦手な俺にとって、それはとても気の重いことだった。俺は、二、三杯ほどフォスターズを飲んでから、寮に引き返した。そして適当にシャワーを浴びると部屋着に着替え、ベッドにごろりと横になった。
ランゲージ・センターの授業が始まった。最初に受けたのは、ライティングとリーディングのクラスだった。俺たちは朝九時から教室に行き、年の頃四十代の半ばといった教師のジャネット──その後彼女とは大親友なるのだが──教科書やプリントなどを渡された。ぱらぱらと目を通してみたら、どれもこれも、やたらと初歩的なものばかりだった。「おいおい、いくらいちばん下だからって、これはないんじゃないか?」と思わずにはいられなかった。それこそ「I ( )a boy」レベルの問題が、ズラリと並んでいたのだ。一人称単数、二人称単数、三人称単数、そしてそれぞれの複数形に適合するbe動詞を入れる問題を、最初にやった。これはまあ、中学を卒業していればできる問題だし、俺にとってもまったく問題なかった。だが、動詞でつまづいた。たとえば「he」「she」「it」のように三人称単数が主語のときに限り、「do」は「does」となるという初歩的な文法。だが俺は、すべての複数形も「does」になるものだとばかり思っていて、ごっそり不正解した。俺は「ああ、このレベルの問題で間違いない」と、考えを改めることにした。テスト前日に敢えて単語を勉強しなかったのは書いたとおりだが、それ以前の問題だったのだ。
二時間の授業が終わるころには、俺はもう、すっかり消耗しきっていた。英語なんて、二度と耳にしたくないほどに。俺はキャンパスにある食料品店でサンドイッチを買うと寮に戻り、ぐったりと横になりながら、もそもそとそれを食べた。午後の授業までは、二時間ほどあった。早起きしたせいで眠かった。サンドイッチを平らげると俺は目覚ましを十二時半にかけ、目を閉じた。
午後からの、スピーキングとリスニングの授業も相変わらず同じような調子だった。ティムというひげもじゃの教師で、いかにもイギリス人といった感じの、上品な出で立ちだった。どちらかというと、読み書きよりも、話したり聞いたりするほうが、俺は疲れる。じっくり考えるほうが、ぱっぱと判断するよりも向いているのだ。もし後者のほうが向いていたら、俺は翻訳家なんかにならず、今ごろ通訳の仕事でもやっているかもしれない。今でも、話したり聞いたりするのは苦手だ。そんなわけで、同じく二時間の授業が終わるころには、もう街まで降りる元気もなかった。俺は寮に戻るとベッドにごろりと寝転がり、その瞬間に、もう眠りに落ちた。
目が覚めると、まだまだ明るかった。とはいえ、時計はもう夜の九時近くを指していた。これから学期が終わるまでの二ヶ月半、ずっとこんな生活が続くのかと思うと、気が重たくなった。日本が恋しくて、たまらなかった。日本では、住んでいたマンションを一歩出てショッピングセンターの前を通り過ぎ、賑やかな商店街に入ると、うまい焼鳥屋があった。なんでも注文できたし、カウンター越しに店員と話をすることもできた。なのに俺は今、誰とも満足に話などできないで、プラスチックのパックに入ったサンドイッチばかり食べ、自動販売機のジュースばかり飲んでいる。机の上に置いてある空のサンドイッチのパックを見ながら、俺はため息をついた。
部屋にいると気が滅入ってくるので、俺はパレード・バーに出かけることにした。上着を着て外に出るとひんやりと肌寒く、辺りの芝生の上では、横になってぼんやりしている学生や、犬の散歩に来ている近所の人たちがいた。俺はポケットに手を突っ込んで、うつむきがちに歩いた。
パレード・バーのカウンターで、フォスターズを二杯買った。イースター休暇が終わったせいですっかり混んでいたから二度も注文しに行くのは面倒だったし、注文するために二度も英語を話すのも、気が進まなかった。俺はグラスをふたつ持って適当な席に腰かけると、一息に、最初の一杯を半分ほど飲み干した。じっと目を閉じれば、周囲の喧噪が俺のことを取り巻いた。そのときばかりは、誰がなんと言っているのか分からないのが救いになるような気がした。
元々人付き合いがそれほど得意じゃない俺にとって、一日五時間ほどランゲージ・センターで過ごしてしまうと、それだけでかなりの疲労になった。ヤスとは、一緒に飲んだ翌日くらいから早速、なんとなく疎遠になっていた。その日の朝に、いきなり後ろからヤスに抱きつかれ、「ハーイ、シモン。ライターある?」とズボンのポケットに手を突っ込まれた。いいやつであるのは間違いなかったが、俺はそういうことに慣れておらず、ついつい避けがちになった。俺はそういうところが昔からやけに神経質で、ただ静かに流れている自分の流れが人によって乱されると、どうしていいか分からなくなってしまう。嫌なわけでも、軽蔑するわけでもない。ただ、どうしていいのか分からなくなってしまうのだ。それに、俺よりひとつ上のクラスに入ったヤスはクラスメイトと、俺にそうするのと同じくらい人なつっこく付き合っていて、別に、俺がいなくてもなんの不便もなさそうだった。
授業を受け、昼休みは寮に戻り、また授業に出て、終わったら市街地に出てサンドイッチを食べる。毎日が、その繰り返しだった。ただでさえ人付き合いが苦手なのに、そこにさらに、英語に対する苦手意識が加わったせいで、強烈な排他感を感じた。ただ、街ではたまに人と話をした。特にベンとは、よく話した。彼は、俺の英語がひどく不自由だと知っていても、面倒くさがらずによく付き合ってくれた。それに、英語を話すのに疲れて言葉が出なくなると、太鼓を叩いて遊べばいいので、気楽でもあった。
気楽といえば、クラスメイトたちとの関係も、気楽だった。というのは、深い話などしなくて済んでいたからだ。突っ込んであれこれ話すのに十分な語学力は、誰ひとりとして持ち合わせていなかった。俺たちはどうでもいいような話ばかりをして、英語で説明できないことは、紙とペンを使い、漢字で伝え合った。特に台湾人の学生たちは適度にフランクで、俺にとって付き合いやすかった。
寮の同じ階には、もう学生たちが帰ってきていた。中東から来ている大学院生が多かった。日本ではイラン人やアラブ人たちが事件を起こすことがたびたびあったので、最初は自然と警戒してしまったりもしたが、実際に接してみれば、いい連中だった。ただひとり、ロシアを攻撃して潰すべきだと主張している学生がいて、彼のことだけは、俺は苦手だった。キッチンで捕まってしまうと、彼は俺を椅子に座らせ、壁に貼ってある世界地図を指さしながら、長々と、ものすごい剣幕でロシア批判と思しき熱弁をふるった。だが俺には彼がなにを言っているのかほとんど理解できず、その時間は苦痛でしかなかった。なにを言っているか分からないのに俺に向けてすごい剣幕でまくし立てる姿を見ていると、なんだか自分が責められているような気持ちにすらなった。それに、他の寮生たちに気を使わせしまうのも、なんだか申し訳なかった。みんな俺を見かけるとあれこれ話しかけてくれたが、俺にほとんど話が通じていないことや、俺の言うことがほとんど分からないことを知ると、諦めの笑顔でひとこと「OK」と言ってくれる。俺はひとり部屋に戻って椅子に座ると、「ああ、申し訳なかった」と思いながら、翌日の準備をした。
そんなこともあり、五月に入って「うちの階に空き部屋ができたから、シモンも引っ越して来い」とクラスメイトの台湾人、ダニーとデイナから誘われたとき、俺は素直に同意した。ふたりは、同じ街からやってきた恋人同士だった。どうしてもイギリスの大学院でMBA(経営学修士のこと)を取りたいデイナが心配で、ダニーがついてきたのだった。彼らの寮は俺が入っていた寮の四階だったから、引っ越しはすぐに済んだ。そこに住んでいたのは全員台湾人で、ランゲージ・センターの生徒たちが、十人中八人を占めていた。大学院に籍を置いているふたり以外はみんな英語がろくろくできなかったから、一階での暮らしよりも断然気楽だった。人と接することに臆病な俺も、そのときばかりは最大限の努力をして、自発的にいろいろと言うようにしていた。そうしないと、言いたいことの半分も伝わってくれなかったからだ。全力でなにかを伝えようとするのは、爽快なことだった。親密になるのに多くを語る必要はない。あれから数年が過ぎた今でも彼らとのやりとりは続いている。今ではお互いそれなりに英語が使えるおかげで、当時とは比べ物にならないほど突っ込んだ話をし合ったりもするが、ゆっくりとそれなりの段階を経て仲良くなったのだという安心感があると、落ち着いていろいろいと話すことができる。俺たちにとって、お互いを深く知るスピードと語学が上達するスピードはぴったり一致していて、そのくらいのペースが俺にはちょうどよかったのだろう。ひとつの井戸を、一緒に掘り進んだようなものだ。「同じような悲惨さを同じ時期に味わった」という仲間意識は、なによりも俺たちの関係を育ててくれた。俺と英語で話す傍らで、ときおり台湾人同士、水を得た魚のように中国語で自由に話をしている様子などを見ていると、なんとなく幸せな気分になることができた。
彼らとよく話をしているせいか、文法云々はともかく、英語でやりとりをすることに俺はすこしずつ慣れはじめていた。彼らにしてもそれは同じことで、俺という外国人がひとりいるおかげで、中国語で話すことが減ったのが功を奏しているようだった。俺たちは、みんなで話しているときに自分が書いた漢字のメモを見ながら辞書を引き、当てはまる英単語を暗記していくようにした。少なくとも、「漢字で書いてある」ということは「当てはまる単語や言い回しが分からなかった」ということだから、それをひとつ憶えれば、ひとつ英語表現が豊かになるということだった。こういう分かりやすさが俺は好きだし、実際にこれは、俺たちの英会話能力を高めてくれもした。それに、彼らと二時間ほど話すとその晩はぐっすり眠れるのも、フリーライター時代に昼夜逆転の生活に慣れきっていた俺にとってはよかった。
同じクラスにいたタイ人のジッティは、授業が始まって一週間ほどにしてブライトンにある他の語学学校を見つけ、バース大学のランゲージ・センターの授業料を踏み倒して姿をくらませてしまった。だから俺がいたクラスはダニーとデイナ、そしてレベッカの四人だけだった。レベッカは他の寮にひとりで住んでいたせいもあり、なかなか英語が上達しなかった。ひとりで別の方角へと帰る彼女の背中を見ながら、俺はすこし心配になっていた。一緒にスピーキングのテストを受けたこともあり、なんとなく連帯感も感じていた。だがダニーとデイナは、まったく気にしている様子がなかった。俺はできるだけ機会を見つけて彼女に話しかけるようにしていたが、学校以外で彼女を見かけることは、まったくと言っていいほどなかった。
数ある授業の中でもっとも生徒たちがプレッシャーを感じるのは、IELTS(アイエルツ)の準備クラスだった。IELTSとはInternational English Language Testing System、和訳するならば国際英語力試験の略で、これを受けないことには、大学にも大学院にも進むことはできない。項目はリスニング、リーディング、ライティング、スピーキングに分けられており、語学学校のカリキュラムも、ちゃんとした学校ならば、これに沿って組まれていることが多い。テストの評価は0〜9の数値になっており、リーディングとリスニングは0.5刻みで、残りふたつは1刻みで成績が出される。だいたい、大学に進みたいのであれば総合で4.5から6.5、大学院に進みたいのであれば、6から7程度の語学力は必要になる(もっと上のレベルが要求されることも、当然ある)。まあ、アメリカの大学に入学する際に必要となる、TOEFLのようなものだ。これが非常にハードなテストで、しかも、一度受けると三ヶ月間受けられない仕組みになっているため、試験はほぼ一発になる。つまり、九月から進学したい場合、七月の語学コース終了時にこのテストを受けて基準値に達していないと、基本的に、あと一年待たなくてはならないのだ。一応、0.5から1程度の不足であれば、夏休みの間に各大学が用意している留学生のための予備コースを受講すれば入学が認められるものの、余計な手間と金をかけてそれを受講したがる生徒もあまりいないものだ。
クラスメイトたちは必死にこのテストの勉強をしていたが、取り立てて進学予定のなかった俺は、のんきなものだった。七月に入り誰もが試験勉強に没頭するようになると、俺はひとりで市街地へと出かけ、のんびり散歩したり、ヴィクトリア・パークで寝転がっていたりした。とはいえ、俺もその授業自体は受けていたので、模擬試験のようなものはやらされた。俺の点数は、最初受けたときは、確か4.0か4.5だったように記憶している。
暇を持て余した俺は、アルカニアでベンと遊ぶことが多くなった。もうそれなりに話せるようになっていたので、初めて会ったころよりもだいぶ楽に時間を過ごすことができた。あるとき、店の終了後に、近くのパブで彼と一杯やっているとき、俺は思いきって、近所のライブハウスがないか訊いてみた。せっかく楽器を持って来ているのだから、そういうところに出てみるのもいいかもしれないと思った。ベンはしばらく考えてから「ハット・アンド・フェザーは行ったことあるか?」と訊いてきた。俺が「ない」と答えると、彼は、ハット・アンド・フェザーは近所にある古いパブで、この辺りでは有名な音楽パブなのだと教えてくれた。俺は彼に道を聞き、行ってみることにした。
翌日、俺は昼間から市街へ降り、ベンに聞いたとおりの道を、きょろきょろしながら歩いていた。ポルトニー・ブリッジでバスを降りて歩き、ウェイトローズを通り過ぎると、ゆっくりと左に向けて湾曲しながら登るウォルコット・ストリートに入る。その辺りはパブやクラブが並ぶ飲み屋通りになっており、その分、治安もあまりいいとは言えない(ただし、バースの中でという話で、真夜中に歩いても危ない目になど滅多に遭わないような場所だ)。家賃も、他の市街地に比べると安い。市街地を背にして歩くと左側は高くそびえ立つ崖のようになっていて、その上に、月々六百ポンド近くはする高級アパート群が立ち並んでいる。道の右側には、古本屋、古着屋、中古レコード屋などが並んでいる。バースがもっとも栄えていたローマ時代から、ウォルコット・ストリートは歓楽街として栄えていたらしく、今でも当時の硬貨や短剣などが出土することがあるらしい。これは後で聞いた話なのだが「ウォルコット」とは「ウェールズ人と外人」という意味だという。昔から、あちこちから旅人たちが集まってきていたのだろう。
ともあれ、そのウォルコット・ストリートを登り切ると、ロンドン・ロードとの境目あたりに、羽根飾りのついた帽子をかぶった貴婦人の絵が掲げられたパブがある。『ハット・アンド・フェザー』だ。ちょっと中を覗き込んでみて、俺はぎょっとした。紙でできた巨大なドラゴンが、天井に這いつくばるようにして、こちらを睨み付けていたからだ。それまでに見かけたり入ったりしたパブとはずいぶん違う。明らかに、おかしな匂いのする場所だった。俺は思いきってドアを開けると、中へと足を踏み入れた。昼間で、しかも昼休み時でもなかったこともあり、店内には、最低でも三日は風呂に入っていなさそうな客が、二、三人いるだけだった。俺はカウンターに座ると、フォスターズを一杯注文した。カウンターの中に、「のり」と平仮名で書かれた丸い缶が置いてあるのが目に留まった。ふたはなくなっていて、ペン入れとして使われているようだった。きっと誰か、日本に旅行したときに持ち帰ってきたのだろう。カウンターで働いていたのは、怪しげな雰囲気には似つかわしくない普通の女の子で、やたらと愛想がよかった。俺はビールを飲みながら、自分が留学でバース大学に来ていることなどを話した。
「留学生が来るなんて、珍しいわ」と彼女が言った。「たいていみんな、こっちのほうには来ないのよ。地元の人ばかりで」
「そうなの?」
「キャデラックまではみんな来るんだけどね、パブが閉まる時間になると」と、彼女はウォルコット・ストリートにあるクラブのほうを指さしながら言った。
いつの間にか、ビールはもう一口分しか残っていなかった。俺はそれを一息に飲むと同じ物を注文し、注いでくれている彼女に、背中から質問した。
「ところで、ここでライブやるにはどうしたらいいの?」
「音楽やるの?」彼女はフォスターズを俺に手渡しながら言った。
「あんまり上手くないけど」俺は一口飲んで答えた。
「ちょうどいいわ」彼女はそう言うと、隅のほうの席に座っている、長髪で太った男を呼んだ。「スティーブ!」
「はいはい、どうした?」スティーブと呼ばれた男は満面の笑みを浮かべ、飛び跳ねるような軽快な足取りで近づいてきた。
「彼がライブやりたいんだって」
「ハイ」俺が言った。
「ハイ」スティーブが言った。「どこの人?」
「日本人」俺が答えた。
「日本人とは、またまた珍しいな」彼が笑いながら眉をしかめた。「とりあえず、木曜に来てくれよ。楽器持ってさ。楽器はなに?」
「ジャンベと、あとできればパソコンを使いたい」
「パソコンか。まあ、問題ないだろ」彼が言った。「じゃあ、木曜。九時までには来ておいてくれよな」
俺はスティーブと握手して、ハット・アンド・フェザーを後にした。
とはいえ、どんな曲をやるかまで決めていたわけではなかった。英語でなんて唄えるわけがないから、唄うとしたら日本語で、というくらいの気持ちだった。俺はさんざん考えた末に三曲ほど決めると、パソコン上で音源を作った。そいつを鳴らしながら、ジャンベを叩いたり、唄ったりすればいい。俺が選んだの三曲とは、どれもこれも日本でしか聴けないような曲ばかりだった。ウケを狙えるオリエンタルな感じのするものとして、中森明菜の『二人静 〜天川伝説殺人事件』を。単純に楽しく聴けそうで、明るく、似たようなフレーズの繰り返しが多いものとして『金太の大冒険』を。そして、外人にはおそらく触れる機会のないであろう耳珍しい物として『デンジマンにまかせろ』の、計三曲だ。
木曜の夜、俺は日本から手荷物を入れて持ってきたキャリアのついた旅行かばんに機材一式を詰め込むと、ジャンベを背負って市街へと降りた。もう夜の八時を回ろうとしていたがまだ明るく、市街には人通りも多かった。俺はウォルコット・ストリートを歩きながら、いったいどんなことになるのだろうかと考えていた。だが、想像もつかなかった。日本にいたころだって、パソコンやジャンベを使ってライブをしたことなどなく、やるといえば、いつもギター一本だった。自信のあるなしという問題ではなかった。それこそ「どうにでもなれ」という気持ちだった。
ハット・アンド・フェザーに着き、重い荷物を抱え上げてえっちらおっちら二階へと運ぶと、そこは一階とはまったく別世界だった。電気はすべて消されて代わりに何十本というロウソクが点され、窓という窓には誰が描いたのか妙に味のある絵の描かれた板がはめこまれ、見るからに「税金」という言葉すら知らないといった感じの連中がワイワイと酒を飲んでいる。思わず躊躇せずにはいられなかった。俺は適当な席に座って荷物を置くと、カウンターでフォスターズを一杯買った。落ち着いてみると客たちはほんとうにガラが悪く、明らかにキまっている連中もいる。アメリカの暴走族みたいな格好をした、髪の毛なんて洗ったことのなさそうなサングラスの男たち。入れ歯をはずしてフェラチオのアルバイトでもしていそうな歳を取った女たち。なぜか全員アフロヘアーの男たち。今でこそ、そういう場に入っていくのにも大して構えなくなったものの、まだまだイギリス生活をはじめて間もない俺としては、ものすごく不安だった。その日、無事に寮に帰れないかもしれないとさえ思えた。だが、こうして店に来てしまった以上、もう仕方がない。俺はビールを飲みながら、先日話したスティーブの姿を探した。
スティーブは、ステージ作りに追われているところだった。張りのない大きな体を揺らしながら、スピーカーやモニター類を運び、ドラムを組み、ピアノの上に置かれたがらくたをどかしていた。スピーカーの電源を入れたままコード類をぶちぶち引っこ抜いてはつなぎ変えるものだから、その都度、フロアにはバリバリというものすごい音が響き渡り、客たちが悲鳴をあげた。その様子を眺めながら、俺は「まあ、彼の準備が終わってから話しかけよう」と胸に決め、ビールを飲んでいた。結局、ようやく彼が準備を終えて手をぱんぱんとはたいて埃を落とすころには、俺は二杯目をほとんど飲み干しているところだった。
「スティーブ!」俺は彼の背後から近づくと、声をかけた。
「ああ、はいはい。来たな」スティーブがにんまりと笑った。そのときになって初めて、俺は彼の歯が一本ないことに気づいた。「今日は、他に二バンド出るからな。お前は二番目」
どことなく、人を食ったような表情だと思った。まあ、いかにも弱そうな眼鏡のアジア人がいきなり来て「やらせてくれ」と言うのだから、彼にしてみれば、困惑した部分もあったのだろう。だが当時の俺はいかんせん右も左も分からないような有様だったし、渡英以来あまりいい思いもしていないどころか、惨めになるようなことの連続で卑屈になっていたせいもあり、なんだか馬鹿にされているような気持ちになった。
「オーケー」俺は返事をすると、三杯目のビールを買って席に戻った。
一組目は、それからすぐに始まった。ギターを弾きながら唄う若い男で、コードを間違えたり、歌詞を忘れたりしながら、つっかえつっかえ何曲か演奏した。あまりいい演奏とは言い難かったが客たちの目は温かく、その和んだ空気は、俺をいくらか安心させてくれた。彼が終わるころにはもうほどほどに俺は酔っぱらっていて、なんだか早くやりたいような気持ちにすらなっていた。いささか緊張してこそいたが、不安はもう、なにも感じなかった。
スティーブがきょろきょろと辺りを見回して俺の姿を見つけると、手招きした。俺はステージに上がるとかばんからパソコンや音源などを取り出してセットアップをし始めた。思いのほか手間取ったが、客たちは気にした様子もなく、酒を飲みながらの談笑を続けていた。
「何曲やるんだ?」スティーブが、横から俺に訊いてきた。
「三曲」俺が答えた。「それでいい?」
「そのくらいがいい」彼がうなずいた。
パソコンが起動して準備が整うと、音響をやってくれている四十代半ばの男が、ヘッドフォンをかぶりながら「ちょっと音出してみてくれ」といった顔で俺にひらひらと手を振った。俺は適当なファイルを開くと、パソコン上で再生した。彼が親指を立ててオーケーのサインを出す。それを見たスティーブが「じゃあそろそろ始めよう」と俺の耳元で言った。
「よし、じゃあ次は珍しいぞ。日本人だ」彼が、ぱんぱんと手を叩いて客たちの注目を集めてから言った。客たちの視線が、一斉に俺に集まった。俺はあまり注目を浴びるのが得意ではなかったのだが、意外にも平気で自分でも驚いた。今にして思えば、言語が不自由で文化もよく分からなかったことが、その大きな理由なのだと思う。なにをどう考えているかよく分からない相手ならば、怖くないものだ。これが日本人相手だと、見られただけで俺は緊張してしまう。
俺がマウスをクリックして再生ボタンを押すと、天井から吊り下げられたスピーカーから音楽が流れ出した。客たちはぴったりと静まり返っていた。俺はちょっと不安になったが、もう今さらやめるわけにもいかなかった。ジャンベを叩きながら中森明菜を唄った。ミキサーの横に立っているスティーブの顔を見ると、「なんだこりゃ」と言った様子で口をあんぐり開けて突っ立っていた。俺はそれがどういう意味なのか考えながら演奏を続けた。客たちは、相変わらず静かで、最初にやったギターの男のときのように楽しそうにしているわけでもなかった。俺は「参ったなあ」と胸の中でつぶやいた。もしかしたら、この曲が終わったらすぐにステージから降ろされるかもしれない。だが、明菜が終わった瞬間、そんな心配はまったく必要なかったことが分かった。客席からは予想もしていなかったほどの拍手が起こり、誰もが口々になにか叫んでいた。それが悪い意味ではないことは、空気からも明らかだった。ウケたのだ。俺は「ありがとう」と言うと、『金太の大冒険』を再生し、唄いはじめた。ここからは、手の空いている客たちは手拍子をしてくれたし、いかにもトランスが好きそうな女の子たちが、ビリヤード台の上で腰をくねらせながら踊ったりもしていた。ツボイノリオの曲で若い女が踊っているのがおかしくて、俺は吹き出しそうになった。その勢いは『デンジマンにまかせろ』でも止まることなく、俺は自分でも驚くほどの拍手をもらいながらステージを降りた。スティーブが近づいてきて俺の手をがっちりと握ると「最高だったよ! 毎週出てくれ」と言った。俺は「オーケー」と答えて笑った。
「一杯おごろう。なにがいい?」スティーブが、俺の肩を抱きながらカウンターに連れて行ってくれた。
「フォスターズ」俺は答えた。彼がバーテンに注文し、並々とビールの注がれたパイントグラスを俺に手渡してくれた。
「前にもひとり日本人でステージに出たやつがいたんだよ。でもそいつはギターを弾くだけだったし、バンドだったんだ。日本語で唄ったのは、お前が初めてだ」
俺はなにか言おうとしたが、伝えたいことがうまく英語にまとまらず、代わりに親指を突き出して笑ってみせた。彼には、それで十分伝わったようだった。その日は結局、十二時の閉店まで俺はハット・アンド・フェザーにいた。たくさんの人が俺の肩を叩きながら酒をおごると言ってくれたおかげで、俺が払った酒代は、最初の三杯分だけだった。こうして、約一年半にわたるバースでの生活の拠点が、俺にできた。俺はその後毎週ハットでライブをし、酒を飲み、ヒッピーみたいな連中とふざけた時間を過ごすことになったのだった。
翌日、ライティングとリーディングの教師のジャネットに、ライブのことを話した。彼女は「ハットに行ったの?」と目を丸くして驚いていた。「地元の人でも、敬遠して行かない人がいるのに」
「そうなんですか?」俺は訊いた。
彼女いわく、ハットは百五十年くらいの伝統がある有名なミュージック・パブなのだが、麻薬取引などで警察に目をつけられているばかりか、前年には殺人も起こっているのだということだった。最近ではいろいろと改善され、客足も戻りはじめているようだったが、俺が初めて行ったころは、誰に話しても意外そうな顔をされた。俺がライブをやっていることを知るとランゲージ・センターの生徒たちも来たがったが、ホームステイをしている生徒たちは、まず来なかった。というのは、ホストファミリーに「ハットには行くな」と止められるからだった。
春学期が終わり、学校は夏休みに入った。ランゲージ・センターの生徒たちはそれぞれ進学先を決めるのに必死になっていた。まずは大学や大学院から資料を請求し、自分のIELTSの成績表と一緒に送り返し、入学許可を待つ。すぐに行き先が決まって遊び歩き始める生徒たちがいる一方、IELTSの成績が思いのほか悪く、行き詰まってしまっている生徒たちもいた。レベッカはその年の入学に賭けていたのだが、悪いことにテストの成績がまったく足りず、進学を断念するように教師たちから説得されていた。彼女の大学では、志望校の語学予備コースを受講すらさせてもらえないような有様だった。新学期が始まるまで、あと二ヶ月。だが、七月にIELTSを受けた彼女が次に受けられるのは十月のこと。彼女は結局、泣く泣く進学を諦めて台湾に帰らざるを得なくなってしまった。彼女のように、一発のチャンスを物にできずに進学を諦める生徒は、他にも何人かいた。遠く自分の国を離れて勝負に来ている留学生たちにとって、志望校が決まれば嬉しさは二倍、三倍だったが、決まらなければやるせなさも二倍、三倍だった。行き先の決まった学生たちと行き場を失った学生たちは、ちらりと見て分かるほど、その明暗を分けていた。
俺はというと、夏の間に開かれる別の授業にいくつか申し込み、あとはのんびりしていた。せっかくの夏休みなのだからどこかに旅行をしてみようかとも思ったが、行く先々でまた語学の壁にぶち当たるのかと思うと、なんとなく腰が引けた。それなりに会話はできるようになっていたものの、ホテルに電話をかけて予約を取ったりするのには、まだ不足だった。とにかく、夏休みだというのに英語のことなんて考えたくなかった。だから、週に一回ハットに行ってライブをする他はほとんど人と会わず、新しい曲をパソコンで打ち込んだりしていた。かと言って、気が楽というわけでもなかった。「なにかしなくては」という焦りは、なんとなくあった。ただ、なにかをするのも決して気が楽なわけではない、ということだった。一日に三つずつ単語を暗記しながら、その焦りをなんとか埋めていた。
台湾人の友人たちは、みんなどこかに旅行に出かけたりしていて、寮はほとんど空っぽに近かった。誰もいないキッチンにぼんやりと座りながら、俺は毎晩のように「なんでこんなことをしているんだろう」と考え続けた。日本からはたまに、フリーライター仲間の友人たちからメールが届いた。みんな楽しそうにやっていた。なんだか、彼らが笑いながら俺を置き去りにしていくようにしか、俺には感じられなくなっていた。俺は、ただひとりで港に立ちつくし、彼らを乗せた船が出航していく様子を眺めていた。彼らはそんな俺にはお構いなしにゲームに興じ、酒を飲み、ときどき思い出したように「よう、お前はどうしてる?」と頼りをくれる。それなのに俺は、未だにイギリスで手も足も出ず、誰もいないところでひとりぶつくさと愚痴を垂れているのだ。日々はただ、その暗い気持ちの繰り返しだった。「一歩外に出ればそこはもう外なんだ」という簡単な事実を俺は否定し、俺は安っぽい自己憐憫にひたりながら、夜空を見上げたり、酒を飲んだりしていた。目に付く物すべてに、俺は唾を吐いた。なにもかもが馬鹿らしく感じられ、自分のことは、とりわけ馬鹿らしく感じられた。夏休みが後半に入るころには、ハットも二週に一回くらいしか行かなくなっていた。とにかく自室に閉じこもり、行く場所と言えばキャンパスの食料品店か、パレード・バーだけだった。
ある日、すっかりサンドイッチに嫌気が差して市街に降りた俺は、メイン・ストリートのベンチに腰かけながら、ハンバーガーを食べていた。目の前には、バース寺院が重々しく、俺を見下ろしながらそびえ立っていた。ベンチのすぐ近くの壁の暗がりにもたれかかるようにして、黄色いよれよれのジャケットを着た黒人が座っていた。どこかで見覚えがあると思ってよく見てみると、いつかサックスを吹いていた男だった。サックスを持っていない彼は本当にただの浮浪者のように見えた。演奏しているときはあんなに周囲に人が集まっていたのに、当たり前の話だが、ただ座っているときには誰もが目もくれずに素通りしていく。なんだかその様子が不思議で、ハンバーガーを食べ終わった俺は煙草を指に挟んだまま、ぼんやりとそれを眺めていた。しばらく見ていると、彼が俺に気づいて笑いかけてきた。そしてのっそりと立ち上がると、「ハイ」と片手を挙げながら、俺に近づいてきた。
「煙草、一本貰えるか?」彼が言った。
「メンソールでよければ」俺は言った。
「いいよ」
俺はポケットから煙草の箱を取り出すと、一本抜き取って彼に渡し、火をつけてやった。彼はうまそうに吸い込むと、紫の煙をため息混じりに吐き出した。
「今日はサックスやらないの?」俺が訊いた。
「今日は、もうやったんだよ」彼が言った。「もうすぐ、帰るところだったんだ」
俺たちは、お互いの身の上などを話した。俺は、煙草の箱をベンチの上に出すと、「吸いたければいつでも吸っていいよ」と言った。彼は最初こそ遠慮していたが、話が進むにつれて、断らずに吸うようになった。俺はなんだかそれが嬉しくて、よく聞き取れない彼の話を、何度もうなずきながら聞いた。俺がジャンベを好きだと言うと、彼は「じゃあ今度一緒に遊ぼう」と言った。「でも、いつバースにいるかはよく分からないんだけどな」
「じゃあ、いつも降りてくるときには持ってくるようにするよ」俺は言った。
煙草がすっかり無くなり、俺たちは手を振って別れた。彼は最初に俺が見たあの日と同じように、荷物をごろごろと引きずりながら駅のほうへと向かって坂道を降りて行った。俺は寺院の広場を突っ切ると、寺院の裏手にあるバス停から大学行きのバスに乗って大学に戻った。
パレード・バーでフォスターズを飲みながら、自分がいつもより静かな気持ちになっているのを感じた。それまで考えたこともなかったが、誰かと話すというのは、そういうことなのだと感じた。俺はとにかく、一時間でいいから誰かと思い切り日本語で話したくなった。自分の興味があることを、我慢せず、もたつきもせず。それができる相手は、とりあえず学校には誰もいなかった。英語が日本語と同じように不便なく使えるような気がしない以上、我慢するしかなかった。そう考えると、またなんだか暗い気持ちになった。だが今になって思うのは「言葉が通じない」という惨めさを体験しただけでも、海外で暮らした価値はあったということだ。
夏休みは、『タイタニック』と同じくらい、長く退屈だった。つまらないのになんとなく期待し続けてしまうあたりも、そっくりだったと言っていい。午前中は夏休みの間だけ設けられたコースを受講していたが、出席してみれば、単なるランゲージ・センターの資金集めと、これから英語教師になろうとしている新米たちの教育実習のような内容だった。我がタイタニック号の乗客たちと言えば、世界各地から教師たちに引率されてやってきた大学生たちや、「夏休みを利用してちょっと英語に触れてみたい」といった感じの他国の学生たちや、中年たちばかりだった。ファンデーション・コースのような緊張感も真剣さもなく、出席しているだけで、なんだか自分が小学生か幼稚園児に戻ってしまったような気分になった。俺はもっぱら他のことばかり考えるか、そうでなければサボって遊びに行くようにしていた。遊覧船に乗ってのんびり語学研修気分を味わうのは、面倒だった。
夏の語学学校は、どこも書き入れ時だ。あちこちの語学学校が海外の大学や高校と提携して、サマースクールを開講している。学生たちは世界のあちこちから胸をときめかせながらやってきて、クラスメイトになった他国の学生たちと片言英語でなんとかコミュニケーションを取り、観光名所を見て回り、「やっぱイギリスの食事はまずいなあ」と、渡英前から用意しておいたようなセリフを口にして異国情緒を満喫しながら、大して語学的には足しにならないような語学コースに、それなりの金額を支払って満足顔で帰っていく。俺は、当初五つほど取る予定だった授業を二つに減らし、残りはのんびりと過ごすことにした。とはいえ、それほどやることがあるわけでもなかった。俺は暇にあかせてパソコンに向かい、ハットでライブをやるとき用のカラオケ作りに熱中した。それまでには数回やっていて、だんだん、どんなものがウケるのか分かり始めていた。当時いちばんウケがよかったのは『およげ! たいやきくん』で、これを俺は、『妖怪人間ベム』のアレンジをパクってやっていた。ハットでは俺はなかなか愛されていて、街を歩いているときに「こないだハットで見たぜ」と声をかけられたり、レストランの店員に「今週も出るのか?」とデザートをサービスしてもらったりしていた。飲み仲間もずいぶんと増えて、特に、地元で自主制作映画を作っているマイクとは、ライブが終わったあとによく飲みながら話をした。
とはいえ、マイクが実際に映画を撮っていたかといえば、そういうわけでもなかった。マイクはただ、誰にでも「自主制作映画を撮っている」と自己紹介し、実際に、撮っている気になっているだけの男だった。俺は日本を離れてちょうど三ヶ月目くらいだったが、渡英前の俺もまた「ライターをやっています」と見栄を張って言いつつ仕事などからっきし来ないような状況だった。思うに、そんな思い上がりと下らない自尊心が、俺とマイクの共通点だった。彼とは二ヶ月くらいよく会っていたが、「今度、お前の太鼓を録音させてくれよ」と言うだけで、具体的なスケジュールなどはまったく出してこなかった。彼にとっては、幸せな時間だったに違いない。秋学期が終わるころには、もうすっかり会わなくなっていた。
夏休み中、俺のライブに日本人の女の子たちが来たことがあった。彼女たちはどこかの語学学校のサマースクールに来ていた女子大生のふたり組で、そこの教師に「イギリス文化を学習しに、夜パブに行くわよ」と、クラスごと引率されてきたのだった。
「イギリス文化もなにも、こんなとこに引率してくるなんて、その先生もキてるねえ」と俺は言った。
「でも、すごく面白い先生なの」彼女たちのひとりが言った。「ほら、あの人」
指さされたほうを見ると、絞り染めのベルボトムを穿いた太った女が、生徒たちをテーブルに残したままフロアの中央で大声をあげながら踊り狂っているところだった。確かに、面白い先生には違いないと、俺は思った。他の客たちはみんな目を充血させて酔っぱらっているか、大音量の中でも机につっぷしてぴくりとも動かないか、焦点の定まらない目をしながらマリファナを吸っているような連中ばかりだった。それでも彼女たちはなんの疑いも持っていないような笑顔で、ハットの空気を楽しんでいた。まったく知らないものは、目に入るままについつい信じてしまいがちだが、彼女たちにもまた、そうだったのだろう。やがて十一時を回るころにはその教師はもうどこへ姿を消していた。彼女たちは、ウォルコット・ストリートを抜けた先に滞在していて、そこまで歩いて帰るのだと言った。俺は心配になり「同じ方向だから送ってくよ」と言った。だがふたりは妙に警戒心を高めたような顔をすると「ふたりだから大丈夫ですよ」と、その申し出を断った。まるで「危険なのはあんたよ」とでもいった感じの声色だった。俺は「じゃあ勝手にしろ」という気分になり、二階から出ていく彼女たちの背中を見送りながら、もう一杯だけビールを注文した。たまに、海外で留学生が妙な事件に巻き込まれたりするが、あれは、そういう警戒心のなさが引き金になるような気も、しないでもない。だが、俺を警戒したのだから、もしかしたら十分気をつけているのかもしれなかったが。
寮の同じ階にいた台湾人たちは、夏休みも半ばに差し掛かると、それぞれが合格した大学院のある街へと引っ越していったり、進学を諦めて国に帰ってしまったりしていた。残されたのは俺と、夏の間も研究を続けている台湾人の大学院生ふたりだけになった。とはいえ、俺たちはそれほど話をしなかった。キッチンで顔を合わせれば挨拶くらいはしたが、元々、ランゲージ・センターの友達を通してしか、あまり話さなかった。七月も終わりに近づいてくると、俺はだんだん退屈でたまらなくなってきた。次の学期が始まるのは九月半ばだったから、まだまだ時間は有り余っていた。退屈な時間は、俺の憂鬱感を倍増させた。なにをするのも面倒くさくなった俺は、部屋に閉じこもるか、パレード・バーでビールを飲むか、そうでなければハットで過ごすようになった。アルカニアには、さっぱり行かなくなっていた。いつの間にかベンがいなくなって、代わりに、太鼓になどなんの興味もなさそうな女が入ったからだった。
毎日、なんで自分がこんなところにいなくてはならないのかと、俺は考え続けた。六月からずっとストレスのせいで腹痛を抱えていたが、夏休みは、特にキツかった。わざわざ不自由な思いをしてまで居続けるだけの理由があるとは、当時の俺には思えなかった。とにかく気が立っていて、神経がピリピリと張りつめていた。誰がなにをやるのを見ても腹が立ったし、日本から来ているサマースクールの生徒たちが十人くらい固まって座っているのを見かけると、全員をぶっ飛ばしたいような衝動に駆られもした。日本にいる友人たちからは、相も変わらず楽しそうな毎日を報告するールが入ってくる。それを読むたびに、盲腸のあたりに鈍痛を感じた。本当に盲腸なのかもしれないと思ったが、どう症状を伝えていいのか分からず、病院にはいかなかった。そもそも、どこの病院に行っていいのかも分からなかったし、ひどい憂鬱感を抱えていた俺にとっては、その痛みがあるくらいのほうがちょうどよかった。安っぽい自己憐憫と、グラスから溢れんばかりに注がれたフォスターズの夏。
だが、そんな俺にもふとしたきっかけで友達ができた。日本からやってきたエッシーという女の子だった。大学の食料品店でサンドイッチを物色しているときに、なんとなく知り合った。彼女はバース大学で通訳の勉強をしにやってきていて、学期が始まる前に、ランゲージ・センターの予備コースを受講していた。通訳を目指すだけあってかなり英語が話せた彼女の前では、俺はまるっきり無口だった。
とはいえ、九月から大学院がスタートするエッシーはそれほど暇ではなく、「なんとか今のうちにすこしでも英語力を上げなくては」と、必死になっていた。授業がないときでも彼女は視聴覚室でヘッドフォンをかぶりながら、リスニングの訓練に余念がなかった。俺たちは昼食や夕食を一緒に摂ったり、たまに軽く酒を飲んだりする程度で、一緒に市街地に降りるようなことも、ほとんどなかった。
俺の新しい学期も九月中旬から始まるはずだったが、それまでに、ビザの更新をしてしまわないとならなかった。帰りの航空券を持っていなかった俺は、入国するときに、半年分の観光ビザしかもらえなかったのだ。そのため、学期が始まる前に一度国外に出て新しくビザをもらおうと、俺は思っていた。行き先は、フランスかドイツだった。パリには小学生のころにすこしだけ住んでいたことがあり気になったし、ドイツには、古い知り合いのエトウさんが住んでいたからだ。さんざん考えた末、俺は結局ドイツに行くことに決めた。日本人街があるデュッセルドルフならば英語を話さなくても済むだろうし、久しぶりに、知った顔に会いたいような気もしたからだった。俺は市街地にあるトラベル・ショップに行くと、いちばん安かったルフトハンザの往復航空券を買った。またヒースローに行って飛行機に乗るのだと思うとたまらなく面倒くさかったが、仕方なかった。
俺は、旅行が好きじゃない。一にも二にも、とにかく面倒だ。荷造りも面倒くさいり、移動も面倒くさい。しかも俺は物事に大して興味がないから、観光も面倒くさい。知らない土地に行って不慣れな環境の中で何日か過ごすのも面倒くさいし、そんなに面倒な思いをして出かけたのに、また帰ってくるのも面倒くさい。それならば、旅行になど行かずに入国管理事務所でビザの更新をすればいいのだが、とてもではないが、そんな語学力が自分にあるとは思えなかった。必要書類を取りそろえ、書類を作成し、バーミンガムにある入国管理事務所まで行き、さらに待たされる。その面倒くささたるや、旅行の面倒くささの比べ物にならない。それが、俺が旅行を選んだ理由だった。
出発当日は、心底面倒くさかった。ゴロゴロと荷物を転がしながらバスに乗り、市街のバス停から、今度は高速バスに乗り換える。四月にやって来た道を、ヒースローへと逆戻りしていく。また、あの表示だらけの空港ターミナルを歩くのかと思うと、とことんうんざりした気分になった。だが、空港では思いのほか、拍子抜けするほど苦労せずに済んだ。というのも、四月のあの日にさんざん歩き回ったおかげで、だいたいの道順を憶えていたからだ。それに、たかだか半年足らずとはいえ最初に比べれば英語も上達していた。俺はさり気ない顔でチェックインしながら、イギリスに来て初めて、なんとなく英語で話したいような気分になった。
飛行機は、ほんの一時間足らずでデュッセルドルフ空港に着陸した。バースからヒースローまで行くのよりも、はるかに短い時間だ。機内食はひどいものだった。さすが、いちばん安いチケットだけのことはあった。あのサービスでイギリスから日本へ帰れと言われたら、俺は躊躇したことだろう。空港までは、エトウさんが迎えに来てくれていた。彼は、勤めている会社のデュッセルドルフ支社へ、自ら志願してやってきていた。英語など学校でしか勉強したことがなかったと言っていたが、それでもああして海外で仕事ができるまでになっているのだから、見上げたものだった。俺たちは昔話に花を咲かせながら、彼の運転する車で空港を後にした。途中で一度、彼のオフィスに寄り、細々とした用事を済ませてから、俺が泊まることになっているホテルに向かった。
ホテルはどうも、日本人向けのウィークリー・マンションのような感じだった。部屋の名前も「沖縄」「北海道」「東京」など、日本の地名がつけられたものばかりだった。俺が泊まることになっていたのは「九州」だった。ホテルのすぐ近くにある事務所で鍵を受け取り、荷物を中にしまってからふたりで出かけた。彼とはよく一緒に地元のビリヤード場で遊んでいたので、俺たちは昔を懐かしみがてら、近くのビリヤード場に入った。昔に比べればまったく下手になっていたが、それでも、なんだか懐かしいような気持ちになった。一時間か二時間か遊んでから、彼がまたホテルまで送ってくれた。彼の家には、翌日にお邪魔することになっていた。俺は彼を見送ると、さっそく日本人街を見物しに出かけることにした。
デュッセルドルフは、海外というよりも、むしろ日本だ。日本の書店があり、日本の居酒屋があり、日本のホテルがある。それに、他国の企業もあれこれ入っているおかげで、英語も通じる。便利ではあったが、その分、異国情緒にはまったく欠けていた。あちこちを、日本人留学生たちが歩いている。俺は、夜になったら居酒屋に行こうと、まだ明るいうちから浮き浮きしっぱなしだった。
三日目の夜、俺は泊まっていたホテルから歩いて五分ほどのところにある焼き鳥居酒屋『焼き鳥亭』で、ひとりビールを飲んでいた。店内には日本人客しかおらず、酔っぱらってくると、なんだかそこが本当に日本ででもあるかのような気持ちになってきた。俺はカウンターの中の店員と、どうでもいいような話をずっとしていた。自然に座ったままの姿勢で、自然に出てくるボリュームの声で、自然に話せる。ただそれだけのことだが、俺にはありがたかった。イギリスのバーも嫌いではなかったが、とにかくうるさかった。イギリスのパブでは、耳元めいっぱいまで口を寄せた上に、さらに大声で喋らないと話もできないことが多い。そのほうがコミュニケーションが楽しいこともあるが、俺には、あまり楽しめなかった。隣の席では、俺と同い年くらいの女の子がふたり、楽しそうに騒ぎながら酒を飲んでいた。どうも、そのうちのひとりが翌日に日本に帰ってしまうようだった。片方は好みではなかったが、もうひとりのほうは、なかなかかわいかった。デュッセルドルフでは、そうやって日本人同士が隣同士になっても、まったくお互いに意識することないのが当たり前だった。これがバースだと、そうはいかない。どこかで「お、日本人だ」という気持ちが生まれるせいで、お互いになんとなく素っ気なくなってしまうのが普通だった。俺は、その自然な感じのおかげで、とにかく気が楽になっていた。
俺は彼女たちと話すこともなく、相変わらずカウンターの中にいる男の店員と話をしていた。内容は、憶えてない。あれから何年も経っているから憶えていないのではなく、そのときも、話す端から忘れていった。だが、それをどうとも思わなかった。とにかく俺は、飲んで、話すことができればいいだけだった。やがて、かわいくないほうの女の子がトイレに行くために席を立った。かわいいほうの女の子が、俺と話をしていた店員になにか話しかけた。どうやら彼女は、その店でバイトをしているらしいことが、その内容から分かった。それから彼女は俺のほうを向くと、「イギリスから来てるの?」と話しかけてきた。
「うん、そう」と、俺は短く答えた。「知り合いが住んでるんだ」
「イギリスでなにしてるの?」
「別に。今は、英語を勉強してる」
「英語お?」彼女が笑った。「英語ってなんか、アメ公の言葉って感じで好きじゃないなあ」
「ドイツにはどれくらいいるの?」
「もう四年くらい」
「いつまでいるの?」
「まだ分からない」
話の途中で、トイレに立っていた彼女の友だちが戻ってきて、話の輪に加わった。彼女たちは親友同士で、今日は、しばしの別れを惜しむサヨナラ会だとのことだった。俺たちは、初対面と別れを祝して乾杯した。彼女たちがどんなつらい別れを明日するのかは、俺には関係もなければ関心もなかった。俺には、ふたりのどちらにも思い入れがなかったからだ。それよりも、どちらかというとかわいいほうの女の子が残って、俺は彼女と知り合う機会を得たのだということに、俺は乾杯していた。
かわいいほうの女の子はトモコという名前で、もうひとりはレイコという名前だった。トモコは、「明日のよるはきっとすごく寂しくなってるから、よかったら一緒に会って欲しい」と俺に言った。俺は二つ返事でOKした。
「それは俺もありがたいよ。なにしろ、ホテルにいる以外にやることがなくてね」
俺たちは翌日の六時にすぐ近くにある交差点で待ち合わせをして、別れた。
親友と別れて、どんなにつらい思いをしているだろうと思っていたが、翌日再会したトモコは、思いのほか元気そうだった。昨晩はよく分からなかったが、背はかなり大きく、一六五センチくらいはありそうに見えた。鮮やかな茶色に染められた髪の毛はやたら長く、手脚はすらりとしていてスタイルはよかった。俺たちはとりあえず昨日と同じく『焼き鳥亭』に行くと夕食を済ませた。その日はなにをしていたのか訊かれ、俺は、ホテルで本を読んでいたのだと言った。朝のうちに書店に行って『ハムレット』を買ってきたのだが、読み始めてみると、退屈でたまらなかった。大昔に脚本として書かれているせいか、今でなら舞台装置で補うはずの部分をセリフで説明しているせいで、読書慣れしていない俺にはとことん読みづらかった。
「今日は、シェイクスピア読んでたよ」俺は見栄を張って答えた。
「へえ。面白いの?」彼女が興味なさそうに言った。
「面白いよ」俺は答えた。「何百年も残っているものは、やはりそれだけのことはあるよ」
俺は、誰かから聞きかじったようなことをふたつみっつ彼女の言い、すぐに話題に詰まると、彼女がどうしていたのか訊いた。彼女は、レイコを見送りに行ったあと、引っ越したばかりの自分の部屋を改造していたのだと答えた。壁を塗り、棚を作っていたのだという。日本ではあまり考えられないが、海外の学生アパートなどでは、割とそういうことをする入居者が多い。家を買ったりしても、自分でリフォームする人たちが多いのだ。彼女はデュッセルドルフの美大でインスタレーションを学んでいるというだけあり、そういうことが得意なようだった。
一通り食事をして、いい具合にほろ酔い加減になったころ、彼女が、ライン川に行ってみないかと言った。俺は面倒くさかったのだが「いいよ」と答え、勘定を済ませて店を出た。最寄りの駅から電車に乗り、十分ほど電車に乗って降りた。そこに彼女の通っているアカデミーがあり、すぐ傍をライン川が流れていた。俺たちは川沿いのバーに入ると屋外のテーブルに座って酒を飲んだ。
「できれば、このままずっとこっちに住みたいの」彼女が言った。
「日本、帰りたくならないの?」
「ならないよ」彼女が眉をひそめた。「だって、暮らしにくいんだもの」
彼女はどうも、日本を毛嫌いしているようだった。そんなところに住むよりも、自分が直面しなくてはならないものがひとつでも少ない海外に住み続けたい。そんな感じの女性に見えた。俺にとっては、あまり得意なタイプの女とはいえなかった。俺は、どこか歪んだような、影のあるような女は好きだが、コンプレックスからなにかを憎んでいるような人間は、あまり好きではない。それは、まるで自分を見ているかのような気分にさせられてしまうからだ。自分がいかにつまらない人間かを客観的に見ているような、惨めで情けない気持ちにさせられてしまうのだ。そのとき彼女に感じたのは、そんな気持ちだった。とはいえ、同じ年頃の女とふたりきりで酒を飲んでいるという魅力的な事実には逆らい難く、さらに、ライン川のほとりはまっ暗だった。
「ねえ、ちょっと川岸に降りてみようよ」俺は言った。
「いいよ。向こう岸のほうがきれいだよ」彼女が言った。俺たちはお互いのグラスを空にしてしまうと、席を立った。
川にかかった大きな橋を渡り、俺たちは対岸へと渡った。橋にはオレンジ色の街灯が並んでいて、それ以外に明かりと呼べそうなものは、月明かりや、遠くに見える町の灯くらいのものだった。辺りはとても幻想的で、その中を歩いていると、まるで自分たちだけがあらゆる束縛から解放されて夜を支配しているかのような気持ちになった。橋のまん中あたりで立ち止まり、墨で塗ったように黒い水面を見下ろした。偶然彼女の手が俺の手に触れ、俺はその手に軽く触れた。彼女が、俺の手を握ってきた。俺は、彼女と恋におちたような気分になって、顔を覗き込んだ。その視線に気づいたのか、彼女が俺の顔を見返してきた。俺たちは軽く握っていた手をそっと離すと、今度はしっかりと握りなおした。ときどき、車が猛スピードで橋を渡っていったが、俺たちは、そんなことにもほとんど気づかなかった。
残りの数日間、俺はできる限り彼女と会いながら過ごした。とはいえ、彼女はアカデミーの展覧会に出展する作品を作っており、それほど暇があったわけではなかった。俺は相変わらず近所をふらつき回りながら、夜になると適当なバーに入ってビールを飲み、これまた適当にホテルに戻るとごろりと横になり眠くなるのを待つような過ごし方をしていた。次にトモコに会ったのは俺がイギリスに帰る前の日だった。俺たちは一緒に食事をし、酒を飲み、彼女はそのまま俺のホテルに泊まり、翌日、空港まで送ってくれることになった。また飛行機に乗るとはいえ、たかだか一時間足らずのことと思うと、また国境を越えて旅をするのだという感慨もなにもなかった。また荷物を抱えて空港をうろうろすることになるのだと思うと、面倒でしかたなかった。ともあれ、また自分の部屋に帰ることができる。その安心感のほうが強かった。泊まっていたホテルは天井が高すぎて、どうも落ち着かなかった。
翌日、目を覚ました俺と彼女は空港への電車に乗った。ホテルから駅までは歩いてもさほど遠くない距離だったから、俺たちは途中のカフェで一杯コーヒーを飲んだ。
「また来る?」彼女が訊いた。
「うん、また来るよ」俺はコーヒーをすすりながら答えた。
あまり眠れなかったせいで、俺も彼女も口数が少なかった。通り過ぎてゆく自動車の音も、談笑しながら歩いてゆく人々の声も、なにもかもがどこか白々しく感じられた。イギリスでもドイツでも、誰もがみな普通に話し、普通に笑い、普通に歩きながら生活している。ならばなぜ、俺たちはわざわざ海外旅行などしたがるのだろう。俺は、観光地を見て回ったりすることには、なんの興味もない。あるとすれば、直面すべきあらゆるものから一時逃げ出すためであり、それ以外の目的は希薄だといえる。自分が生活のベースにしている場所というのは、いろいろなものが手の届く範囲、目の届く範囲にあるのが分かるから便利といえば便利だが、やはり、その分ついて回る事情というものが鬱陶しく感じられ、ときどきは、そういうものがまったくない別世界へと行ってみたくもなるものだろう。月並みな言い回しだが、誰も自分のことを知らない場所にいく安心感というものは、計り知れない。
「そろそろ行かないと、間に合わないよ」彼女が時計を見ながら言った。
「じゃあ、もう行こうか」俺は答えると、残っていた冷めかけのコーヒーを一気に飲み干した。
彼女が煙草の最後の一口を吸い、揉み消している間に、俺は財布から金を出してテーブルの上に置いた。もうマルクも必要なかったから、チップを多めに置いた。どうせポンドに換金したところでたかがしれている。
空港に着いたときには、もう搭乗時刻ぎりぎりだった。俺たちは駆け足でゲートまで行き、手荷物の検査をし、金属探知器をくぐり抜けた。俺と彼女の間に、鉄製の柵が立ちはだかった。彼女が俺の手を握ろうとすると、横から空港の係員がなにやら声をかけてきた。
「今、なんて言ったの?」俺が訊いた。
「ゲートをくぐったら、もう触っちゃだめだって」と彼女が眉をしかめながら言った。
係員は、他の乗客たちに目をくばりながら、俺と彼女のことをちらちらと見ていた。彼女が、その係員の顔を見ながら俺の頭を引き寄せるとキスをした。係員は苦笑いを浮かべながら、それを見ていた。ヒースロー行きの搭乗案内が流れた。そろそろ行かないと、本当に乗り遅れてしまいそうだった。
「じゃあ、本当にもう行くよ」俺は言った。「連絡するから」
「うん、あたしもできたらイギリス行く」彼女が笑った。
俺は「またね」と言って手を振ると、彼女に別れを告げた。しばらく歩いてから振り向くと、彼女はまだ俺に向かって手を振っていた。俺ももう一度手を振り返したが、彼女の姿はすぐに、ごった返す人込みの向こうに見えなくなった。
飛行機は、俺が座席に着くと間もなく動き出した。横にはスーツに身を包んだ恰幅のいい中年男がぐったりとした様子で座っていた。ヒースローには、午後早くに着くはずだった。俺はため息をつくと、シートに全体重を預けながら目を閉じた。とにかく、早く着いて欲しかった。また高速バスに二時間も揺られることを思うとうんざりしたが、その先には、眠り慣れたよれよれのベッドが待っているのだと思うと、どこかほっとさせられた。飛行機は轟音を轟かせながら離陸した。すっかり機体が安定してから俺は鼻をつまみ、口を閉じ、そこから息を吐き出すようにして、気圧に押された鼓膜を押し戻した。
隣の中年男はスチュワーデスを呼ぶと、ウォッカを注文した。それからヒースローに着くまで、彼は他のものを一切口にすることなく、次から次へとウォッカを飲み続けていった。機内食はまたしてもひどいもので、俺は、トレイが配られてきた瞬間に、それを受け取ったことを後悔しはじめていた。とはいえ、機内食などというものは、どれをとっても大して美味いものではない。よく若い女たちが機内食を楽しみに航空会社を選んだりするというが、あれはどういうことだろう。普通のレストランなりで食べたほうが、美味いに決まっているのだ。俺には、「機内食が美味い」というのも「イギリスの食事はまずい」というのも、同じことに聞こえる。そう思ったほうが、旅情が高まるからだ。物事に特定の事実がくっついていないと気が済まない人々というのは、確かにいるものなのだ。
ヒースローでは、もう迷わなかった。俺は、四月のあの日に自分がさんざん迷い歩いた道を懐かしく感じながら通り抜け、セントラル・バス・ステーションにたどり着いた。あのときと同じように座ってバスを待ちながら、トモコはもう自宅に帰り着いたころだろうと考えていた。彼女に「無事に着いた」と電話をかけようかとも思ったが、動くのが面倒だったから、代わりに煙草に火をつけた。バスに乗ってバースに着いてしまえば、すぐにランゲージ・センターの新学期が始まる。また、語学の壁に脅されながら、暗い気持ちで過ごさなくてはならない日々が始まるのだ。そう思うと、楽しい気持ちなどはすべてデュッセルドルフに置いて来てしまったような気になった。あの日本人街を楽しそうに、踊るようにして歩くトモコの後ろ姿と、腰くらいまである長い髪を、俺は想像した。彼女は、俺のどんなことを想像しながら、今ごろいるのだろう。もしかしたら、もうすっぱりと気持ちを切り替えて、紅茶でも買っているのかもしれない。
やがてバスがやってきて、俺はドライバーに荷物を預けると、適当なシートに腰かけた。運良くバスはがらがらで、俺は、ふたり掛けのシートの中央にある肘掛けを押し上げると、体を縮めるようにして横になった。眠気がすぐに襲ってきた。俺は、どうかバースに着くまで目が覚めませんようにと祈りながら、その眠気に身を任せた。
バースに戻って一週間が経ち、新学期も始まっていた。俺は三クラスあるうちのまん中のクラスにステップ・アップしていた。クラスメイトの顔ぶれはガラリと変わり、前学期の台湾人まみれのクラスから、多国籍クラスになった。ドイツから来た普通の女の子ナンシー、エジプトから大学院に進むためにやってきたアハマド、同じく大学院に進むためにやってきた台湾人のキャンディ、それと、デブのユウジだ。ユウジは海外に来てまで自分がRX−7に乗っていることを自慢するような男で、いかにもオタク臭い風貌をした気持ちの悪い男だった。俺は一目で彼が嫌いになった。肉の垂れ下がった瞼の奥からこちらを見られると、背筋に悪寒が走った。いつもストリート系のファッションをしていたが、たぶん日本を離れたのを機会に風貌を変えたのに違いないと思わせるような何かが、彼にはあった。誰も知らない場所で、誰も知らなかった自分になろう、というわけだ。
語学学校には、必ずひとりやふたり、絶対に英語でしか喋らないやつがいる。ユウジも、そんなひとりだった。そして、海外に行くと妙に開放的になり、自分の前途は揚々であり、海外に来たからにはなにもかもうまく行くと思い込んでしまうようなやつがいる。ユウジも、そんなひとりだった。これは、俺が彼のことを嫌いだからそう思ったわけじゃない。そういうやつだから、俺は嫌いになったのだ。デブでもオタクでも俺は構わないが、そういう連中のことは大嫌いだ。
「僕は日本では、珍しい車に乗っています」と、最初の授業で彼が自己紹介した。先生のジャネットが「どんな車?」と訊ねると、彼は間抜けにも「FD−3S」と、よりにもよって型番で答えた。ジャネットは、車種が知りたかったわけではなく、英語を伸ばすために説明させようとしただけだというのに、そんなことにはまったく気づかないばかりか、誰にも理解できない語句を持ち出して自尊心を保とうとする彼の自慢げな顔が、俺には我慢できなかった。クラスの誰もが、どうリアクションをしていいのか分からないようなまなざしで彼のほうを見たが、彼にとってそれはむしろ快感なのだろうと思うと、胸が悪くなった。
「別に珍しい車じゃないじゃん」と、俺はにやつきながら横から口を挟んだ。彼が肉の奥から俺をじろりと見て、俺が目を離さないのを悟ると、すぐに目を逸らした。彼がチェックのシャツを着ていることすらも許せないような気持ちに、俺はなった。
新しいクラスは、快適とはいえなかった。前学期の台湾人のクラスメイトたちとの授業にすっかり慣れていたせいか、国籍がこうも混ざるとこんなにも違うものかと感心せずにはいられなかった。ナンシーは四六時中まくしたて、アハマドはとにかく息が臭く、ユウジはとにかく注目されたがっていた。俺がいちばん気があったのはキャンディだった。彼女は大人しく知的で、よく気を使う女だった。ただ、その外見は、キャンディというよりも長ネギに近かった。
「やれやれ」俺は胸の中で言った。「これになじむのはなかなか大変だ」
俺は、環境適応能力がやたらと低い。部屋にも自分にも閉じこもりがちな性格のせいだ。だから、慣れ親しんだ環境が変わってしまうと、そこに馴染もうとするより先に、あらゆるものを遮断して、唯一変わらないもの、つまり自分の中に居座るようになる。それこそが、語学が思うように伸びない理由だったのだと、今は思っている。だがとにかく当時の俺は生活するだけでいっぱいいっぱいだったから、そんなことを気にしている余裕などはなかった。俺にとっては、朝できるだけ気分よく起きて、夜できるだけ気分よくベッドに入ることが、なによりも最優先だったのだ。
俺は授業が終わるとすぐに市街地に降りてぶらつくようになった。適当なパブでビールを飲み、店を冷やかして回り、寺院の前のベンチに腰かけて一服し、気が向いたらヴィクトリア・パークまで歩いて、だだっ広い芝生の上で寝転がって過ごした。そんなある日、もう観光客たちもホテルへと引き返して静まり返りつつあるメイン・ストリートで、ジャンベを叩いている長髪の男と出会った。俺は近くのベンチに腰を降ろすと、誰もいないのに楽しそうに叩く彼の姿を横目で見ていた。ひょろ長い手足、汚く伸びた長髪の上にちょこんと載ったシルク・ハット、安酒と安いドラッグの匂いが染みついていそうなズボンとジャケット。彼がジャンベをかついでレイブのイベントに行くところが、易々と想像できた。彼の叩くジャンベの音は、石造りの街並みに小気味よく跳ね返っていた。俺は煙草に火をつけて、空いた手で小さく膝を叩いていた。そんな俺の様子に気がついたのか、彼がジャンベを叩きながら声をかけてきた。
「ヘイ。煙草を一本くれよ」親しみやすそうな声で、もったりとした調子で彼が言った。俺はベンチを立つとズボンのポケットから潰れた煙草の箱を取り出し、彼のところに歩み寄るとふたを開け、差し出した。彼は叩く手を休めると一本つまみだした。俺は火をつけてやった。
「いい音だね」俺が言った。「俺もジャンベ叩くんだ」
「そうなのか。今度一緒に遊ぼうぜ」彼が言って、にっこり微笑んだ。そうやって笑いながら、なにも気づかずにバースの街角に追いやられてきたような、無垢な笑顔だった。俺は、彼のことが好きになった。
「シモン。よろしく」俺は右手を差し出した。
「パオルだ」彼が俺の手を握ってきて、俺たちは握手を交わした。
「俺は日本から来たんだけど、パオルは?」
「ポルトガル。でも、あちこちさ」彼が言った。「でもここんところはずっと、バースで芸やってるよ」
「そうなんだ。俺は、大学にいる」
「へえ、なに勉強してるんだい?」
「英語」
「それだけ話せれば、勉強しなくてもいいじゃないか」
「だめだめ。まだ全然」俺はぱたぱたと手を振った。
もう、辺りは暗くなりはじめていた。人影が少なくなったバースの街は、まるで博物館に飾られたミニチュア模型のように見える。そして自分はまるでそこに迷い込んだ小人ででもあるかのような、不思議な錯覚を感じさせる。俺は、バースの夕暮れが気に入っていた。特に、暗くなると、街全体にオレンジ色をした街灯がともり、寺院だけは薄いブルーのライトでライトアップされる。それがとにかくきれいで、俺はたまに夜に街に降りてきて、寺院横手のベンチにしばらく座って過ごしたものだった。
「今日はそろそろ帰るかな」とパオルが眉をしかめながら空を見上げた。「もう、許可時間を過ぎちまったし」バースでは大道芸人たちが市に申請をして、芸をやる時間をもらっているのだ。
「明日もやってる?」俺が訊いた。
「毎日やってるよ」彼が笑った。
「どの辺?」
「あちこちさ」
「明日俺もジャンベを持って降りてくるよ。たぶん四時ぐらいに」
「じゃあ、四時にここにしよう」彼はそう言うと、自分が座っている下を指さした。
翌日、約束どおりの時間にジャンベを抱えて市街地へと降りていくと、前日と同じ場所に、パオルは座っていた。丸いサングラスの奥でにったりと笑うと「ハイ」と陽気に片手を挙げてきた。
「ハイ」俺も手を振り返した。
「お、持ってきたな」彼が、俺の背負っているジャンベに気づいて言った。「早く出して見せてくれよ」
俺は彼の隣に腰かけるとケースを開け、中から太鼓を引っぱり出した。彼が貸してくれと言うので、俺は出したまま彼に手渡した。パオルは楽しそうに歯を見せて笑うと、「綺麗なジャンベだなあ」と言った。俺はすこし得意な気持ちになりながら煙草を一本くわえると、彼にも一本差し出した。彼は嬉しそうにそれを受け取るとくわえ、俺のほうに顔を突き出してきた。俺が火をつけると、彼はうまそうに深々と吸い込み、空に向かって煙を吐き出した。
パオルは煙草をくわえたまま、俺のジャンベを叩き出した。俺は彼のジャンベを拾い上げると、それに加わった。パオルが上半身をリズムに合わせて揺らしながら、俺のほうを見た。彼はボロボロに薄汚れてこそいたが、子供のような笑顔で笑った。だがあいにくあまりジャンベは上手くなく、おそらく、どこかのパーティで適当に叩きながら憶えたのだろうという程度だった。何人かの観光客たちがときどき立ち止まってこちらを眺めるたびに、俺は、パオルはいったいこんな芸だけで本当に生活できているのだろうかと不思議に思わずにはいられなかった。
しばらく叩いてから俺たちはジャンベを地面に置くと、また煙草を吸いながら話をした。彼がとりわけ熱心に話したのはスイスの話で、特に、スイスのバスはどんなときでも時間ぴったりに来るという話を、身振り手振りを交えて熱心に聞かせてくれた。彼が子供のような笑顔で笑うのは、彼が本当に子供だからなのだと、俺は思った。
それからというもの、俺と彼はちょくちょく一緒に遊ぶようになった。ドイツの女から「好きな男ができたから別れる」という電話を貰い落ち込んでいるときには、一緒に酒を飲んでくれた。一緒にヴィクトリア・パークに行けば、俺だけのために、彼が得意な大道芸『ディアブロ』(注 二本の棒を持ち、その先に渡された糸の上で砂時計型の駒を回す芸)を見せてくれた。しばらく経つとハットでのライブにも来てくれるようになって、俺たちは一緒にステージに上がったりもした。彼はもう、自分に故郷はないのだと、酔っぱらうといつも言っていた。「行く先々が故郷みたいなもんさ。どこに行っても似たような連中がたくさんいるし、いつだって仲良くなれるからさ。誰かと別れても悲しいとは思わない。また別の街で、別の同じようなやつと会えばいいんだ。みんなそうしてる」
大道芸人たちは横のつながりを強く持っているようだった。パオルと一緒に観光客の去った夕暮れの街をぶらぶらしていると、昼間にそこかしこで芸をやっていた芸人たちがよく声をかけてきた。下手くそなバイオリン弾きも、本屋の前でスチール・ドラムを叩いている黒人の太った男も、みんながあちこちで思い思いに集まって一日の終わりに一杯やっているのだ。だが、しばらく前にサックスを吹いていたあの黒人の男だけは、なかなか会わなかった。もしかしたら、どこか他の街に行ってしまったのかもしれなかった。俺は、他の街で同じようにサックスを吹いている彼の姿や、ごろごろと台車を引きずりながら帰ってゆく後ろ姿をときどき思い浮かべた。
だが彼は、他の街に行ってしまったわけではなかった。どうしているかは、ある日街に降りたときに分かった。彼がいつもサックスを吹いていた場所に、山のように花束が飾られていたのだ。そのまん中には、サックスを吹く彼の白黒写真と一緒に「もっとも偉大なるサックス・プレイヤー、ジョージ」と下手くそな文字で書かれた紙が貼り付けてあった。彼は死んだのだった。周りにはあちこちの芸人たちや観光客たちが集まっていた。芸人たちの中には泣き崩れている者もいた。その中に、パオルの姿もあった。彼はじっと立ちつくしたまま、険しい顔でジョージの写真を眺めていた。
「どうしたの?」俺はそっと訊ねた。
「死んだんだ、ジョージが」彼は写真を見たまま言った。続けてなにか病名らしきものを口にしたが、俺には理解できなかった。俺はただ黙ったままうなずくと、ジョージの写真を眺めた。「じゃあ、今度一緒に遊ぼう」と言った彼の顔を思い出した。悲しいような気もしたし、そうでもないような気もした。俺はどうしていいのか分からず、目を閉じると手を合わせた。パオルは、集まってきた他の芸人たちとなにか話していた。俺はなんとなくその場にいてはいけないような気がして、なにも言わずにメイン・ストリートを上って行った。しばらく市街地をぶらぶらしてみたがどうもすっきりせず、俺は大学へと戻ると、パレード・バーに行った。なぜか、ジョージのことが頭から離れなかった。そして、初めて目にしたパオルの険しい顔も。
横のテーブルでは、留学生たちが楽しそうに笑いながらなにか話していた。ジョージやパオルたちのように、日銭を求めて観光客の多いバースにやってくる大道芸人たちもいれば、はるか海外から勉強しにやってくる学生たちもいる。住む世界が違うと言ってしまえばそれまでなのだろうが、なんだかやるせない気持ちだった。ああいう風にしか生きられない芸人たちと、これから人生を定めていこうという学生たち。学生たちはやがて立派なところに就職し、海外旅行をし、パオルたちのような芸人たちの前で足を止め、気分がよければポケットの中の小銭をギターケースや帽子の中に入れてやったり、一緒に写真を撮ってみたりするのだろう。
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